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定年あいさつ

2006-09-21 | 教育
06/3海保博之(このメールは無断での転送自由です。) 

       定年にあたり、ご挨拶

   筑波大学人間総合科学研究科(心理学専攻)海保博之
   現在、東京成徳大学人文学部 福祉心理学科

●25歳で国家公務員・助手に
当時、徳島大学助教授の松田隆夫先輩からのお誘いで、東京教育大学教育学部の大学院博士課程を1年で中退して、25歳の時に徳島大学に助手として赴任したのが、大学教師としてのスタートでした。なんと、スキー骨折のため、杖をつき母親に付き添われての赴任でした。
徳島大学時代に、結婚もし子どももさずかりました。地方都市の豊かさのなかで生活をたっぷりと楽しみました。7年間、徳島におりました。すばらしい思い出ばかりです。
研究のほうも、それなりに成果があがりましたが、5年を過ぎる当たりからやや研究上の刺激がほしくなりつつありました。当時は、今と違ってインターネットもありませんでしたので、地方大学のアカデミック環境は都市部の大学とは格段の差がありました。

●創設直後の筑波大学に転任
そんな折、恩師の金子隆芳教授よりお声をかけていただき、筑波大学創設の翌年1975年7月に、体育芸術棟だけしかなかった時に、筑波大学に転任してきました。
それはもう言葉ではいいつくせないほど、ひどい環境でしたが、日に日に新しい建物や道路ができ、人もどんどん増えるのをみながらの辛抱ですから、耐えられないものではありませんでした。
しかも、こんな環境だからこそのお互いの助け合いも生まれました。大学の先生はもとより、事務の方々、他の研究機関の研究者の方々、さらにそれらのご家族とも幅広くおつきあいいただきました。そういう時期に親しくしていただいた方々がどんどん身の回りからいなくなりつつあるのを見ても、また、そんな時の生活のベースになっていた公務員宿舎の取り壊しも決まったりで、何かと自分の身の引き際を感ずる咋今でした。


●筑波大学とともに歩んだ30年
筑波大学の創設期、成長期、成熟期の30余年、筑波大学と共に歩んできました。とりわけ成熟期までの、あらゆることやものが成長する中での生活と仕事とは、厳しくもはりのあるものでした。
40歳代、50歳代と、研究面でも本当に我ながらいい仕事ができたと思っています。このあたりについては、付録のほうをお読みいただければと思います。
また、法人化という大学組織の大改革にも、心理学研究科長および附属高等学校の校長という立場からかかわることになり、いろいろと得難い経験をさせていただきましたのも、思い出に残っています。
19年度より人間学群、心理学類が新しく立ち上がるのを見られないままに去ることになるのがほんちょっと心残りですが、外から陰ながらその発展を祈念しています。

●これからは、若者の教育中心で
定年後は、大先輩の岡田明先生からお声をかけていただいた東京成徳大学人文学部福祉心理学科のほうで、教育・研究に携わる予定です。たくさんの知り合いがいる職場ですし、家から通勤できるところですので、安心です。
この年になれば、どうがんばっても、研究のほうで力を発揮しようとしても高がしれています。それでも、ヒューマンエラー、安全については、まだまだ社会的にお役にたてるうちは、老骨にむち打って、やっていきたいと思っています。
一番力を注いでみたいと思っているのは、やや遅きに失した感はありますが、若者の教育です。講義で演習で若者を引きつける授業をあれこれと工夫をしてみたいと思っています。若者に伝えたいメッセージもあります。さらに、若者の研究心にも、気持ち穏やかにしてつきあっていきたいと思っています。

●皆様のご活躍を祈念しております
今こうして挨拶原稿を書きながら、しきりに胸をよぎるのは、「よくぞ、ここまできたなー」という気持ちと、「ずいぶん、人に助けてもらったなー」という気持ちです。
「あの時もしあーなっていたら/あーなっていなかったら、今の自分はなかった」との思いも強くあります。
運の良さと人の助けにどう感謝したらよいか、天を仰ぐ気持ちになることしきりです。
この気持ち、思いを胸に秘めて、残りの人生をまっとうしていきたいと思っています。
皆様の今後のご健康とご活躍を心より祈念しております。
またどこかでひょっこりお会いできるのを楽しみにしております。

なお、定年退職にあたり、とりたたててのセレモニーは企画しておりません。セレモニー嫌いのためです。
この書状/メールをもちまして、退職のご挨拶とさせていただきます。勝手をお許しください。
ありがとうございました。

●最後に一つ、心残りが
 心残りが一つあります。学位も取得し、受賞するほどの優秀な論文もある若手ポストドクター2人の就職が決まりません。いろいろ努力してみましたが、人事は「ひとごと」でうまくいきませんでした。
心あたりがありましたら、是非、お声をかけていただけると助かります。

平成18年3月

連絡先
○自宅(昨年5月に引っ越しました) 

○ブログのURLもあります。お暇な時にでもご覧ください。
  http://ameblo.jp/hkaiho/entry-10007673894.html
○勤務先大学
276-0013 千葉県八千代市保品2014
東京成徳大学 人文学部 福祉心理学科
電話 047-488-7236(直通)
ファクス(間接) 047-488-7114
******
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付録1*************************
定年あたっての挨拶(速報つくばより)

