ミーシャのひとりごと

数あるブログの中 訪問してくれてありがとう。
蒜山高原や大山などの風景写真を撮りながら
田舎暮らしを楽しんでいます。

松江城とその界隈・続き

2023-05-03 08:00:04 | 歴史的建造物
     
            こんにちは~♪

前回からの続きですが、
少し時間を戻して・・・





この広い堀の向こうに見えるの家並みが
これから散策する通り。






その通りは、塩見縄手と呼ばれます。
縄手とは
縄のように一筋に延びた道路のことをいい、
この一帯はかって 武士の家中屋敷が並んでいました。
その中のある武家屋敷に一時期住んでいた 塩見小兵衛が
後に異例の出世をしたので
それを称えて この通りを塩見縄手と呼ぶようになったそうです。




その通りにある小泉八雲記念館
明治の文豪で日本の文化や伝承を世界に紹介した
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に関する施設です。
八雲が松江に滞在し、
出雲の地に日本の伝統文化を見出した旧居で
隣接して建つ文学館があります。




道を挟んで撮っていたら
ぐるっと松江レイクラインバス(観光に便利な循環バス)が入り込んで来て、、、
赤色ばかりと思ってたらグリーン色もあるようね。






並びにある 田部(たなべ)美術館







田部長右衛門から寄贈された
田部家伝来の茶道関連の美術品が多く展示されています。

どちらも幾度か観ているのでスルーです





ここ武家屋敷は主屋、長屋門・塀などからなり、
江戸期の面影を今に伝えています。
塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛も住んだそうです。













蕎麦処の八雲庵

ここは武士の大石源内屋敷跡だそうです。
美味しかったお蕎麦に胃袋も大満足で
またプラプラと散策。。。




塩見縄手の武家屋敷通り一帯には
白塀に囲まれた広い屋敷が今も建ち並び
当時の面影を残しています。






堀川に沿って並ぶ老松や木橋が
風情を添えています。





この橋を渡って松江歴史館へ






建物が長くて、1枚の写真に納まりませんが。。。















松江は
江戸時代には雲州と呼ばれた出雲国の中心地だった所で
松江城天守をはじめ、
当時の掘割やまち並みを今に残している城下町です。





長屋門を入った先は奥へと長い庭が続き







中ほどには ”いづもナンキン” が
以前にもアップしましたが、今も健在でした。
島根県指定天然記念物の金魚です。






松江藩家老朝日家長屋







入館はここから。
ホールは畳なので靴を脱いで上がります。






歴史館では城や町の仕組みや移り変わり、
そして現在の町に隠された秘密などについて
資料展示や映像、模型などで紹介していました。





上に投影しているプロジェクター?を囲むようにして
半円径に設置されたソファ~から上を眺めていたら 
お腹具合も良くて ついウトウト・・・と

好天のゴールデンウィーク前なのに
広い空間に入館者も誰も居なくて。。。






眠気覚ましに 館内にある






畳に座って日本庭園を眺めながら










お茶と和菓子の 「きはるcafe」 で
リフレッシュ!!





抹茶パフェ

滑かで上品な甘さで
とても美味しかったです。

きはるcafe は
創作和菓子の菓子バーを備えた茶房で
松江和菓子やお抹茶を楽しむ和のオープンカフェ。



ここを出た後 もっとプラプラ散策するつもりでしたが、
以前の様な体力・気力が無くなって来たようで
駐車場傍の観光物産館で買い物をして帰路に。。。





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松江城とその界隈

2023-04-30 17:39:11 | 歴史的建造物
     
            こんにちは~♪

久しく行ってなかった
宍道湖の北湖畔にある松江イングリッシュガーデンへ
リニューアルも終わり
どんな感じになっているかしら~と
ゴールデンウィーク前の27日に行って見ました。
ところが、
春のこんな時期なのに扉は閉じられ
門扉の周りには雑草が生えて荒れた感じ。。。
どうしたのかしら~~?と、辺りをウロウロ
・・・折角 楽しみにして来たのに。。。
仕方なく松江までUターン!!

毎度お馴染みの松江市内へ
今更行って見たい所もないな~~なんて思いながら
取り敢えず 松江城前の駐車場へ。

ふと目に付いた満開のナンジャモンジャの木!
そうだ! 今日はここ松江城とその界隈の散策にしようと。





ゴールデンウィーク前からどこの観光地も
人出に溢れていると聞いていましたが
まだ 時間も早かったのか、観光客はチラホラ!





城山公園の二の丸に向けて 石段脇には大きなクスノキ
手前はナンジャモンジャの木(ヒトツバタゴ)






手入れが行き届いているからか
雪を被ったような 素晴らしい花付きで立派でした。


































石段脇の大きく立派なクスノキ




平成3年3月調査時で
推定樹齢350年だそう。


松江城・天守閣のある松江城山公園には
興雲閣や松江神社、護国神社、城山稲荷神社などがあります。




松江城山の二の丸にある
興雲閣






興雲閣のHPによれば
興雲閣は、松江市が松江市工芸品陳列所として建てた建物で
明治35年着工し、翌36年に完成したそうです。
当初、明治天皇の行在所に使用する目的でつくられたため、
装飾・彫刻を多く用いた華麗な 仕上げとなっています。
結果的には天皇の巡幸は実現しなかったそうですが
明治40年 皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰道行啓での宿となり、
迎賓館としての役割を果たしたそうです。

建物の中は2019年5月10日更新のブログ「松江のまちあるき」
でアップしているので省略。




興雲閣の並びにある 松江神社

松江城が国宝になる決め手となった祈祷札が発見された神社。
松江開府の祖 堀尾吉晴、
松江藩主 松平直政・松平治郷 (不昧公)、徳川家康を祀っています。



折角なので
久しぶりにお城へ入って観ることに。



松江城
全国に12城しか残っていない現存天守の1つ。





その中でも
慶長16年完成の松江城天守は、彦根城、姫路城と並び、
近世城郭最盛期を代表する天守として国宝に指定されています。

天守は外観4重、内部5階、地下1階で、
天守の南に地下1階を持つ平屋の附櫓が付属しています。




地下の井戸は城郭建築では唯一の現存例だそうです。









窓は突上窓と火灯窓あり、
2階に1階屋根を貫く形で開口した石落しが8箇所あります。





板張りのお城の中は土足厳禁。










幅が狭くて勾配のきつい階段は滑りやすく
手摺を持つ手に力が入ります。













天守の最上階からは360度
城下町の街並みや宍道湖が一望できます。







汗をかきながら上がり出た最上階は
フルオープンの窓から吹き抜ける春風が
心地よく爽快でした~~





宍道湖の嫁が島もよく見えました~♪








松江城は見た目の派手さはないけれど
落ち着いた佇まいで歴史情緒が感じられるお城です。





駐車場へは戻らず、塩見縄手通りに向けて少し散策。





静かで落ち着いた小径は
小泉八雲も散歩道として気に入っていたそう。






途中にあった城山稲荷神社
神社の見取り図を見ていたら 後ろから地元の方か






”小泉八雲さんお気に入りのお狐さんがありますよ~”って教えてくれ 
では早速 お参りすることに。。。






城山稲荷神社は「たくさんのお狐さん」でも有名な神社なようで
石狐の数は半端なく、現在は数百ほどですが
元は数千ほどもあったそうです。
その中でも特にこの石狐は
小泉八雲さんのお気に入りだったそうです。




藪椿を見上げながらプラプラ散策も
塩見縄手通りの見える堀川に出て来ました。

春の長閑な堀川風景のなか
微かに聞こえる遊覧船からの案内ガイドの声

手前のセンダンの木はこれから蕾が膨らんで・・・





満開のツツジを眺めながら
足は塩見縄手通りへ







お昼には少し早かったけれど
混まない内にそば処の ”八雲庵” へ

ここは米子にお住いのかっての知り合いに教えてもらいました。
SNSのSlownetをやっていた頃のブログ友でしたが
今もお元気でいらっしゃること 願っています。




天ぷら割子蕎麦

ここでお蕎麦を食べる度に当時の頃が思い出されます。



続きは次回に。。。


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桜の閑谷学校

2020-04-08 08:01:49 | 歴史的建造物
     
               こんにちは~♪

遅きに然りの緊急事態宣言がやっと出ましたが
今日は4月3日に訪れた時の 春の 閑谷学校 です。

閑谷学校は
現存する日本最古の庶民のための公立学校で
1670年に岡山藩主池田光政が創立しました。
和気の谷深き地に建てられ,閑谷学校と名付けられました。
そして2015年4月には
「近世日本の教育遺産群」として特別史跡旧弘道館、史跡足利学校跡、
史跡咸宜園跡と共に最初の 日本遺産 に認定されました。




↑ 全体図が小さいので拡大してご覧ください。





校門





校門から正面に見える聖廟前に植えられた2本の 楷の木
中国山東省曲阜の孔林から種子を持ち 帰り,苗に育てられた内の2本です。
秋には赤と黄色の紅葉が素晴らしいです。





