こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

詩・励まされる

2015年05月04日 16時52分00秒 | 文芸
励まされる

元気ですか
と、
げんきな声が
耳に届く

もう
八十半ば
その声が
ずいぶん
若い

あの頃の
先生の声だ

耳にこだまする
懐かしい

恩師!

面白くない
人生に
与えて貰った
生きがい

いまも
その声に
鼓舞されている



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父と娘の運命の日が来たー!

2015年05月04日 09時18分14秒 | 文芸
運命の日

 小学6年の末娘の夏休みが終わってすぐ、その運命の日はやってきた。
 夕方、お風呂の時間。いつもなら、「おとうさん、お風呂だよ!」と来るはずなのに、その日はわたしを無視して、ひとりで浴室に向かう。「あれ?」と、思わず見やった妻は、おもむろにうなずいた。父親離れの訪れだった。
 その日から一週間あまり、徐々にそれまでの父親の役割は目立って狭まっていく。娘の突然な変化についていけない父親は、ただ取り残されていくしかない。
 胸の内のショックと寂しさはかなりなもの。予期していなかった分、かなり加算された。
 パート勤めの妻に代わって、夜勤明けのわたしが昼間の娘の遊び相手だった。よちよち歩きのころから、無料で楽しめる公園めぐりを重ねた。幼稚園の送り迎えに時間を気にし続けた日々。考えてみれば、娘と幸せな時間を共有していた。
それがついに終わる。いや、始まる。娘と父親の新しいきずな作りが。これからは娘のしあわせを見守る大切な役割が待っているんだから。
(神戸・2008年9月29日掲載)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵手紙

2015年05月04日 01時34分57秒 | 絵手紙
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻の手記・助産婦さんとの出会い

2015年05月04日 00時01分40秒 | 文芸
妻の手記・助産婦さんとの出会い 

新しい生命の誕生による自覚症状を覚え、近くの助産院まで足を運ぶことにした。
 既に二人の子どもに恵まれているが、設備の整った産婦人科で産まれている。そこは全体に年季の入った看護婦さんが多く、安心して任せられたものだが、昨年、先生が亡くなり廃院したと聞いている。
 信頼していた医院を失い、新たに探すことになった。知人に訊いたり、友人が利用した医院を見舞った時の記憶などを想い出したが、どうも不安だし気にいらない。
 そんな時に思いついたのが、いつも手伝っている店の仕事からの帰り道に何気なく見ていたY助産院。助産院というと“お産婆さん”のイメージが強くて、最初のお産のころから敬遠していたが、そんなことは言っていられない。
「昔はみんなお産婆さんの厄介になってたんだろ。とにかく行ってみなきゃ判らないさ」との主人の助言で覚悟を決めた。診察時間を訊くために電話をすると、「いいですよ。いつでも都合のいいときにいらしゃい」との返事。
 過去の体験から産婦人科の事務的な受け付けを想像していたから、Y助産院の門をくぐるとびっくり。形式的な受け付けはしないで、茶菓子とお茶を出されて雑談をしながらのリラックスした中での問診となった。
 医院で事務的に受けた嫌な内診もなく、尿検査だけで妊娠を確認すると、「たんぱくとかの異常はないようだから、三週間ほど様子を見てから、またいらっしゃい。その時に母子手帳を作りましょう」と助産院長さんの穏やかな表情。もうこの人に任せてみようとの気持ちになった。
「そいつは良かったな。やっぱり患者と医者の相性があるからな」と、くったくのない主人に「妊娠は病気じゃありません」と、助産院長の受け売りで反論しながらも、人情味たっぷりの助産婦さんとの出会いに、胸を撫で下ろしたわたしである。
(朝日ふれあい・1998年4月19日掲載)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする