アメリカからの郵便を待っている。先方からは12月23日に発送した、通常12月31日までには到着する予定というEメールがきたのに、もう2週間ほど遅れている。クリスマス明けにコロナの新規感染者が急増したアメリカで、郵便事情はどうなっているのか。あるいは日本国内での遅延なのか。そろそろ着くのではないかと、普通なら正午前に配達される郵便受けを覗く毎日。今月末までに到着すれば実際には特に問題は起きないのだが、本来到着するはずのものが来ないというのはやはり精神衛生上良くない。
通信技術が発達してから、手紙や書類を物理的にやり取りすることは大きく減少した。海外とのやり取りも通信手段としてはインターネット(イントラネット)、Eメールがあるし、書類ならそこに添付ファイルとして送って、必要であれば受け取り手が印刷すればよい。世界中距離は関係なく、時間も費用も掛からない。仕事の上ではこの通信手段の進歩の恩恵は実に大きい。
1980年代ころまでのまだEメールや電子ファイルなどのない時、重要な書類を緊急に海外に送らなければならない時には、いくつかの航空会社との間で特殊通関である俗にいう「機長託送」と呼ばれる方法が使われた。成田から飛び立つ国際線の機長に運んでもらうもの。そしてそれが多分最短の方法だったと思う。目的地に到着してから機長(もちろん忙しい機長が実際に手渡すわけではなかっただろうが)があらかじめ指定された者に手渡すというものだった。
今考えればずいぶんのんびりとした古き良き時代の書類の運搬方法だったが、世界のどこでもだいたい翌日には到着していた。勝手な想像ながら、あの黒くてがっしりしたかばんを抱えた、4本の金モールの入った制服の機長が重要な書類の運搬を引き受けてくれているという安心感があった。
Eメールだってすぐに読まれるとは限らないから、アナログ、あるいはリアル、なこの方法は迅速かつ確実な方法だったと言えるだろう。人はその時代の限られた方法の中から知恵を絞って距離の壁に立ち向かっていた。そしてこの方法、古びたやり方ということでなくどこか人間的な味わいがあるような気がする。
今や古典的ともいえる郵便での物のやり取り、焦らずにのんびりと構えるのが一番だ。そうは言ってもまた明日も郵便箱を覗きに行くことになるだろうが。
19世紀イギリスで郵便の到着を知らせるために使われたラッパ。
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