こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

運転前になにをする?

2015年05月21日 13時45分17秒 | つぶやき
(マイルール)笑顔でにっこり出発進行!

 運転席に座り、ルームミラーで自分の顔を確認。うっとりするわけではなく、ただ眺めてにっこりするのです。そうすると、心が落ち着き、気持ちよく車を走らせることができます。
 イライラしているときほど、運転にも影響が出るもの。まずは鏡に向かってにっこり。
 これが安全運転の秘訣です。
(JAFおたより王国2015年6月号掲載)
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新品シャツは格別

2015年05月21日 08時48分10秒 | 文芸
新品シャツ格別 

中学時代は、この衣替えの日が待ち遠しくてたまらなかった。学生服を着なくていいと思うだけで、ウキウキ気分になれた。
 というのも、学生服は一つ上の兄のお下がり。新調した学生服など期待するだけ無駄。それなりの値段のする学生服を新たに買う考えは、当時生活に終われていた親の選択肢にはなかった。まだ着れるものを捨てるのは勿体ないが優先される時代だった。   
 やや小柄な兄のお古を切ると、つんつるてん状態。それだけでも恥ずかしいのに、袖口はテカテカ。ある学年ではつぎはぎがされた学生服を着るはめに。兄弟のいない級友を羨ましいといつも思った。
カッターシャツは学生服のように高価じゃなかったせいか結構新しいものが着られた。やはりまっさらなシャツは格別だった。その白さが眩しく輝いて見えたものである。
夏に向けた衣替えはわたしが自分を取り戻せる季節への入り口だった。
(読売・2015年5月17日掲載)
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4コマ漫画

2015年05月21日 02時58分03秒 | マンガ
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絵手紙

2015年05月21日 01時09分48秒 | Weblog
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母になるための記録

2015年05月21日 00時13分08秒 | 文芸
 生後一年にもならない長女が高熱を発した。二十一歳の新米ママは、初めて授かった赤ん坊を抱きかかえオロオロするばかりだった。育児書を夫と一緒に開いた。十三も年上の夫を信頼していても、赤ん坊に関しては夫婦ともにお手上げ状態だった。
「赤ちゃんは少々の熱でも心配いらないって書いてあるぞ」
 夫はホッとしたように言った。しかし、目の前で高熱に顔を赤くする赤ん坊を見る限り、そんな気にならない。氷嚢に水枕、アイスノンで冷やし、一夜を眠れないまま明かした。
 翌朝、早速病院へ走った。
「風邪です。心配いりません」と医師は解熱用座薬を出してくれた。医師の診立てだからと安心したものの、高熱は続いた。
 子どもが心配で仕事を休むわけにはいかない。夫婦でやっている喫茶店を一人がぬけると大変だ。生活が懸かっていた。その日も、裏の休憩室に赤ん坊を寝かせカウンターの中で仕事をしていた。
「どうしたの?なにか心配ごと?」
 どこか落ちつかない様子だったのだろう。カウンターにいた常連の女性客が訊いた。喫茶店とレストランのオーナー、それも神戸で店を三店持っている女性だった。夫とはウマがあい毎日の来店だった。夫はママさんと呼んで喫茶店経営の相談をしていた。いつも店の自慢話と、私たちの店の短所を指摘した。善意のお節介なのに、若い私は彼女に反感を持った。小娘と貫録のあるママさんじゃ、もとより勝負にならないが、心の中で敵愾心を持ち続けていた。
 それでも、切羽つまっていた私は、娘の高熱に、どうしたらいいのか分からない旨を告げた。ママさんはすぐに反応した。
「それって、風邪じゃないわ。私の友達がやっている小児科病院にすぐ連れていってみて」
 ママさんも高校生になる子供を持つ母親だった。身体が弱かったので、大変な子育てだったらしい。その彼女の助言だった。
「これは川崎病だな。すぐ入院させないと」
 ママさんの友人医師は、風邪ではないと断定した。訊いたことのない病名だった。血液の病気だという。
「日赤は川崎病の先駆的医療を行っているから、大丈夫。すぐ紹介状を書くから」
 入院にオロオロするばかりだった。夫に電話をすると、駆け付けてくれたのはママさんだった。彼女の姿に驚く私に、厳しく言った。
「しっかりしなさい。この赤ちゃんを守れるのはあなたしかいないの。いまからちゃんとした母親になりなさい!手伝ってあげる。これでも母親やって来てるんだよ」
 ママさんの叱咤は不思議に私の狼狽えを解消した。ママさんの存在に安堵感を覚えた。
 日赤の受付でママさんは適格な助言をくれた。おかげでスムーズに診察まで至った。結果はやはり川崎病!即入院ということで、赤ん坊は病室に運ばれた。入院手続きを済ます間、ママさんは病室ベッドに横たわる赤ん坊にずっと付き添っていてくれた。
 点滴を受けて弱弱しく目を閉じた赤ん坊を見守る私に、ママさんは言った。さっきまでのきつい口調はなかった。優しかった。
「はい、お母さん、ご苦労さま。もうこれでひと安心やね。よかったよかった」
「はい。本当にありがとうございました。何にも分からなくて、わたし恥ずかしいです」
「みんな同じなんだから、気にしない。私も息子が初めて病気になった時は、あなた以上に混乱して、ジタバタしてただけ」
 意外なママさんの言葉だった。すべてにわたって完璧さを漂わせる彼女も、同じように初々しい新米ママを経験していた。
「うん。あなた、いい顔になってる。なんとか母親になりかけたってところかな」
 ママさんの言葉のひとつひとつが、私の緊張しきった身も心もリラックスさせてくれた。
 担当医師の回診が終わるまでママさんは傍にいてくれた。まるで私の母親だった。
 ようやく仕事を終えた夫が駆け付けたのは夜遅く、もう十一時近かった。
「大丈夫やったか?お前、えらかったんやてな」
「え?」
「ママさんが報告してくれたんや。あなたのお嫁さん、いい母親になるわよ。彼女がいれば大丈夫だから、おとうさんはちゃんと稼がなきゃダメよってハッパを掛けられたよ」
 夫の笑顔に救われる自分に気が付いた。そして、ママさんの、あの言葉が私をまた励ましてくれた。
「赤ちゃんを守れるのはあなたしかいないのよ。いまからちゃんとした母親になりなさい」
 この春、娘は結婚した。他に三人の子供を育て上げた。「おかあさん」「おかあさん」と子供たちに慕われる幸福な家庭を守って来られたのは、あの日、ママさんが私を母親に引っ張り上げてくれたおかげだと思っている。
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