こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

コラム・絵手紙に 魅了されて

2015年04月16日 02時07分53秒 | 文芸
絵手紙に初挑戦したのは年明け早々。「下手でいい。下手がいいんですよ」という絵手紙だから挑戦する気になったのです。というのも、娘の結婚式に絵手紙で祝ってやりたいもんだと思いついたのがきっかけ。神戸のハーバーランドまで絵手紙講座を覗きに行きました。そして初心者向けの手ほどきを受けて、すっかりその気になったのです。50の手習いならぬ70前の手習い。墨と顔料、慣れない絵筆のさばき……わずか3時間の講座の間に絵手紙にみりょうされてしまいました。娘の結婚式に、80枚以上の花づくしで絵手紙を描いて、披露宴の招待客にくばりました。結構喜ばれて、もう絵手紙はわたしの趣味道楽のひとつに昇格(?)。いまもせっせと描きためています。え?絵手紙なのに出さないのか?って、うーん。出来栄えがよかったら、とても手放せないもんですね
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ほんまかいな?お医者はん

2015年04月16日 00時53分53秒 | 文芸
ほんまかいな?お医者はん

 不安と緊張に身体をかたくしながら、丸椅子に座ると同時に、
「以上はありませんね」
 と期待に外れた(?)医者の言葉。
 しいて病気を背負いたくないが、夏過ぎからの体調不良が気になっての、三時間ドック受診なのだから、どこか異常があるはずとの先入観が出来てしまっている。だから、胃や肺のX線写真を示しての「異常なし!」には、やや不満だ。
 それでは、この喉の異常は、肩先から背中への変な違和感は、どう説明してもらえるのかと開き直りたい心境だ。
「喉は、煙草の影響かも知れませんね。吸うのをセーブされたら……」
 アッサリ言われても、もう五年になる禁煙歴。ただ仕事柄、第三者の吐き出す煙は、一日中嫌でも喫わされる仕事環境。何をかいわんやである。医者のススメに従うなら仕事を変えるしかないが、まあ無理な話だ。
「背中ってのは、その下部に内臓が少ない部位なんですよね」
 医者の説明にふんふんと頷く。しかし、それがいま自分がかかえる症状にどうかかわりがあるのか?
「だから、ここにはこれという病気はないんです。まあそんなに気になるんでしたら、ひとつ貼り薬を使ってみるのもてかも知れませんね」
 すると、この違和感は肩こりってわけですか。
「貼り薬?フフフフフ。じゃあどこも悪くないんじゃないの。ほんとに大袈裟なんだから」
 吹き出す妻。
 夫の気持ちを考えれば、もう少し言い様がありそうなもんだが。考えてみれば無理もないかな。
 人間ドックを受ける前日に、暗い真面目な表情で、
「もし何かあったら、お前、子どもたちのこと、よろしく頼むぜ」
 と口にしてるんだ。いまになって思えば、実に滑稽な場面である。
 しかし、家族に頼られる大黒柱としては、体の不調を深刻に受け止めて悩むのは当たり前。まして、夫婦二人で切り盛りしている、貧乏喫茶店の主力の片割れときては尚更だ。
 ただ多少オーバーだった面もあったと認めはするが、それは男の責任感がそうさせたとしてほしい。まあ男の身勝手さといわれればグーの音も出ない。
 妻のからかいにムッと来たものの、もう六年になる夫婦生活。お互いの本音と建前はどちらも暗黙の了解事項。キャピキャピと我が儘に振る舞う裏に、ちゃんと通している妻の思いやりがあるのを知っている。
 さて、人間ドックってのは、あえて進んで行きたくないところだが、もう四十になる身で、自営者ときては、これからも末永く付き合うだろうと予感がある。
 自分ひとりの体ではない。妻や子どもら家族の幸福を守るためにも、必要不可欠な健康なのだから、定期検診は怠れない。
 家を持つ夢や、趣味のグループでの一大イベント実現への計画……まだまだやりたいことが山ほどあるのだ。
(朝日・昭和62年10月29日掲載)
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詩・ペット

