こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

ナビだよりの悲劇

2015年05月25日 23時13分47秒 | 文芸
ドライブに行くと、ナビだより。しかもナビに従っていても、変な道や細い道に入って立ち往生なんてしょっちゅう。目の前に目的地があっても周辺で聞きまわったりと、とにかく北と南の違いもわからない。家族でドライブすると、妻と必ず口論になる。「なんでわからへんの!」「わかったらナビなんかいらん」「もう!帰ろ」
「アホ簡単にいうな。帰り道にでられるんやったら、とっくに帰っとるわい」と、とにかく楽しい思いをのままで家に戻れたためしがない。それもこれも方向音痴だからなのだ。ちなみに60代男性です。車で出かけるときは、いつも一時間は余分に計算してでかけるようになりました。
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運動会の思い出

2015年05月25日 13時42分59秒 | 文芸
ひどい運動音痴だったから自分の運動会の思い出は悲しくむなしいものばかり。その反動でわが子の運動会でいい思いをしたいと思っていたが、それが実現した。息子のひとりは母親に似たのか、運動神経はかなりよかった。6年生の時、息子は全校児童を代表してラジオ体操を式台の上でリード。かけ声も堂々たるもので、私はウルウルしっぱなしだった。そして騎馬戦では興奮の極みに。紅組の総大将になった彼は、なんと5人抜き。雄たけびを上げる息子の雄姿に、(…ほんまに、あいつわしの子やろか?)と戸惑いながらも、もううれしくてたまらなかった。少し運動会が好きになった気がした。
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脚光をあびて当然、男の料理

2015年05月25日 10時50分02秒 | 文芸
脚光浴びるのは当然、男の料理

 料理に必要なのは愛情である。これは、小学生のころから農繁期になると
食事の用意をする立場だったわたしが、現在の調理師に至るまで、家族に、お客さんに、妻に、両親に……いろんな条件ながら、とにかく料理を作って来た体験から得た結論である。
 病気で寝込んだ人を想いながら作り上げたお粥は、どんな豪華な料理よりもうまいはずだ。それにひきかえ時間がなくて間に合わせるために適当に用意した料理の味気無さは、どうだろう。
 つまり、料理を味わうということは、料理人の心を味わうと思って間違いないのではなかろうか。
 だが、昨今の風潮を見れば、料理に愛情を感じられなくなるのも止むを得ない。核家族化、女性の社会への進出、ビジネス戦争に受験戦争……どう考えても、料理を味わう余裕はなくなっている。これでは、電子レンジによる「チンチン料理」全盛になるのも仕方がなく、しかも料理の手抜きは、愛情の気迫かを促すのである。
 そこで涙もろくて純情な男たちが立ち上がったわけで、愛情の崩壊を見るに忍びず、よし!ならば愛情いっぱいの料理をーーと、自らの手でつくるようになったのだ。かくして男の料理がスポットライトを浴びるのは、当然の現象である。
 それにプロの調理人と言えば、ほとんどが男。生理的にいっても、料理は男の独壇場であるべきである。むしろ、男の料理が流行するのは、理想へ一歩近づいているとも思える。
(読売・1989年1月14ひ掲載)


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4コマ漫画

2015年05月25日 08時11分01秒 | マンガ
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絵手紙

2015年05月25日 01時07分27秒 | 絵手紙
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うれしさ隠して冷たく対応

2015年05月25日 00時11分12秒 | 文芸
うれしさ隠して冷たく応じる

「14、15日と帰るわ」
 大学生の息子から突然の電話。この春からアパート暮らしの彼は、乏しい仕送りを補うためのアルバイトでほとんど帰らない。我が家にある彼の部屋はもう物置代わりと化している。帰って来るとなると、大慌てで片付けないといけない。
「忙しかったら、別に無理して帰ってこんでええよ」
 嬉しさをひた隠して、わざと冷たく応じる。
「帰らんでええんか?ボクの元気な顔、見たないんか?」
「別にかまへん」
「なんちゅう親や」
「おいしいもん、食いたいさかい帰ってきたいだけやろ」
「……」
 他愛のない母親と息子の会話が、突然途切れた。
 そして「ちゃうわ。お盆はみんなで仏さんにお参りせなあかんねんで。そやから帰るんや」と。真剣そのものの声。あの能天気で面倒くさがりの息子が……。どうしたの?
 といいながらも、もうわたしの胸の内はウルウル。電話の向こうにいる息子に、何度も何度もうなずいていた。
(読売・2004年8月8日掲載)


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