屋根は備前焼の本瓦葺き、
棟に鯱を載せた 廟の正門として建てられました。




受付のある入場門






儒学の祖である孔子像が安置された聖廟など
国の重要文化財に指定された施設が点在しています。





国宝に指定されている入母屋造りの講堂






この堂々とした講堂は
学問の殿堂と呼ばれるに相応しい雰囲気があります。





屋根瓦は全て備前焼の瓦です






ピカピカに磨き込まれた講堂の床













左建物は 文庫
漆喰塗で固めた上を瓦葺きにした置屋根式で、
三重の土の戸を含む六層の戸が設けられている閑谷学校の書庫。




火除山(ひよけやま)
この山の西側に学舎や学房(寄宿舎)などがあり、
そこからの出火が講堂などに及ばないようにするための
防火の目的でつくられた人工の山。




300 年を経た今も 整然とした姿をたたえている石塀(せきへい)
学校全体を取り囲む 756 m にも及ぶこの石塀は、
備前焼瓦と並んで旧閑谷学校に独特の景観を生み出しています。










明治の姿が残る校舎を利用した資料館。
明治38年(1905年)学房跡に「私立中学閑谷黌」の本館として建設され
現在はその本館部分を資料館として公開し、
旧閑谷学校の貴重な資料が展示 されています。




学房敷地跡に植えられた満開の桜











資料館奥の陽当たりの悪い所の石塀は苔生し
椿が人知れず まだ綺麗に咲いていました。










このピンク色の椿はとっても素敵でした~~♪





御納所への門




守護の願いが込められた神々しい雰囲気の椿山
約400本近いヤブツバキが植えられています。

何故椿なんだろうかと ふと疑問に思って調べたところ
椿は葉のエキスが止血薬になり
特に朝廷では毒消し(悪魔祓い)として祭事が行われたそうなので
勝手に納得したりして。。。



奥に見える塚は閑谷学校の創始者である
岡山藩主池田光政の髪、髭、爪、歯を納めた供養塚(御納所)

鹿がいて 驚きでした 
遠くからでしたが野生鹿を見たのは初めてでした~~




母子の2頭で,近づくと山の方へ帰っていきました。
係りの方の話では
夜間に多い時には10頭ほども出て来て 落椿を食べているそうです。




顔も姿も可愛くて
ふわふわの白いお尻が愛らしい~~♪






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奥出雲町の絲原家

2018-11-08 14:45:31 | 歴史的建造物
     
               こんにちは~♪ 

紅葉ドライブ三日目の11月3日は これまでの紅葉景色ばかりではなく
島根県奥出雲町にある絲原家へ。





絲原家は中世武家の一門で、
江戸時代にたたら製鉄を始め、現在に至っています。
約400年の歴史をもつ絲原家の 今の当主は15代目だそうです。



藩政期に松江藩の5鉄師の一人となり、鉄師頭取も務めたそうですが
その後の洋式製鉄の普及により 家業を山林業に転換したそうです。

道の左側建物は「 絲原記念館 」、橋を渡って右側に「 絲原家居宅 」があります。
記念館は知っているので 今回はスル―して
紅葉の散策路と絲原家居宅の見学をしました。



現在地の左上の方向に これから行く「 鬼の舌震 」が。。。




江戸時代後期に建築された国登録有形文化財の絲原家居宅
母屋棟と客殿棟を合わせて延床面積は1,627㎡の約493坪で
部屋数は約40室あり、現在も当主のご家族が居住しておられます。



書院・二の間・三の間の3間続きの客殿を持つ“母屋棟”の間














奥出雲の山々を借景とした絲原家庭園は、全庭が1,188㎡で約360坪あり、
ここは池泉を有する池泉回遊式の出雲流庭園です。



出雲式庭園の特徴は書院前の飛び石組手法にあり、
細長い短冊石と丸い石の組み合わせにあります。



松江藩主の本陣としても利用された“客殿棟”の間








御成門
江戸時代に松江藩の藩主が領内お見回りの折、駕籠のまま入られた門




楓滝




露地門
ここから奥は ”洗心乃路 ”
山野草や茶花、紅葉木など約300種を植栽された2,000坪の林間散策路。
四季折々に様々な山野草が楽しめます。







山野草の花は終わり、わずかに一輪咲いていたミヤマリンドウ










見晴らし台のベンチ
周囲の山間の紅葉は見頃でした。












喫茶・お食事処
温かい珈琲が飲みたかったけど 
オープン時間にはまだ早く、開いていませんでした。



次は 「 鬼の舌震 」へ

     

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姫路城

2015-09-05 16:48:39 | 歴史的建造物

          こんにちは~♪

今日も上空に梅雨前線が停滞していて 
スッキリとした青空が見られません。

この夏は日照時間が平年の半分程らしく
随分と作物に影響が出ていますね。
日照条件の良くない実家の花壇は雨降りばかりで
一年草のユーホルビアやコリウスなど
株が大きくならず 間延びばかりで困ります。

ところで今日は
先週の週末に出かけた 姫路城 です。
姫路城は白漆喰の城壁の優美な姿から「白鷺城」とも言われ、
世界文化遺産に登録されている国宝の城。
約5年半に及ぶ保存修理を経て 今年の3月にグランドオープンしました。
以前に何度か来たことがありますが、
お城周辺と共に 随分と綺麗に様変わりしていました。




城見台公園から見る姫路城 天守閣

手前の鯱瓦は原寸大のレプリカで
高さは約190㎝
重さは250kg もあるそうです。



お土産販売館の並ぶ家老屋敷跡公園から城内へ





大手門を入ると城内はとても広く
入城口まで桜並木が続いています。
どこのお城にも必ずと言っていいほど桜の木がありますが
白壁や石垣に桜は ほんとによく似合いますね。




入城口の 菱の門






姫路城の見学ルートは 大天守へ直行するルートの他、
千姫ゆかりの西の丸・化粧櫓を巡る西の丸ルート、
伝説の「お菊井戸」を巡るお菊井戸ルートがあります。




まずは西ノ丸の「ワの櫓」から
千姫が休息所として使われた化粧櫓までの長局(百間廊下)の見学。





西ノ丸の外周を巡る櫓群・百間廊下は
原生林を生かし、自然の地形に合わせて延々と続く建物で
背後の断崖や無数の狭間など 厳重な防備を持つ城郭です。




長い百間廊下には沢山の小部屋(女中部屋)があり
千姫に仕えた侍女たちが居たところだそうです。





所々にある下への非常口





この持ち手を引き上げて 城壁を登ってくる外敵を退治。
他にも随所に敵の侵入を防ぐ為の仕掛けがあります。















廊下の大戸
建物内の扉とは思えないくらい頑丈な造り。
内側に女性が居住していた為 
夜間は閉ざして厳しい守りとしていたようです。




化粧櫓の千姫ゆかりの間
ここで化粧櫓出口から外へ出ます。

↓ 詳しくはこちらをご覧下さい。
世界文化遺産 国宝姫路城




次は天守閣へ向けて






狭間
天守や櫓、土塀の壁面に開けられた矢や鉄砲を放つための穴で
丸い形や三角形、四角い形があります。
現存している狭間の数はお城全体で1千個近くあるそうです。





夏休み最後の週末ということもあり 
多くの人出を考えて 早めに来たつもりでしたが
10時を過ぎるとアッという間に凄い行列になりました。
多くの中国系のツアー観光客で賑やかでした~~^^




石落とし
大天守1階の3か所にある石落としの一つ
大天守閣の石垣に取り付く敵に石を投げ落としたり、射撃のための設備。


姫路城は日本最高峰の木造建築。
城郭建築では外観の屋根の数を「重」 内部の階段を「階」で表します。
姫路城の外観は5階建てに見えますが、内部の造りは
地上6階・地下1階の7回構成になっています。

















昭和の大修理の時に組み直された太い梁

上階へ上がるに従い 
足元の急な階段と人の多さで内部の写真が撮れませんでした。




連立式の天守閣
五重六階の大天守と三つの小天守がつながり、
屋根が幾重にも重なり、白漆喰の外装など素晴らしい構成美ですね。






何十年ぶりかに来て改めて思いましたが
見ごたえのあるとても素晴らしい城でした。




この白鷺城とは対照的に
私の地元 岡山城は黒漆喰なので 烏城 と言われています。

コメント (6)
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旧遷喬尋常小学校

2011-07-30 07:14:56 | 歴史的建造物
     
               こんにちは~♪

今朝は曇り、ひんやりとした朝です。
もう雨がポロポロし出しました~
昨日で、気になっていたお墓掃除がやっと一通り終わりました。
後は 近くにある実家のお墓がもう少し残っているだけ。
遠くを済ませると、やれやれと一段落した気分になります。
3時に起きて、現地に着いたのは5時でした。
涼しいうちにと思って行ったのですが、蚊が多くて閉口しました。
朝靄で湿度が高く、
風のない無風状態だったので より多かったのでしょうね。


そうそう 青栗がもうこんなに大きくなっていましたよ。









お墓掃除を済ませての帰り、以前から通る度に気になっていた 
旧遷喬(せんきょう)尋常小学校へ寄ってみました。



遷喬小学校は真庭市久世にあり、この校舎は明治に建造され
1990年(平成2年)に学校が新築移転してから後
1999年(平成11年)に国の重要文化財に指定されました。




