レシピをひそかに手にいれたい。自分で作って食べる。一番安全で安く済む。それで最高の味になるなら、もういうことはありません。決して食べに行くなと言ってるわけじゃない。外食分を節約しなければならない貧しい人間の本分なだけ。現在はコンビニや有名店の味をこぴーしたレシピが簡単に手に入る時代。ローソンのから揚げやイレブンのおでんなど、いろいろ試して満喫しています。こんばんは吉野家の牛丼にチャレンジします。玉ねぎを切っていて、冷蔵庫に牛肉じゃなく豚肉しかないのに気付いた。急きょ豚丼に変更。ちょっぴり味見してら、これもそれなりにうまいではないか。さあ、家族の帰りが待ち遠しい!
図書館はいまやわたしの生活になくてはならない存在となっている。
一週間に三回は足を運ぶ。まずは新聞を読み漁る。全国紙から地方紙、スポーツ紙まで網羅する。情報を得て、自分の知識を育てる。投稿欄で多くの人の考え方や主張を読み取る。気が向けばわたしも投稿者の仲間入りをする。
続いて雑誌コーナーに。硬い内容の雑誌から婦人誌まで読み放題だ。次は本の書庫へ。
もちろん閲覧するだけではない、読みたい書籍を借りるのはしょっちゅうだ。郷土史など貴重な文献も、じっくり読めるのが嬉しい。
若い頃に諦めた好奇心がどんどん復活する。
この間、図書館の一角に設けられた市民文化作品展示コーナーで、わたしの半生がかりで書き溜めたコラムや小説エッセーをまとめて展示した。新聞や雑誌に掲載されたものも含めた作品展は結構好評だった。
活字世代に育ったわたしの老後を、あたたかく受け入れてくれる図書館は最高だ。
一週間に三回は足を運ぶ。まずは新聞を読み漁る。全国紙から地方紙、スポーツ紙まで網羅する。情報を得て、自分の知識を育てる。投稿欄で多くの人の考え方や主張を読み取る。気が向けばわたしも投稿者の仲間入りをする。
続いて雑誌コーナーに。硬い内容の雑誌から婦人誌まで読み放題だ。次は本の書庫へ。
もちろん閲覧するだけではない、読みたい書籍を借りるのはしょっちゅうだ。郷土史など貴重な文献も、じっくり読めるのが嬉しい。
若い頃に諦めた好奇心がどんどん復活する。
この間、図書館の一角に設けられた市民文化作品展示コーナーで、わたしの半生がかりで書き溜めたコラムや小説エッセーをまとめて展示した。新聞や雑誌に掲載されたものも含めた作品展は結構好評だった。
活字世代に育ったわたしの老後を、あたたかく受け入れてくれる図書館は最高だ。
『親は子どもの鏡』を再認識
休日、3歳と4歳になる子どもたちの遊びを見ることなしに見ていて、アレッ?と気づく。まさにわたしと妻の日常のひとコマがそっくりそのまま。
「おとうさん、ご飯のときは新聞を読まないでください」と、おしゃまな口調の娘。それを受けて「これだけ、これだけ読んだらやめる」と、ろれつの回らない父親役の息子。
「フーッ、まいったな」とため息をつくのに、ニヤッとする妻。「自分のふり見て、わがふり直せってことよ」と痛烈なひと言。
さらにさりげなく見ていると、次から次へと亭主の傍若無人ぶりが演じられていく。しかしまあ、なんと子どもたちの名役者なこと。実に見事な母親役であり、父親役である。その確かな観察力のすごさに驚かさせる。
子を見ればどんな親かが想像できるといわれるが、まさにその通りと実感。と同時に、親に求められる責任の重さに改めて気付く。
大人が何気なしに見せる、ズルさや身勝手さが、批判能力の未熟な子どもたちには選別されずごく自然に吸収される。考えてみれば、実に怖い話だ。
大げさかもしれないが、将来を担うべき子どもたち。彼らに、思いやりの心を育てさせるには、親がモデルになるのが一番。ひとつ踏ん張ってみるかな、わたしも。
(神戸・1987年10月1日掲載)
を再認識
休日、3歳と4歳になる子どもたちの遊びを見ることなしに見ていて、アレッ?と気づく。まさにわたしと妻の日常のひとコマがそっくりそのまま。
「おとうさん、ご飯のときは新聞を読まないでください」と、おしゃまな口調の娘。それを受けて「これだけ、これだけ読んだらやめる」と、ろれつの回らない父親役の息子。
「フーッ、まいったな」とため息をつくのに、ニヤッとする妻。「自分のふり見て、わがふり直せってことよ」と痛烈なひと言。
さらにさりげなく見ていると、次から次へと亭主の傍若無人ぶりが演じられていく。しかしまあ、なんと子どもたちの名役者なこと。実に見事な母親役であり、父親役である。その確かな観察力のすごさに驚かさせる。
子を見ればどんな親かが想像できるといわれるが、まさにその通りと実感。と同時に、親に求められる責任の重さに改めて気付く。
大人が何気なしに見せる、ズルさや身勝手さが、批判能力の未熟な子どもたちには選別されずごく自然に吸収される。考えてみれば、実に怖い話だ。
大げさかもしれないが、将来を担うべき子どもたち。彼らに、思いやりの心を育てさせるには、親がモデルになるのが一番。ひとつ踏ん張ってみるかな、わたしも。
(神戸・1987年10月1日掲載)
を再認識