こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

コラム・紙芝居にまん丸おめめ

2015年04月11日 17時10分48秒 | 文芸
紙芝居にまん丸おめめ 

グループで企画した紙芝居巡演に参加した。
 作品は『こぶとりじいさん』をはじめ、ポピュラーな日本昔話から選んだもの。さて、現代っ子に受け入れて貰えるかな、との不安も、結局とりこし苦労だった。
「子供に絶対おもねらない、強制しない、説教はしない」との方針は、どうやら成功。昔話を通じて、子どもたちと友達になれた。
 面白ければ笑い、分からなければ「なぜ?」と聞いて来る。熱演してる場面では、見詰める目がまん丸だ。最後には片付けまで手伝ってくれて、「また来てね」。感動がないといえあれる現代っ子は、どこにもいなかった。
 考えてみれば、子どもはまだ真っ白のキャンバスそのもの。だから、あまり現実的な大人の世界を押しつければ、彼らの夢を奪ってしまう。
 では親の都合をたまには忘れ、子どもの世界で一緒に遊べれば。そう!真っ白のキャンバスには、感受性豊かな絵が描かれるはずである。
(みんなの広場・昭和62年9月9日掲載)
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絵手紙

2015年04月11日 11時05分29秒 | Weblog
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コラム・よろしくご先祖さま

2015年04月11日 09時50分14秒 | 文芸
よろしくご先祖さま

「ご先祖さまを大事におまつりせんと罰があたるぞ」
 と口癖のように言っていた祖父が亡くなって十年。当時独身生活を楽しんでいたわたしは、お盆でさえ実家に寄りつかなかった。昔気質の祖父には、そんな孫に情けない思いだったろう。
 だが、だれもうるさくいわなくなったとたんに、心境が変化し、わたしは盆の先祖供養をするようになる。せっせと墓掃除からお参りまで。
 するとどうだろう。あきらめていた結婚が人なみに決まり、念願の喫茶店経営にも着手と、次々に実現した。
「みんなご先祖さまを大切にしたおかげや。おじいちゃんも喜んではるぜ」
 と母。
 おそらく偶然機会に恵まれたせいと思うが、ここはひとつ親孝行のつもりで、ご先祖さまへ。感謝御礼!
(昭和六十二年八月九日気流掲載)
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育ったね『おとうさんっ子』・その1

2015年04月11日 00時57分46秒 | 文芸
育ったね『おとうさんっ子』

 リューゴくん、もう二才になったんだな。一人前にお兄ちゃんやお姉ちゃんと遊んだり踊ったり歌ったりしてるけど、足元にはちゃんと気をつけなきゃいけないぞ。まだバランスが悪いからヨロヨロしてるだろ。けつまずいたりして転んで泣いてるのを見るたびに、お父さんは、もう心配で心配で堪らないんだからな。
 だって、お前は、このお父さんが懸命に育てて来た“お父さんっ子”だろ。お母さんが忙しかったから、お父さんがお母さんの代わりもやってたんだ。リューゴくんが可愛いのも当然なんじゃないかな。
 昔は、お父さんも商売でてんてこ舞いしてたから、お姉ちゃんは田舎のおばあちゃんが大きくしてくれたんだ。それで、お姉ちゃんは“おばあちゃん子”ってわけ。
 でも、田舎のおばあちゃん、もう七十五才にもなってて、足が不自由になっちゃったから、お兄ちゃんは、お母さんが育てたのさ。だから“お母さんっ子”。リューゴくんにしたら、お兄ちゃんみたいにお母さんに大きくして貰いたかったかも知れないな。
 だけど、そうできなかった色んな理由があったんだ。リューゴくんが、もーっと大きくなったら、きっと判ってくれると思うけど。
「お父さん、リューゴ任せるわ」
 体の調子を崩して家にいるお父さんに、外へ働きに出るお母さんが、そう言ったとき、本当いって、お父さん、どうしていいか判らなかった。いままで赤ちゃんの世話なんか、自慢じゃないけど一度だってやったことがないんだからな。
 別に無精でやらなかったんじゃない。あの頃の世間の常識では、だいたいの男は外で働いて、家のことや子育てはお母さんの役目と決め込んでいたから。お父さんも例外なく、
「男は仕事をやってりゃいいんだ!」
 なんて、いくら時間の余裕があっても、家でゴロゴロするだけだったのさ。いまから考えると、馬鹿げた思い込みをしてたんだ。
「リューゴのこと、任していいの?」
 何回も念を押すお母さんに、お父さんはついに根負けして頷いてしまった。ちっとも自信なんてなかったけど、役割分担から言っても、そうせざるを得なかった。お父さんは潔く覚悟を決めたのさ。
 その時、リューゴくんは生後五ヶ月を迎えたところ。まだ母乳を吸ってたんだぞ。
 いま元気にはしゃぎ回っているお前を見てると、あの時、リューゴくんを育てるはめになったのは、お父さんにとって、とっても幸福な事だったと思う。本当の親の体験ができたんだからな。お母さんの立場でしか味わえないはずの、子育ての感激と充実感を、ちゃーんと味わったんだぞ。
 お母さんの仕事始めの日。リューゴくんと二人っきりにされた心細さといったら。いまでも、よく覚えている。お前はスヤスヤと眠っていたけれど、お父さんは、お前が目を覚ました時、どうしよう!?と気が気じゃなく、もう焦りが募るばかりだった。
「ここにメモってある時間に合わせて、おしめの交換と粉ミルクの授乳、お願いします。おしめの取り換えの時、ウンチの色をちゃんと見といてください。泣き出したら抱っこしてやってね。ただし、お腹が空いて泣いてる時もあるから、その時は湯冷ましを作って……!?」
 お母さんからの、リューゴくんに関する伝達事項は覚えきれないほどあったんだ。まあメモってあったから、覚える必要もなかったけど。それでも、実際やるのは初めてのことばかりだから、そりゃ大変だった。
 人工乳(粉ミルク)を湯で溶き人肌に冷ますんだけど、その人肌ってのがp-ンと来ない。(もし熱かったらどないしよう。ヤケドさせてしもたら……!)なんて不安は序の口で、おしめだって、最初に交換して宛てた奴なんか、ブカブカ、ブワブワ…。見るのも惨めな有様だった。
 しかし、抱っこだけは、お父さん上手だったぞ。まあ、あれは愛情さえあれば誰でもうまくやれるんだろうな。それが、初体験を通じて得た結論だ。まず間違いないと思っている。
「か~ら~す~♪なぜなくの~~♪」
 泣いてぐずるリューゴくんをソーッと抱きしめ、身体をリズムよく揺らしながら、お父さんが歌ってやった歌。忘れちゃいないよな。お父さん、あの歌しか自信なかったから、いつでもあれでお前をあやしたろ。でも、あれ、日本を代表する郷愁溢れた童謡なんだ。北原白秋だっけ?いやいや野口雨情の作詞だよな。あの歌こそ、親子の愛情の機微を歌ってて、子守唄にピッタリというものさ。
「この子、音痴になるわよ。情操教育が、あなたのリズムが外れた“七つの子”なんだもん」
 おかあさん、いつもさんざんからかってたけど、リューゴはどうだった?お父さんの美声、満更じゃなかったろう」
(つづく)
(第7回バルーン・わたしの赤ちゃん大賞受賞作品・平成3年5月30日掲載)
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