こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

今日のおひるごはんだ!

2015年05月22日 14時47分57秒 | 文芸
さて、おひるは?冷蔵庫を開けると、あまりものがかなりある。梅雨を前にしたいま、食中毒にそろそろ気にしないといけない。そsこで残り物を組み合わせて、冷蔵庫をすっきりさせることに。ご飯はえだまめごはんに(ひとり分を炊いたぞ)オクラも変なイトを引く前に平らげることに。ナスが残っていたので焼きナスだ。メインは厚焼き玉子。たしか二週間前に1パック97円で5パック買ったのがまだ残っていたのだ。出来上がると、さらにもって、いっぱしの会席膳の出来上がり!枝豆ごはんが絶品だった。なんとお茶わん二杯も食った。年齢を考えないとと反省だ。熱い番茶でお昼は締めくくった。満足満足!
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家を建てる

2015年05月22日 13時57分13秒 | 文芸
家を建てる
 
二年かかった。田圃を敷地に替えるのに汗と泥にまみれた。雑草や土手に育った柿の木などを切り払う作業がその第一歩だった。
 山に入り松や杉の丸太を伐採し製材屋にも詰めた。ひいた板材や柱などの乾燥から建て前に辿り着くまで半年余りの時間がかかった。
 当時はまだ一人親方の大工が差配して一件の家を完成させる時代。建て前は隣人たちや親戚などがこぞって手伝いに集った。施主になる私は先頭に立った。丸太の皮をはぎ柱に養生の和紙を貼る。土壁に使う竹を割り削った。作業は大工さんの指図に黙々と従った。
 早朝に現場に出向くと火を焚き職人たちを迎えた。茶菓を要するのが日課だった。建材を運び、瓦屋根の下地や壁の泥をこねた。
「これでわしの仕事は終わりや。ご苦労はん」
 大工さんの宣言から、左官、電機や、ブリキ屋……と家の完成までまだ時間はかかった。
 そして、ついに念願の家が!感涙感激でその日を迎えた。二年がかりの家は最高だった。
 
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4コマ漫画

2015年05月22日 09時56分27秒 | マンガ
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運動会の思い出

2015年05月22日 02時53分55秒 | 文芸
自他ともに認められた運動音痴の私に、運動会でのいい思い出はほとんどない。悲しいけど、それが現実。あれは長男が小学校の時の運動会。保護者が出る地域対抗リレーに出る羽目に。PTAの役員になってしまったので、断るわけにもいかなかった。200メートルづつ4人がリレーする。なんと私にアンカーが。(それはまずいよ……?)と思いながらも断る勇気もない。仕方なく出場した。見れば、ほかの地区の代表選手たち、お腹が出たり、なんとなくひ弱そうな人が多い。これはなんとかイケルかなと欲が出た。そして迎えた本番。アンカーの私にバトンが渡ったのは、3番目。トップじゃなくてほっとした。とにかく走った。(あれ?)えらく快調だった。一人抜いて二番目に躍り出た。長男の喜ぶ顔が頭に浮かんだ。(お父さんはかっこいいヒーローだぞ!)そう思った瞬間だった。足がもつれた。アッと思ったら、前のめりに転んだ。足がついていかなくなっていたのだ。顔をまともに地面へ。ずりーっとこすった。興奮していたのだろう、痛さは感じなかった。なんとか起き上がって、びりながらゴールに飛び込んだ。「大丈夫ですか?」リレーに出た顔なじみの人たちに心配されて、「いや、なんとも……)と強がった。ところが、退場して飛んで行った手洗い場で、鏡を見て度肝を抜かれた。顔が砂と地にまみれていた。地面に顔をこすった結果は最悪だった。その夜、妻に「もう!年を考えてはしったらええのに!恥をかいたやんか」ときついヒニク。横で長男が何とも言えない情けない顔で父親の顔を窺っていた。子どものヒーローになりそこねたわたしは、それからしばらく息子の顔をきちんと見られずに過ごしたのである。運動会は年齢を考えてねと、みんなにひと言!
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絵手紙

2015年05月22日 02時19分03秒 | 絵手紙
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息子に託す思い

2015年05月22日 00時06分08秒 | 文芸
息子に託す思い
 
半世紀以上、レストランをはじめとした喫茶・飲食業界を調理ひと筋に生きて来た。いまは静かに余生を送っている。
 実は我が息子の一人がわたしと同じような調理人の道を突き進んでいる。今は名古屋近辺の居酒屋の店長で頑張っている。しかし遠く離れた地にはなかなかいけない。一度機会を得て息子の店を訪ねたが、折悪しく忘年会シーズンで、店はてんてこ舞い状態だった。
「おい。なんか食わしてくれや」「悪い。店は予約でいっぱいなんや。次の機会にして」
 冷たい(?)対応で息子に追い払われた。同じ業界で生きて来たわたしには、息子の立場が理解できるから何も言えない。素直に退散した。息子の作る料理への未練が残ったまま。だが名古屋の方へ行く機会は皆無だった。
 いつかは必ず息子の調理した、美味い料理を食べたいと願望はふくらむばかり。それも舌がバカにならない間に味わいたい。それまでは簡単に死ぬわけにはいかないぞ!
 
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