こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

詩・ペット

2015年04月15日 14時23分15秒 | 文芸
ペット

「フクちゃん!
フクちゃん!」

名前を呼べば
キョトキョトと
見あげる

手を出せば
ガサガサと
寄ってくる

手の餌を
モグモグと
食べている

わたしの
さびしさも
いっしょに
食べてくれている
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コラム・舌ったらず

2015年04月15日 11時14分05秒 | 文芸
舌ったらず

 仕事から戻ったわたしに、三歳になる息子が懸命に喋りかけてくる。舌っ足らずの言葉でよく判らないが、どうも保育園の話題らしい。
 先生がどうとか、友達がこうとかを話している彼の目はキラキラと輝いている。
 頭を傾げて訊いてやったり、「それでどうしたの?」と尋ねてやると、思い切り身を乗り出して話し掛けてくる。まるで機関銃みたいに。
 ああ、子どもって、こんなにもお喋りだったんだなあと気づく。
 グループ活動を主宰しているので、十代、二十代の若者たちと、よく行動をともにするが、どうも会話が成り立たない。何を話しかけても、生返事か無反応の一方通行。
 自分の意見を言うときも、しらけた表情で、ポツリ。いちばん戸惑うのが、そんな時の彼らの表情と目。全く生気が感じられない。特に他人の話を訊く姿勢が最悪。まるで機械と会話している気分にさせられる。
 息子のはつらつとした喋りの様子を目の前に、
「みんな、ちいさい頃って、こうだったんだろうな」と思ってしまう。それが、なぜあんなにも変わってしまうのだろうか。
 時代が変わったから。受験競争のせい、核家族化のせい、ファムコンゲームのせい……次々と頭に浮かぶ。そして、いつもの結論に落ち着く。やっぱり親なんだとーー!
 だって、ほら。息子はわたしが耳をかたむけてやるだけで、こんなにも勢い込んで喋ってくれるんだから。
(神戸・昭和62年9月9日掲載)
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絵手紙

2015年04月15日 09時26分26秒 | 趣味的ライフ
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コラム・ビックリの「ミンミ、ミンミ」

2015年04月15日 00時27分01秒 | 文芸
コラム・ビックリの「ミンミ、ミンミ」

「ミンミ、ミンミ」
 自分の耳を疑った。それに目が丸くなった。じーっと観察した。
 目の前の、一歳を過ぎたばかりの次男は、耳に手をやって何回も繰り返した。間違いなく彼は“耳”と言っているのだ。予期していなかったぶん、かなり驚いた。
 これまで「マンマ」しか言えなかった次男の口から、次に出て来る言葉を心待ちにしていたのに、ちょっと意外な「ミンミ」だった。
「ウソよ。まだ耳なんて言えやしないわよ」
 最初は全く信じなかった妻。でも、耳たぶをつまんで、おもむろに「これ、なーに?」と聞くのに、次男がはっきりした口調で「ミンミ、ミンミ」。さすがに疑り深い妻も、信じざるを得なかった。
「でも、どうして耳なのかな?」
 妻のつぶやきに、ハッと思い当たった。
 この春、次男はハシカにかかり、高熱で苦しんだ末に中耳炎をやった。ハシカの前にも中耳炎で病院通いをしていたので、都合五週間も耳の治療を受けた格好だ。
 切開しての治療でずいぶん痛い目にあったのが、よほど印象に残ったのだろう。それで「ミンミ!」なのだ。
 理由が判り納得できると、妻とふたり、顔を見合わせて笑ってしまった。
「おい。痛かったのか?」
「ミンミ、ミンミ」
 セミの泣き声そっくりに、次男は言い続けた。
 さて、次の次に次男が口にする言葉はなんだろう?そして、その理由は?やっぱり痛い目にあわないと駄目かな?
 そんなこんなの想像は、目が回る忙しさの子育ての中で味わえる楽しみなのである。
(神戸べんりちょう・平成二年7月掲載)
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