明治40年建築のシンメトリーなルネッサンス風木造校舎。
正面2階は講堂になっています。
              




全国版の建築専門誌に「迎賓館を思わせる豪奢な洋風建築」
「木造ルネッサンス風小学校」として 紹介されています。





正面入り口





正面入り口のガラス窓越しに見る中の様子
廊下は幅広く、分厚い松材を使用しているそうです。

















基礎は、
粗い面取りの御影石を並べ、赤煉瓦を7段積んでいます。
床下換気孔は、くさび型の煉瓦でアーチ型。
お洒落な床下換気口ですね。
              



校舎の後ろ側




裏口からちょっと中を覗いてみると
廊下の床がピカピカ光っていました。
昔を思い出しますねぇ~
私の中学時代の頃の校舎も こんな感じで床が光っていました。
糠袋を持ち、横一列に並んで拭いていましたよ~
懐かしいですねぇ~~

旧遷喬尋常小学校 ←詳しい説明です。




校庭に植わっていたこの木は
何の木でしょうか~





春でもないのに
若葉の様に黄緑色の柔らかそうな葉









とてもユニークな木の姿

         
今日の 一枚



カシワバアジサイのドライ
何かを始めようとすると、
必ずやって来るジジちゃんですニャ~


          
コメント (6)
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仁風閣

2010-10-31 13:00:43 | 歴史的建造物
     

昨日また 帰郷しました。
台風は避けてくれましたが、厚い雨雲に覆われて肌寒く
先程から小雨がパラパラと落ち出しました。
でも 悪天候の中をあじわい祭りとやらで、外は賑やかいです。

遅くなってしまいましたが、これから更新で~す。
          
前回のブログ 鳥取の賀露(かろ)港へ来たついでに、
いつもは道路側から眺めて通るだけの「仁風閣」へ寄って観ました。
今日こそはと、駐車場へ車を入れて館内を見学。
鳥取市は、元鳥取藩主池田家の居城であった久松山を扇の要として
発展した都市で、この城跡に建っている洋風建築が「仁風閣」。
この仁風閣は、中国地方屈指の明治建築として名高く
1973年には国の重要文化財に指定されています。
                    
     


仁風閣の周辺は久松公園として整備され、春は桜
秋は紅葉の名所として各地から多くの人々が訪れるそうです。





突然 鳩達が飛んで来てビックリしましたが   
お菓子を貰いに寄って来たようで
ここは市民の憩いの場になっているのですね。




「仁風閣」は、明治40年(1907)に建てられた
フレンチ・ルネッサンス様式を基調とした木造瓦葺二階建。





当時の皇太子(後の大正天皇)の山陰行啓時の宿泊施設として
建てられた、旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸です。
「仁風閣」の館名は、この行啓に随行した
元帥海軍大将東郷平八郎が命したそうですよ。




まさに白亜の洋館





正面に見えるのは鳥取城跡






正面はセグメンタルぺディメント(櫛形破風)の棟飾りを主要モチーフとした造りで
建物の随所にはスクロール(巻軸模様)を配しています。
寄棟造りの瓦屋根には、ルネッサンス様式にみられるクラウン(王冠)型の棟飾りと
6つの煙突、円形の換気窓が変化を与えています。




館内には何処もクラシックな素敵なシャンデリア
全てタングステン電球だそうです。
その光は淡く、セードもすっきりと美しいです。
木製のカーテンボックスもステキ~

1階には鳥取藩と池田家に関する資料などが展示されています。




各部屋にはマントルピースが設置され
全てが違うデザインになっていました。





随員控室
室内の構造や装飾は素晴らしく、当時の技術の結集を見ることができます。





螺旋階段
階段には支柱が無く、硬いケヤキを彫った厚板で支えています。
高さ4mの曲線美はまさに芸術品です。
昔から洋画でよく目にした螺旋階段には憧れがありますね。
次に家を建てる時には是非にと 思うのですが。。。




事務室
カーテンボックスと同じくカーテンも各部屋違い
カーテンボックスには和洋折衷の技術が見られるようです。
















マントルピースの材質も各部屋違うようです。



                          


御座所




                      





二階の広~いガラス張りのバルコニー

 



ガラス張りのバルコニーから眼下に見える庭園は、宝隆院庭園と云って
鳥取藩十二代藩主が若くして未亡人となった十一代藩主夫人を
慰めるために造った 池泉回遊式日本庭園だそうです。




謁見所
各室は「御座所」「謁見所」などと皇太子が宿舎として使われた
当時の名称で呼ばれています。
天井が高いと、より広く感じ 見ごたえがありますねぇ~
壁上の飾り枠だけでも30cmはありそうです。




御食堂





螺旋階段を上から見た所




















白亜の洋館に和風の松が似合っていますね





ゴシック風の八角尖塔の階段室





雪景色の中の仁風閣もステキです
写真を撮っていると またジジちゃんのお邪魔虫





白亜の洋館仁風閣と周りの自然とのコントラストは
1枚の絵画のようです。
思っていたとおりの素晴らしい建物でした。

仁風閣・動画


 

                               

