舌ったらず
仕事から戻ったわたしに、三歳になる息子が懸命に喋りかけてくる。舌っ足らずの言葉でよく判らないが、どうも保育園の話題らしい。
先生がどうとか、友達がこうとかを話している彼の目はキラキラと輝いている。
頭を傾げて訊いてやったり、「それでどうしたの?」と尋ねてやると、思い切り身を乗り出して話し掛けてくる。まるで機関銃みたいに。
ああ、子どもって、こんなにもお喋りだったんだなあと気づく。
グループ活動を主宰しているので、十代、二十代の若者たちと、よく行動をともにするが、どうも会話が成り立たない。何を話しかけても、生返事か無反応の一方通行。
自分の意見を言うときも、しらけた表情で、ポツリ。いちばん戸惑うのが、そんな時の彼らの表情と目。全く生気が感じられない。特に他人の話を訊く姿勢が最悪。まるで機械と会話している気分にさせられる。
息子のはつらつとした喋りの様子を目の前に、
「みんな、ちいさい頃って、こうだったんだろうな」と思ってしまう。それが、なぜあんなにも変わってしまうのだろうか。
時代が変わったから。受験競争のせい、核家族化のせい、ファムコンゲームのせい……次々と頭に浮かぶ。そして、いつもの結論に落ち着く。やっぱり親なんだとーー!
だって、ほら。息子はわたしが耳をかたむけてやるだけで、こんなにも勢い込んで喋ってくれるんだから。
(神戸・昭和62年9月9日掲載)