一時十分。三木からやっと帰りついた。今日はみっきハイキング『三木の歴史短報コース』に参加、13000歩歩いてきたぞ。ちょうど三木は別称公春祭り真っ最中で、三木城址近辺は大賑わい。湯の山街道をふるさとガイドさんのアガイドつきで散策。さほど暑くもなくまさにウォーキング日和。三木城址にたどりつくと、武者行列に出くわした。いいなあ、しばしみとれちゃった。別に奥方の着物姿にうっとりしたわけではないのです。歴史のにおいを醸し出す甲冑姿や、別所長治公のりりしさを再現した若武者のの姿は最高です。近くにある堀光美術館でアート展を満喫。同行者のいない単独参加だったが、実に楽しいウォーキングに!恵比寿駅から三木駅駅の間を二往復してしまったけど、歴史ある三木を堪能するのは、まだまだ。次回に期待して、最後はイオン三木店に入って、おにぎりをパクついた。ひとり行動もすっかり慣れたようだ。
ああ!ダメおやじ
「おとうさん、セミ捕りに行こうよ!」
長男が毎日のようにわたしを誘う。家でゴロゴロしてるよりも、野外を駆け回ってる方が好きに育ってくれたのは、わたしたち夫婦の希望通りで嬉しいのだが、ひっきりなしに誘われるのでどうも困り果てている。
「あなた、子どもに虫捕りやなんか教えてやるのが父親よ。ホラ、頑張って行って来たら」
妻は気楽に言ってくれるが、当事者のわたしとしては深刻そのもの。ギロッと意味ありげに妻を睨んでみるが効果はない。
「どうして子どものお願いを聞いてやれないのよ」
呆れ顔で妻が訊く。こうなったら真実を話す以外、理解してもらえそうにない。
「おれ、ちいさい頃、遊ばん子やったんや。だから、いまもセミやカブトムシ捕りなんかは全然要領が判らんし、何より虫が苦手なんや。手でいじるなんて考えただけでもゾーッとする」
申し訳なさそうに弁明するわたしに、妻はプーッと噴き出した。挙げ句、こう言った。
「ネクラな子どもやったんやね」と……!
そう。わたしは子どもらしさが欠けた暗いタイプの子どもだった。外で遊ぶより、部屋の中でひとり、本を読んだり漫画や絵を描いたりばかりしていた。だから、いまさら子どもの相手を務めたくても、自分の得意分野でない限りまるっきり駄目だ。
「しゃーない。セミ捕りはわたしが引き受けるわ。でも、あの子、父親似でなくて良かったね。子どもらしい子どもでさ。ネクラって、かわいげないもんね」
痛烈な皮肉。子どもとセミ捕りに出かける際、妻の冗談口だが、なんとも複雑な気持ちで耳にした。
しかし、このままじゃ、本当のダメ親父(おやじ)だ。少しはなんとか子どもの期待に応えられるように努力しなきゃあ、なあ!
(神戸・1990年8月20日掲載)
「おとうさん、セミ捕りに行こうよ!」
長男が毎日のようにわたしを誘う。家でゴロゴロしてるよりも、野外を駆け回ってる方が好きに育ってくれたのは、わたしたち夫婦の希望通りで嬉しいのだが、ひっきりなしに誘われるのでどうも困り果てている。
「あなた、子どもに虫捕りやなんか教えてやるのが父親よ。ホラ、頑張って行って来たら」
妻は気楽に言ってくれるが、当事者のわたしとしては深刻そのもの。ギロッと意味ありげに妻を睨んでみるが効果はない。
「どうして子どものお願いを聞いてやれないのよ」
呆れ顔で妻が訊く。こうなったら真実を話す以外、理解してもらえそうにない。
「おれ、ちいさい頃、遊ばん子やったんや。だから、いまもセミやカブトムシ捕りなんかは全然要領が判らんし、何より虫が苦手なんや。手でいじるなんて考えただけでもゾーッとする」
申し訳なさそうに弁明するわたしに、妻はプーッと噴き出した。挙げ句、こう言った。
「ネクラな子どもやったんやね」と……!