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古い駅舎 ~美作滝尾駅~

2010-09-29 09:21:19 | 歴史的建造物
     

今頃~って感じですけど            
お彼岸に実家と我が家、母の実家へとお墓参りに出かけました。
いつものこの時期には
山裾や田んぼの畦道は
赤い彼岸花で鮮やかに彩られているのですが
長く続いた猛暑は
彼岸花にまで影響してか、見かけることはありませんでした。
そう言えば
コスモスの満開時期もずれていて 
毎年恒例のイベントの「コスモスまつり」を開催している所は
日程の調整が出来ず、困っているとの話もチラホラ耳に。。。



母の実家の墓所近く、例のヨウシュヤマゴボウは
立派な大株になり、沢山のぶら下がった実は
今頃見事な赤紫になっているだろうなぁ~なんて
思い描いていましたが
まぁ~ ↓ こ~んな 有様 !!



きっと これも雨量の少なかった猛暑のせいなのでしょうね。
県北から県中部まで来ると 暑さは和らいだとは言え
やはり日差しはきつく 日陰の無いお墓は早々に切り上げ
久しぶりに津山へ廻り、昼食にしました。





立ち寄ったホテルでは 
ウェディングデートが開催されていて
珍しく多くのお客さんでした。
”ウェディングデート ”って
結婚を前提としたお付き合いなのかしらねぇ
まぁ こちらには縁のない事ですが。



   
注文しても なかなか出て来ません 
ついに 父はウトウト・・・。





長~く待って やっと出てきたお寿司
メニューは ちらし寿司定食だったかしら~
ペコペコのお腹には 満足のお味でした。




お手洗いにあった
ちょっとお洒落なハンドソープ入れ
ゴールドのニコニコマークが可愛い。


・・・・ってことで 
このまま帰るのには まだ時間が早く
何処か 行く所探し~ !!






ちょっと足を延ばして
昔懐かし駅で知られる 因美線滝尾駅へ行ってみることに。。。




確かこの辺りでは~~と 道路右側に見えてきました~
見過ごしてしまいそうなほど小さな駅です。
まぁ~ 何と可愛らしい駅 
アニメのトトロに出てくるような世界。
津山から因美線で十数分の小さな駅。

             


古き時代の田舎駅の風情がそのまま残っていました。
山田洋次監督の映画「男はつらいよ」の最終作
「寅次郎紅の花」の冒頭で登場した駅だそうですよ。
駅舎右側にその記念碑が建てられています。




駅舎の内部や木の窓枠など、各所に当時の原形を留めていて
「昭和初期の標準的な小規模駅舎」という点が評価され
昭和3年築のこの駅舎は
2008年11月に登録有形文化財に指定されました。
2005年には岡山県の「近代化遺産」にもなっています。




切符売場も、また その中に置かれているデスクなども
全てが当時のままのようですね。





駅舎の中には小さな待合室があり
寅さん映画ロケの様子の写真が展示してました。
昭和初期の駅の趣がそのまま残った
居心地のい~ぃ空間でした。




当時のままの改札口





駅構内





駅名標




  
長閑な田舎の駅風情
秋風に吹かれて ベンチに腰をかける母
遠い昔を思いやっているのかしら~
 
                    


まるで
過去へタイムスリップしたみたい

                                      


よく手入れされたホームや花壇には
ゴミひとつ無く、雑草もありません。

地元の老人会の方々が駅運営委員会を作り
駅舎の清掃や花壇の手入れなどをしているそうです
一時は 取り壊しの話もあったそうですが
地域住民の熱心な活動で 保存が実現しているそうです。
こういう方々が居られることで
全国でも、もう なかなか目にすることの出来ない
この素晴らしい駅舎に巡り合えるのですねぇ。




寅さんの田んぼアートの立て看板
この田んぼアートはこれを見ることによって
食糧自給率に関心を持ってもらいたいとの願いで始めたそうです。
食糧自給率を上げる為には、多いに米粉を使用することで
小麦粉に対してコスト高の米粉を安価で生産するために
只今、多収品種の試験をしているそうです。
          


「男・は・つ・ら・い・よ」の看板が目印よ!


