「ごちゃごちゃ言うとるらしいのう。ふん。差別が罷り通る現実を世の中に訴えるやと。ええ加減なことをぬかすなよ。お為ごかしは止めといてくれ。ええか。お前らみたいな甘っちょろいガキに何が分かる?何が出来る?お前らみたいに、おボっちゃん、おジョウちゃんでヌクヌクと育って来とるもんに、わしら差別されとるもんの痛みが、そない簡単に分かってたまるかい。この世の中の仕組みは、所変わらへんのじゃ!無駄なことすんない」
男は机をゲンコツで乱暴に叩いた。誰かが悲鳴を上げた。誰もが顔色を変えている。誠悟は震え慄いている自分に気付いた。
「末松はん!」
「止めいな、あんたは、もう」
「みなはん、わしらによかれと思うて、頑張ってくれてはるんやないか。それを、何も、そないに……!」
気を取り直した田崎らは慌てて男を宥めすかした。無駄だった。酒の勢いを借りた男に理性を求めても糠に釘である。男…末松は声を一層荒げた。
「はよ帰ったらんかい!お前ら、おい!中川」
男の矛先は中川先生に向けられた。
「聞こえんのかい、中川。ようも、わしとこの恥、人様の前に曝け出しやがって。よう覚えとけや。このまま何もなしに済むと思うなや。この世ん中はな、月夜の番だけがあるんやないど!こん畜生が、うちに娘、たぶらかしやがって……おう!」
居丈高な末松の大声が部屋に響き渡った。
「お父さん!」
有子だった。末松は有子の父親だった。
いくら酔っていても娘の声は判別できるのだろう。末松は口を閉じた。
お父さん、こんなこと辞めて!」
怒っている。父親を睨みつけた有子の目は涙で潤んでいた。
「…ゆ、有子……お前…わ、わしは……」
末松は娘に立ち塞がれてたじろいた。顔が真っ赤になっている。
「ま、まあ、末松はん、ここは、なあ。有ちゃんの顔立てたってやなあ…」
田崎がすかさず末松に抱きつく格好で、力が抜けた末松を外へ連れ出した。二、三人の男たちが跡を追った。
「えらい済んまへんなあ、みなさん」
腰の低い田崎の妻が、頭を下げた。幾多の苦労を乗り越えた雰囲気を醸し出している。
「末松のお父ちゃんも、お酒呑まなんだら、もうちっと物分かりええんやけどな。まあ、えらい交流会になってしもうてからに、ほんまみなはんにどえらい迷惑かけて、申し訳ないがな」
「みんな、ごめん!」
有子は前に進み出ると、涙声ながら、気丈に頭を下げた。
誰も何も言えなかった。有子の立場を慮りもするが、それ以上にショックが尾を引いていた。誠悟は有子やの人たちの困惑し落ち着かぬ姿から目を逸らせた。
「有子ちゃん、ええんや、ええんやから」
咄嗟に中川先生が声を掛けた。いつもの冷静さを伴った、誰をも落ち着かせる能力を秘めた声だった。誠悟は思わず中川先生に目を向けた。真正面で向き合った。視線がぶつかった。中川先生の目は、力強く誠悟に語り掛けた。
「よう見とくんや、江藤くん。これが現実なんやど。わしら愚かな人間が自らの手で作ってしもうた差別は、底なし沼になってしもうとる。それをなんとかしようと思うたら、泥だらけにならな、あかんねん。汚れるん避けてたら、何にも出来ん。ええか。いくら芝居やって、綺麗ごとで、絶対、人の心に届けられへんのやで!」
そう言いたいのだ、中川先生は。誠悟はハッキリとそれを悟った。
交流会で起きた予想外の一件で少なからずショックを受けた誠悟らに逆の効果を与えた。自分たちのやっていることが、生半可な姿勢で取り組めないものなのだと気付いた。
誰も有子の父親が見せた暴力的な行為を咎めはしなかった。それを理由にして脱落するものはいなかった。むしろ芝居作りに必要不可欠な結束は万全のものとなった。
慶子は順調に進んだ。舞台セットや衣装道具に、効果音、照明と、それぞれを担当する青年たちの姿に、いい舞台を作るんだとの覚悟が感じられた。
「うん。いい感じや。江藤くん。みんなええ目をしとるぞ。なんでもやってのけるって顔だ。若いってスゴイ。可能性は限りなく広がるんだ」
中川先生は相好を崩すと声を上げて笑った。誠悟は先生の横顔に見とれながら確信した。
この先生について行けば間違いないと。
(つづく)
(平成6年度のじぎく文芸賞受賞作品)