こんにちは~♪
ふと気がつけば もう七夕も一週間前に終わっていたのね。
思えばこの三ヶ月間 母のことで頭がいっぱいでした。
4月の17日に余命二三ヶ月と宣告され、頭の中は真っ白!
手術も難しく、年齢的にも・・・
自然のなせるがままにと決断したものの
癌の末期患者の終末期医療、ホスピス・・・・・など
母の為にはどうすれば一番いいのか
あれこれ考えているうちに 母の体調に変化が
顔色が悪く足の浮腫が酷いので病院へ診察に。
アラ アラと言う間に 入院させられてしまいました。
私が考えていたのは
母を出来るだけギリギリまで家で看て
しんどさや痛みが出だしたら病院へバトンタッチしよう・・・と
でも そんな思いは
アッと云う間に何処かへ吹っ飛んでしまった!
在宅医療体制だなんて、人口の多い都会ならでは出来る事!
家に帰りたい 帰りたいと言っていた母の願いも聞いてあげられず
まだ お喋りの出来てた頃
いつも「早く帰れるようにしっかり食べて頑張るよ~~」と言ってた母。
私達の願いなんて・・・何処にも届いてくれませんでした。
大切な家族の命なんだけど、
超高齢社会の現代
病院では数多くの末期患者の一人なんだもの。。。
母の好きだったブローディア
家裏の雑草に覆われた花畑で咲いていた。
殺風景なモノトーンの病室を
明るくしてくれていた 最後の花でした!
でも もうこの頃には喋ることも出来ず
黙って見つめるだけ!
余命宣告をされてから 亡くなる迄の77日間
私として出来る限りの事は し尽くしました。
寂しくはなったけど、癌との戦いとも もう終わり
母も楽になれただろうと ホッと安堵!
まあ93歳でしたから、お迎えが来てもしかたありません。
あれこれと私の注文が煩くて、病院では嫌われていたかも。。。
泣いてばかりの77日間でしたが、
今は不思議と涙も出て来ません。
母の最後は 息苦しさの為に横になれなくて
倒れないように周りに枕や掛け布団を置き
ベッドに座るようにして私の腕の中で息を引き取りました。
やっと息苦しさから解放された母は
今頃 家の何処かで 笑って私達を眺めているのかも。。。
七夕の日まで 母の命がもってくれるかしら~と、
いつも眺めていた七夕飾り。
蒜山ジャージーランドで撮った一枚
確か 3年前の初秋頃だったと思う。
若そうに写ってるね!
この頃は二人共ふっくらちゃんで。。。
この残されたセニアカーを見る度に 涙する父
家裏の枝垂れ桜並木の土手を いつも散歩していた母。
風になって
愛していた故郷の野山を 吹き渡って欲しい~~