こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

詩・終活

2015年04月24日 14時08分22秒 | 文芸
終活

抱えきれない
お荷物を
おろすのは
まだ
未練がのこる

それでも
誰かの手に
ゆだねるのは
とんでもない

断捨離は
こっそり
ひっそり
きっぱり
やってみよう

まだ
時間はあるはず…
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コラム・歌

2015年04月24日 07時00分16秒 | 文芸
「……新聞くば~って~も~う、三月~~♪」
 もう無意識状態だった。カーッと顔が熱く、額に汗が浮く。無我夢中で歌い続けた。
 新聞地域欄に「のど自慢出場者募集」の記事。ムラムラと無性に出たくなり。すぐ出場希望と申し込んだ。内気で人前に出るのは大の苦手なのに、ひと前で歌う気になったのはどうしてか、いまだによく判らない。
 神社の境内特設の簡素な舞台の袖に出場者が集められた。歌う順番はくじ引きで、まさかのトップバッター。足元の震えを堪えて舞台に。もう頭の中は完璧に真っ白だった。
 持ち歌は山田太郎の「新聞少年」。実はこの一曲、高校生の自分を重ねて大好きになった。何度も何度も歌って愛着を覚えた。もしかしたら、苦手なひと前で、無性に歌いたいと思ったのは、そのせいかも知れなかった。
「……つかんで~みせるよ~デカイ~夢~♪」
 終わると、痺れる様な喜びが全身を襲った。
 歌の魅力にとらわれた一瞬だった。
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わが町の方言やい(です)

2015年04月24日 02時31分15秒 | つぶやき
私の住む加西市はなぜか方言がきつい、荒っぽい。その昔はド加西弁といわれたそうな。「わい」はわたし・ぼくのこと。「何すっこい」は「何をします?」、「めんめら」は「それぞれ」、「けったい」は「おかしい」、「めんた、おんた」は「女性・男性」、「クッコ」は「食べるか?」、「くわんかい」は「食べなさい」、「アホケ」は「あほか」、「なんどい」は『何だい」、「ババたれ」は「うんこたれ」、まだまだあるけど、だんだん気持ちが滅入って来たので、この辺でお開きにすんど(します)!またのう(またね)。
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絵手紙

2015年04月24日 01時27分49秒 | 絵手紙
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記憶に刻まれた味噌汁

2015年04月24日 00時02分35秒 | 文芸
記憶に刻まれた味噌汁 

子どもの頃の食事に味噌汁は欠かせないものだった。一汁一菜ともいうべき貧しい食卓を補う重要な役割を担っていた。時には、ご飯に味噌汁がオカズというのもしょっちゅうだった。味噌汁をぶっかけたご飯を何杯も平らげた記憶が残っている。他に何もないのだから、腹が膨れるまで食べた。
 味噌は自家製。蔵の前にデーンと置かれた、味噌が仕込まれた樽が白くかびていたのを思い出す。仕込まれた野菜を溶いた味噌汁の具は、やはり家で収穫した野菜が中心。大根の葉もよく具にされた。
 時々、村の溜め池の雑魚(じゃこ)獲りで救ったフナを焼いて干した保存食が、よく入った。あまり好きではなかったが、貴重なタンパク源だった。
 正月は雑煮として味噌汁に餅が入った。白い餅にダシジャコや味噌の大豆カスがこびりついているのがイヤだった。それにしても、栄養タップリの自然食である。
 最近はなかなか食卓に味噌汁が上がらない。スープやコンソメの方が簡単だから、面倒な味噌汁は敬遠されるのだろう。とはいえ味噌汁で育ったせいで、無性に味噌汁が飲みたくなったりする。
 仕方なく一人分の味噌汁を作る。揚げ、豆腐、練り物、大根、ニンジン、サトイモ…具だくさんの味噌汁である。ミソは原料のかすなど混じらないなめらかなものだ。
 いい匂いが食欲をそそる。ご飯を食べる前に、まず味噌汁に手を伸ばす。ひとすすり、ふたすすり…旨い!でも、少し物足りない。あの頃の濃厚な味噌汁とは雲泥の差だ。
 味噌汁をすすりながら、昔への思いを巡らせてしまった。
(2012年11月7日)
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