   

見学場所にはイスが置かれてました。
の~んびり眺めるも良し
上から写真撮影でも良し・・・でしょうね。




寅さんのシルエットの形に稲が残されてます
左右と上部の米は品種が違うそうよ。





足元には
可愛い野の花マルバルコウソウが咲いてました。
南アメリカ原産の帰化植物でつる性のヒルガオ科
園芸種で葉の細いルコウソウがあるよね。



  
これも昔懐かし 年代物の橋
昭和10年6月竣工とありました。





コンクリート製の古めかしい欄干柱です。


            


今日は充実の一日でした。

                        

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「椎の木御殿」

2010-07-07 06:56:52 | 歴史的建造物




・・・前々回からの続きです。

父の用事を済ませても、まだお昼前でした。
せっかくだから 今が見頃のアジサイを見ながら
食事でもして帰えろう・・・ということになり
街並みから少し離れた所にある「椎の木御殿」へ行ってみました。

「椎の木御殿」
「椎の木御殿」は、勝山領主だった旧三浦家の別邸のこと。
歴代の当主は当時 他所に屋敷を構えていましたが、
すべて国有となったため、最後の城主が地元庄屋の支援を受けて
構えた邸宅だそうです。

屋敷の正門前に、樹齢400年以上とされる巨大な椎の木が
あることから「椎の木御殿」と呼ばれ、親しまれています。
今の時期はアジサイが見頃となり 
しっとり落ちついた趣になっていました。




多く植えられている門前のアジサイ
カメラの位置が悪くて 咲いているお花が見えにかった。。。





大木の椎の木は、この立て看板の右側にありますが
あまり大きすぎて、近距離のカメラには収まりません。





居住していない屋敷は 現在一般開放されています。
今回は時間が無かったので、中の見学はパス。


                    







静寂な中 
上品でどっしり落ちついた佇まいを見せています。


                                      







門前や庭には、地元の人々が丹精こめて育てた
約300株の紫陽花が今 見頃を迎えています。






裏  門





中  庭


          


                           


      


お食事処「椎ノ木御殿」
お店の準備が出来あがると暖簾が下がります。
ここは
地域の農産物を活用した勝山町の味を提供することを目的に
地元の農家のお母さんたちが運営しています。

昼食に名物の「椎の木御膳」を、と思いましたが
要予約ということで、残念でした。
              



駐車場端に咲いていたアジサイ












鮮やかなパープルのガクアジサイ






国道へ出て、おなじみの「ピノキオ」へ
この辺りでは数少ないカフェ・レストランです。
ここにもアジサイが奇麗に咲いていましたが
上手く撮れてなくて花色が白く飛んでしまったわ。。。




お店のオーナーさんも お花好き。






フロアーには
ど~んと 長いガラス花瓶に
大型のブルーアジサイが ス・テ・キ !!

                 


ペコペコのお腹に
焼き肉定食が美味しかったね。
両親もぺろりと完食です。^^
定番のキムチ漬けはとっても美味しいよ~~♪




窓外では
ついに 雨が本降りになって来ました~
早く帰らなくては。。。




ここは 母の病院帰りのお決まりコースのお店



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島根の大社町へ

2010-05-23 10:32:44 | 歴史的建造物



今日は朝から雨です。
この三日ほど夏日の気温で、家の中では半袖を着てましたが
今朝は気温も下がり、またまた長袖です・・・・笑         
実家滞在中の時でしたが
両親を連れて 島根の大社町まで出かけました。
高速道路も大社までつながり、目的地まで片道2時間の距離なので
何とか母も大丈夫だろうと、思いつきました。
当日は お天気が良く
空気も乾燥していて さわやかな一日でした。




高速道終点を降りて しばらく走ると
出雲平野のこの辺りは、一面の麦畑が広がってました。
もう黄色っぽくなりかけていましたが
麦穂の出かけたころは黄緑できれいだったでしょうね~


                            


やって来ました出雲市へ
今回は出雲大社ではなく、日御碕でもなく
目的地は 古代出雲歴史博物館なんですよ~

まずは、旧大社駅へ寄ることに




うわ~ぁ 木造の和風な建物ね
”大社駅 ”の看板がなかったら 駅だとは分かりません。





大社駅の開業は明治46年6月
大正13年に改築されたもので 宮殿風造りのこの駅舎は
全国でも珍しい神社様式を取り入れた格調のある木造建築です。

              


鬼瓦を見て下さい 変わっているでしょう~ 
これって神社様式というのでしょうか?
「日本の建築200選」の駅舎だそうよ。




凝った造りでしょう~
国内有数の木造駅舎ということで
重要文化財に指定されています。




お花のコンテナーは 目立たない配慮の茶系に
クラシックな赤の郵便ポストが効いてます。
 

                                


雪国の商店街等で見られる雪よけ屋根の雁木の様に
庇が長いので、真夏の列車の時間待ちにはいいね。


               


駅舎内に 一歩足を踏み入れると           
わぁ~ 素敵ねぇ~
大正ロマン時代に、タイムスリップしたような気分よ。





ここで切符を買っていたのね
窓口の 飾り屋根付きの窓枠が凝ってます。











駅舎内には出雲大社の大祭に遣わされる皇室の勅使をもてなす
貴賓室や駅名標が当時のままに残されてます。





旧事務室は喫茶店として利用されてましたよ






ホームへの乗降階段の鉄板には
出雲の神話の ” 因幡の白ウサギ ”が。





出雲大社に多くの参詣者を運んでくれた
D51の蒸気機関車

 