そう。わたしは子どもらしさが欠けた暗いタイプの子どもだった。外で遊ぶより、部屋の中でひとり、本を読んだり漫画や絵を描いたりばかりしていた。だから、いまさら子どもの相手を務めたくても、自分の得意分野でない限りまるっきり駄目だ。
「しゃーない。セミ捕りはわたしが引き受けるわ。でも、あの子、父親似でなくて良かったね。子どもらしい子どもでさ。ネクラって、かわいげないもんね」
痛烈な皮肉。子どもとセミ捕りに出かける際、妻の冗談口だが、なんとも複雑な気持ちで耳にした。
しかし、このままじゃ、本当のダメ親父(おやじ)だ。少しはなんとか子どもの期待に応えられるように努力しなきゃあ、なあ!
(神戸・1990年8月20日掲載)
駅前広場と陸橋でつながる百貨店の一階に、その書店はあった。
加古川の駅前に立つと、いつも懐かしい気分に浸る。駅の高架化で昔の面影は消えてしまったが、目を閉じると、四十年前の風景がそっくりそのまま鮮やかに蘇る。
働いていたG書店とライバル関係にあったのはS文館。当時駅前の一等地で手広くやっていた。建物は駅前の再開発で跡形もない。S文館自体は百貨店の一部に吸収されながら、しぶとく生き残っている。
書店は閑散としていた。書棚は綺麗に整理されている。スポーツ雑誌が陳列されたコーナーに立った。プロレス雑誌を手に取る。子供の頃からファンである。
カラーページをひと通り見終わると、元に戻した。棚にそって移動する。店員は少なかった。レジに女性店員が二人、のんびりと雑談に興じている。あの頃はそんな時間はなかった。駅前で好立地に恵まれて一日客足は跡絶えなかった。G書店の方は駅前から三百メートルほど離れた位置だが、負けず劣らず客の出入りはかなりあった。
G書店に就職してまだ一年にも満たない店頭販売員だった。最初に教えられた業務で、毎日加古川駅まで駅留めの梱包された雑誌を受け出しに行った。週刊誌と月刊誌の発売日は競争である。荷台の広い自転車を死にもの狂いで漕いだ。S文館の前に差しかかると反射的に身体を屈めた。別に見つかったからと言ってなにか支障があるわけではない。ただライバル店と言う意識をいつも持っている。それが反応したに過ぎない。
少年週刊誌『少年ジャンプ』の発行日は、朝から緊張しっ放しだった。当時日本一の発行部数を誇る少年漫画雑誌は、とにかくよく売れた。だからライバル店より店頭陳列が遅れると一大事である。もしも売れ残りが一冊でも出ようものなら責任問題だった。返本となれば、次の配本数は間違いなく減らされる。売れ筋の雑誌を減らされては、規模の小さい書店には堪ったものじゃない。
駅の荷受け所でライバル店の店員と対峙して苛々する時間待ちは新米にはきつい。駅の係員は決してどちらかの荷物を後先にしたりはしない。ちゃんと心得ていて、同時に放り出してくれる。後はあんたらが勝手にやってねって調子である。
ただ、駅前にあるS文館と、いくら急いでも五分はかかるG書店では、最初からハンディーがあった。それでも梱包を解き週刊誌を店頭に積み上げるまでの勝負を競った。
S文館との競争は多岐にわたった。実はG書店の経営者とS文館の社長夫人は姉弟の関係である。商売が絡んだ競争相手になれば、肉親とは思えぬ激しい対立になる。
