まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ようやくに イチョウの黄色 街の声

2017年10月31日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 大阪市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.1度から17.7度、湿度は80%から44%、風は1mの北北東の風が少しばかり。明日の11月1日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 ご案内の通り、今日は親戚の叔父さんの葬儀だというので、従兄弟たちと高速バスに乗って大阪に向かった。叔父さんというのは、私の母の妹の連れ合いという意味の叔父さんである。

 

 今回は、私の母の弟の次女、つまりは従兄弟の「みっちゃん」がバスの手配をやってくれた。で、朝の6時40分に讃岐津田の高速バス停から乗った。これから二時間20分のバスの旅になる。

 

 鳴門海峡大橋を渡る頃には明るくなってきた。この頃に、奥方の作ったお弁当での朝食を食べ終える。

 

 ご案内の通り、私は「利尿剤」を飲んでいるために、30分ごとにトイレに行く。2時間のバス旅だと4回のトイレタイムがいる。そのうちの1回は、途中のパーキングエリアでのトイレタイムがあるが、それで辛抱できるかどうか。これはもう、拷問みたいなものだ。当然、バスにはトイレがあるが、狭くて窮屈で左右に揺れるから、これまた拷問なのだ。

 

 バスが停まったのがここ。これから、環状線に乗るのが分からない。あれこれ、走り回って電車に乗って、どうにか環状線に乗って「鶴橋」に着いた。田舎のおばさんばかりの旅である。スマホを持っていても使いこなせない。私のスマホは故障中。ナンタルコチア、サンタルチア。

 

 どうにかこうにか、たどりついたのは、町内の集会場みたいな場所。大きな葬儀会館だと聞いたのだけれど。

 

 ま、街の葬儀というのはこんなものかも知れないなぁと眺めていた。企業関係や議員さんたちの花輪や弔電もない。

 

 速くいえば「家族葬」みたいなもの。お坊さんも導師だけ。この左端のお孫さんだけが泣きじゃくっていたのが印象的だった。今時、葬儀で泣きじゃくるなんてね。純粋だなぁと眺めていた。

 

 今日は全国的に「友引」の日。一般的には葬祭場や葬祭業者さんたちの定休日の筈。でも、ここは完全営業で、全ての炉が稼働していた。

 

 入場してから還骨するまでの間、お食事処にマイクロバスで移動して、こういうお昼を頂いた。珍しくビールがどんどんと出されてきた。還骨前にかまわないのかなぁと思いながら、地方地方の「お作法かなぁ」としっかりと頂いた。

 

 斎場での写真撮影は禁止だったので、いきなり、初七日の法要になる。やはり、お作法が違うなぁと眺めているばかりだった。

 

 法要が終わったのが16時過ぎ。高速バスの予約時間は17時05分。タクシーを探しても見つからないので泣きそうになった時に、現れたタクシーに救われて、無事、JR難波駅まで。田舎のおばはんとおじさんの珍道中は幕になった。

 

  今日の掲示板はこれ。「秋のもみじは美しいけれど 光があるから目に映える」というもの。雨の日や曇った日に、大窪寺の紅葉を見ても少しも美しくは見えない。同じものなのに、晴れていれば美しいと感じ、曇っていれば少しも美しいとは感じられない。まさに光があるからこそ、目に映えるのである。真っ暗な闇夜に紅葉を見ても、紅葉は見えない。真っ白な濃霧の中や朝霧に立ちこめるあさぼらけの中でも紅葉は見られない。そこに闇夜を切り裂くような光が 差し込んできたとき、ものごとの姿が現れて輝き、秋の紅葉が浮かび上がる。それこそが真実であり、それこそがまことである。私たちの生きるという誠は美し いけれど、さらに、それを照らし出す「光」があるからこそ、輝いて見えるいのちなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>