2015年04月15日 14時23分15秒 | 文芸
ペット

「フクちゃん!
フクちゃん!」

名前を呼べば
キョトキョトと
見あげる

手を出せば
ガサガサと
寄ってくる

手の餌を
モグモグと
食べている

わたしの
さびしさも
いっしょに
食べてくれている
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コラム・舌ったらず

2015年04月15日 11時14分05秒 | 文芸
舌ったらず

 仕事から戻ったわたしに、三歳になる息子が懸命に喋りかけてくる。舌っ足らずの言葉でよく判らないが、どうも保育園の話題らしい。
 先生がどうとか、友達がこうとかを話している彼の目はキラキラと輝いている。
 頭を傾げて訊いてやったり、「それでどうしたの?」と尋ねてやると、思い切り身を乗り出して話し掛けてくる。まるで機関銃みたいに。
 ああ、子どもって、こんなにもお喋りだったんだなあと気づく。
 グループ活動を主宰しているので、十代、二十代の若者たちと、よく行動をともにするが、どうも会話が成り立たない。何を話しかけても、生返事か無反応の一方通行。
 自分の意見を言うときも、しらけた表情で、ポツリ。いちばん戸惑うのが、そんな時の彼らの表情と目。全く生気が感じられない。特に他人の話を訊く姿勢が最悪。まるで機械と会話している気分にさせられる。
 息子のはつらつとした喋りの様子を目の前に、
「みんな、ちいさい頃って、こうだったんだろうな」と思ってしまう。それが、なぜあんなにも変わってしまうのだろうか。
 時代が変わったから。受験競争のせい、核家族化のせい、ファムコンゲームのせい……次々と頭に浮かぶ。そして、いつもの結論に落ち着く。やっぱり親なんだとーー!
 だって、ほら。息子はわたしが耳をかたむけてやるだけで、こんなにも勢い込んで喋ってくれるんだから。
(神戸・昭和62年9月9日掲載)
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絵手紙

2015年04月15日 09時26分26秒 | 趣味的ライフ
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コラム・ビックリの「ミンミ、ミンミ」

2015年04月15日 00時27分01秒 | 文芸
コラム・ビックリの「ミンミ、ミンミ」

「ミンミ、ミンミ」
 自分の耳を疑った。それに目が丸くなった。じーっと観察した。
 目の前の、一歳を過ぎたばかりの次男は、耳に手をやって何回も繰り返した。間違いなく彼は“耳”と言っているのだ。予期していなかったぶん、かなり驚いた。
 これまで「マンマ」しか言えなかった次男の口から、次に出て来る言葉を心待ちにしていたのに、ちょっと意外な「ミンミ」だった。
「ウソよ。まだ耳なんて言えやしないわよ」
 最初は全く信じなかった妻。でも、耳たぶをつまんで、おもむろに「これ、なーに?」と聞くのに、次男がはっきりした口調で「ミンミ、ミンミ」。さすがに疑り深い妻も、信じざるを得なかった。
「でも、どうして耳なのかな?」
 妻のつぶやきに、ハッと思い当たった。
 この春、次男はハシカにかかり、高熱で苦しんだ末に中耳炎をやった。ハシカの前にも中耳炎で病院通いをしていたので、都合五週間も耳の治療を受けた格好だ。
 切開しての治療でずいぶん痛い目にあったのが、よほど印象に残ったのだろう。それで「ミンミ!」なのだ。
 理由が判り納得できると、妻とふたり、顔を見合わせて笑ってしまった。
「おい。痛かったのか?」
「ミンミ、ミンミ」
 セミの泣き声そっくりに、次男は言い続けた。
 さて、次の次に次男が口にする言葉はなんだろう?そして、その理由は?やっぱり痛い目にあわないと駄目かな?
 そんなこんなの想像は、目が回る忙しさの子育ての中で味わえる楽しみなのである。
(神戸べんりちょう・平成二年7月掲載)
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絵手紙