年末には婦人誌の拡販競争。家計簿が付録についた新年号の売り込みは月極め購読につながるから必死になる。売れなければ三十冊余りのノルマ分を自分で贖うはめになる。自室に積み上げた婦人誌を眺めては何度もため息をついた。婦人誌の新年号は特別仕立てのトラック便である。店頭前の歩道に積み上げられた梱包はその場でほどいた。伝票と照らし合わせて部数確認をする。営業回りも助っ人に入って、付録を本誌に挟み輪ゴムや紙ひもでくくる。部数を数えた端から、営業回りは自分が受け持つ地区の配達へ大急ぎで走る。とにかく競争店より一分一秒でも早くお客さんに届けるのが、彼らの仕事だった。
(つづく)
加古川の駅前に立つと、いつも懐かしい気分に浸る。駅の高架化で昔の面影は消えてしまったが、目を閉じると、四十年前の風景がそっくりそのまま鮮やかに蘇る。
働いていたG書店とライバル関係にあったのはS文館。当時駅前の一等地で手広くやっていた。建物は駅前の再開発で跡形もない。S文館自体は百貨店の一部に吸収されながら、しぶとく生き残っている。
書店は閑散としていた。書棚は綺麗に整理されている。スポーツ雑誌が陳列されたコーナーに立った。プロレス雑誌を手に取る。子供の頃からファンである。
カラーページをひと通り見終わると、元に戻した。棚にそって移動する。店員は少なかった。レジに女性店員が二人、のんびりと雑談に興じている。あの頃はそんな時間はなかった。駅前で好立地に恵まれて一日客足は跡絶えなかった。G書店の方は駅前から三百メートルほど離れた位置だが、負けず劣らず客の出入りはかなりあった。
G書店に就職してまだ一年にも満たない店頭販売員だった。最初に教えられた業務で、毎日加古川駅まで駅留めの梱包された雑誌を受け出しに行った。週刊誌と月刊誌の発売日は競争である。荷台の広い自転車を死にもの狂いで漕いだ。S文館の前に差しかかると反射的に身体を屈めた。別に見つかったからと言ってなにか支障があるわけではない。ただライバル店と言う意識をいつも持っている。それが反応したに過ぎない。
少年週刊誌『少年ジャンプ』の発行日は、朝から緊張しっ放しだった。当時日本一の発行部数を誇る少年漫画雑誌は、とにかくよく売れた。だからライバル店より店頭陳列が遅れると一大事である。もしも売れ残りが一冊でも出ようものなら責任問題だった。返本となれば、次の配本数は間違いなく減らされる。売れ筋の雑誌を減らされては、規模の小さい書店には堪ったものじゃない。
駅の荷受け所でライバル店の店員と対峙して苛々する時間待ちは新米にはきつい。駅の係員は決してどちらかの荷物を後先にしたりはしない。ちゃんと心得ていて、同時に放り出してくれる。後はあんたらが勝手にやってねって調子である。
ただ、駅前にあるS文館と、いくら急いでも五分はかかるG書店では、最初からハンディーがあった。それでも梱包を解き週刊誌を店頭に積み上げるまでの勝負を競った。
S文館との競争は多岐にわたった。実はG書店の経営者とS文館の社長夫人は姉弟の関係である。商売が絡んだ競争相手になれば、肉親とは思えぬ激しい対立になる。
年末には婦人誌の拡販競争。家計簿が付録についた新年号の売り込みは月極め購読につながるから必死になる。売れなければ三十冊余りのノルマ分を自分で贖うはめになる。自室に積み上げた婦人誌を眺めては何度もため息をついた。婦人誌の新年号は特別仕立てのトラック便である。店頭前の歩道に積み上げられた梱包はその場でほどいた。伝票と照らし合わせて部数確認をする。営業回りも助っ人に入って、付録を本誌に挟み輪ゴムや紙ひもでくくる。部数を数えた端から、営業回りは自分が受け持つ地区の配達へ大急ぎで走る。とにかく競争店より一分一秒でも早くお客さんに届けるのが、彼らの仕事だった。
(つづく)