          
出雲大社の大鳥居がみえるこのホームも
当時のまま残されてました。





改めて見ても、とても駅舎には見えませんよね。



まだ整理出来てませんので
古代出雲歴史博物館はこの次にしま~す。  


             

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和気閑谷学校へ Ⅱ

2010-05-17 09:37:08 | 歴史的建造物



和気閑谷学校Ⅰの続きです。




パンフレットから抜粋した閑谷学校の配置図
字が見えにくくて ごめんなさいね


   


学校の周囲を囲む蒲鉾形のみごとな石塀






下↓の説明










公門
藩主の通用門で、御成門ともい元禄14年(1701年)の建造で
構造形式は薬医門となるそうです。





飲室門
飲室や習芸斎に入る門で、教師や生徒の通用門だったそうです。





聖廟
練り塀の中に孔子像をまつる大成殿などの建物があり
聖廟の前には
中国の孔子林の種を育てて植えた一対の楷の木があります。





聖廟前から講堂を眺める







聖廟 並びの閑谷神社
学校の創始者池田光政を祀っています。
聖廟の東にあるので、かっては東御堂と呼ばれていたそうで
聖廟よりは一段低いところに建てられています。


 


一対の楷の木
この一対の楷の木は、若葉の出がけの今もいい感じですが
秋には赤と黄色にそれぞれ紅葉して、とっても素晴らしいです。
閑谷学校と聞けば、
この楷の木を連想するくらいに有名です。

                           


椿山
閑谷学校の創始者である岡山藩主、池田光政の
髪、髭、爪、歯を納めた御納所で 元禄15年に完成したそうです。





御納所
椿のトンネルを通って出た所の正面にあります。





椿山から石塀越に閑谷神社を眺める






ここには県青少年教育センターがあり
学生達が大勢研修に来てました。




花を眺めて心が和み 
歴史にふれて心の落ち着くところ 





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和気閑谷学校へ Ⅰ

2010-05-16 07:16:43 | 歴史的建造物



一昨日 藤をゆっくり堪能し、
風を避けて駐車場の車中で昼食を済ませた後
せっかく此処まで来たので、久しぶりに閑谷学校へ寄ってみました。
父の紹介で二十数年前からよく此処へは来ていましたが、十数年ぶりです。
訪れるのは楷の木の紅葉する秋ばかりでしたが
この時期に来るのは初めてです。

いつ訪れても 静寂で荘厳優美な素晴らしい所です。
岡山県人として胸を張って誇れる
国宝の和気閑谷学校です。









駐車場から車を降りて正面 閑谷学校校門への道





閑谷学校は、岡山藩主池田光政によって開設された
世界最古の庶民学校です。
藩士のための教育施設(藩校)として開かれました。
建築には32年の歳月をかけ、手間隙かけた質とスケールで
330余年の歴史をもっています。
地方の指導者を育成する為に 武士ばかりではなく
庶民の子弟も教育したそうですよ。




校門への向けての正面道から撮った講堂
手前の池は ”はんち” と呼ばれ
石橋が架けられ、藩校の象徴として設けられたそうです。






聖堂の正面に位置する閑谷学校の正門で
校門といい、鶴鳴門とも呼ばれています。
屋根は切り妻造りで備前焼本瓦葺き、両袖に付属屋を備えています。


  


門の入り口は、上端の隅を丸めて花頭口とした
荘厳優美な造りとなっています。





この石塀は
鶴鳴門の左右から出発して学校の敷地を一周しています。
総延長は765mあるそうですよ。
巾・高さとも、約2mの蒲鉾型に不整形な石を隙間なく組み合わせ
元禄14年の築造以来、未だ草一本も生えたことが無いそうで、驚きですね。
この石塀が此処の特徴なんですよね。




鶴鳴門を横から見る






校門から入ると・・・





入り母屋造りの 国宝の講堂

講堂に限らず、ここで使用している瓦は全て備前焼なんですよ。
瓦の一枚一枚は微妙に色が違い
何とも言えない上品で渋い色合いを出しています。
講堂の中は、花頭窓(火打窓)からの明かりを反射している床も
10本の欅の丸柱も、江戸時代から今に至るまで
此処に座った生徒達によって拭き込まれて来たんですよ。









建造物のうち 講堂は国宝に指定され
小斎・飲室・文庫・聖廟・閑谷神社・石塀など24棟は
国の重要文化財に指定されています。
また、付近一帯は国の特別史跡に指定されています。










屋根の造りは
とても手の込んだ造りになっています。






手前の建物は小斎






飲室門あたりから楷の木を眺める

 
長くなるので 続きは次回にしたいと思います。

国宝 和気閑谷学校



 

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