2015年04月14日 13時32分45秒 | 趣味的ライフ
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コラム・肩こりおまかせします

2015年04月14日 10時26分12秒 | 文芸
肩こりおまかせします

「お願い。ちょっとひねってちょうだい!」
「なんや。またかいな」
 呆れ顔ながら、夫は心得たもの。腕まくりをして、肩をグイグイと揉んでくれます。これがよく効いて実に気持ちがいい!
「う~ん、いい。そこそこ、もっと!」
「ほんまに痛いないんか?こんだけ力いれてんのにのう。けったいなこっちゃ」
 生まれてこのかた、肩こりとは無縁の夫。肩こりの辛さ煩わしさなんて知るはずもなく、当然肩こりに何がどう効くかなんて論外。
 一方、父親から受け継いだ、有り難くない慢性の肩こり症。小さい頃から、しょっちゅう「おとうさん、おかたを、たたきましょう~♪」って具合に、タントンタントンやらされていたわたしは、自然に肩こり通へ成長!
 そのプロフエッショナルが微にいり細にいる指導(?)で長年にわたる実地訓練を行ったのです。もはや夫は超一流の腕前。しかもなんとわたし専属!もう手放せませんよ。
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コラム・菜の花の記憶

2015年04月14日 01時07分25秒 | 文芸
菜の花の記憶

 朝早くに田舎の父が、
「ほら、春の味や。料理して食べろ」
 と、いっぱい菜の花を摘んできてくれた。
 ところが、さて調理の段になって、菜の花を手にひと思案。夫婦そろって菜の花を食べたことがないから、調理法に見当がつかない。
「まずアク抜くのよね」
「ワラビと一緒だろ」
「でも灰がないし…」
「油で揚げたらどうだ。精進料理みたいにさ」
 と、ケンケンガクガクの末に、料理書を引っ張りだしてみたりしたが、結局、父に電話をかけて訊いた。
「ウーン。わしもよう知らんのやけど…湯がいて水にさらしてみたらどうだ」
 と案に相違して、えらく自信がなさそうな口ぶり。それでも、野菜づくりに長年親しんできた父の言葉だからと、さっそく実行した。湯を沸かして菜の花を放り込む。三分ちょっとで鍋ごとおろして湯を捨てる。すぐに冷水にはなつ。
 ひと晩、水にさらした菜の花を、おひたしと胡麻和えにした。結構いける味である。ちょっぴり残る苦味も、春の味わいと考えれば、気にもならない。
「菜の花が、こんなふうに食べられるなんて知らなかったわ。これが本当の季節の味なのね」
 町育ちの妻はキャッキャッとはしゃぎながら食べている。
「オレも知らなかった……」
 言いかけてハッと気づいた。
 知らなかったわけじゃない。忘れていたのだ。
 口の中に広がる自然の味わいが、遠く懐かしい子供時代を思い出させてくれた。タンポポ、ツクシ……なども口にしたっけ。そう、菜の花も、母が料理して食べさせてくれたんだ。
(サンケイ・昭和63年4月14日掲載)
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タケノコご飯作ったぞ!

2015年04月13日 20時16分14秒 | 文芸
タケノコご飯を炊いた。わが家の裏手にある竹やぶで毎年春先にニョッキリ顔を出す。掘るのはひと苦労だけど、掘りたてのタケノコの香りは最高だ。ほとんど地表に出てないから、皮も黒くない。灰汁も少なめで、うまくいけば、生食だっていけるそうだ。米汁で湯がいたのを水にさらして、さあ料理だ。薄口と塩で味を調えたタケノコご飯の上品な味は、もう何もいうことはない。タケノコの天ぷらも歯ごたえが良くて、とにかくおいしい!やめられない、止まらない!のである。
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