本学開学記念日10月1日は自分の誕生日でもある。そんなこともあり、勝手に筑波大学とは相性がよいと思いこんで、ここまで足かけ31年間にわたり居座り続けさせていただいた。
大学の草創期から成長期そして成熟期と、自らの研究者、教育者としての成長の段階とを同期させながら、ここまできた。無い物づくしの草創期、基盤整備が終わってからの遮二無二な成長期、あちこちにややがたがきてきしみが出はじめた成熟期。それは、筑波大学のことでもあり、自分のことでもあった。
しかし、時と法は無情である。自分は3月で筑波大学を去らざるをえず、新天地に放り出される。筑波大学は、法人化で新たな草創期へと入る。どこまでも、筑波大学と同期した人生になるようにもみえるが、さすがに、それもそろそろ終わりのようである。
新たな成長に向けて筑波大学の発展を衷心より祈念するものである。

付録2*************「筑波フォーラムからの転載」
「マニュアルとヒューマンエラーともに、20年」
●研究だよりでお許しを
平成18年三月末日で筑波大学を定年になります。
「定年まで5年を切った教官は大学院生をもたない」という専攻内の申し合わせのため、次第に院生が減りつつあり、現在は、日本学術振興会のPD1名と2名の院生、卒論生1名になりました。否が応にも、研究室の店仕舞いの態勢に入りつつあります。こんなときに研究「室」だよりはないでしょうというわけで、自分の研究だよりでお許しいただくことになります。
そうはいっても、ちょっとだけ、研究「室」だよりを。
 これまでの研究室のポリシーとして、認知心理学という大枠は掲げてはいるものの、指導できる範囲内であれば、基本的に、「来る者こばまず、去る者大歓迎」「研究テーマはやりたいものをやってよい」ことにしてありましたので、今いる5名の院生の研究デーマは、次のようにかなりバラエティに富んでいます。
・人工物を介した対話の特性と最適化
・心的演算をめぐる諸現象とその認知メカニズム
・ワーキングメモり(作業記憶)の個人差と言語情報処理
・記憶検索における抑制と促進
・読書時のオンライン自動的情報処理
このうちのいくつかのテーマは、それなりに指導はできると思ってはいるものの、「そんなテーマで研究して何がおもしろいの?どんな役に立つの?」と思ってしまうようなものも実はあります。でも「やめたら」とまでは(できるだけ)言わないようにはしています。自分も30代終わりまではそんな研究をしてきましたし、もしかすると、彼らの中から第2の田中さんがでてくるかもしれないからです。研究評価は本当に難しいですね。

●マニュアルとともに、20余年
 さてでは、「研究だより」それも「回顧(自慢話?)編」です。
 次の2冊の本の出版が、それまでのほぼ20年にわたる基礎的・実験室的研究から応用研究のほうに軸足を移すきっかけになりました。これは、自分の研究生活の上で、劇的な変化でした。
・1987年「ユーザ読み手の心をつか  むマニュアルの書き方」(共立出版)
・1988年「こうすればわかりやすい  表現になる---認知表現学への招待」  (福村出版;絶版)
 いずれも、ユーザ、読み手、聞き手の頭の働きのくせにあった表現とはどのようなものであるべきかを考えてみたものでした。
この本の出る5年前頃から、ワープロが急速に普及してきました。それに比例するかのように、そのマニュアル(取扱説明書)がわかりにくくて困るという苦情がメーカーに殺到してしまい、弱り抜いていたようでした。
そんな時でした。日本IBM(株)の大和研究所の人間工学のセクションでマニュアル評価の仕事をしていた加藤隆氏(現在、関西大学教授/総合情報学部長)から、認知心理学の立場から、これを解決する方策がないかと相談されたのがきっかけで、マニュアルの世界に足を踏み入れることになりました。
どんなことをしたかというと、認知心理学をベースにして、「ユーザはマニュアルをこんな風に読んでいる」「マニュアルを読んでいるときにこんなことを頭の中でしている」だから「こんなふうにマニュアルを書いてくれるとわかりやすくなるはず」という提言をしてみたのです。

 上記の2冊の本は、それをまとめてみたものです。

 これが大受けでした。打ち出の小槌か魔法のようにでもみえたのでしょうか、あるいは、わらにもすがる気持ちもあったのでしょうか、あちこちのメーカーなどから、共同研究やセミナー・講演の申し出が舞い込みました。
年齢も40代中頃、研究者として最も油の乗り切っていた時期でしたから、どんな依頼仕事も楽しく、しかも楽々とこなすことができました。人生で一番有能感を持てた時期でした。
●どんなことを提言したか
提言の内容をもう少し具体的に言うと、マニュアルのユーザ支援機能を5つ設定して、それぞれについて、たとえば、こんなことを提言してみました。
1)操作支援(操作を指示する表現はどうすべきか)
・1文1動作で
・操作ー結果ー操作のサイクルを示す
2)参照支援(情報を探しやすくする)
・出来上がり索引を使う
・目次はユーザのタスクを考えて作る
3)理解支援(わかりやすくする)
・操作の目標を先に示す
・専門用語の使い方を慎重に

4)動機づけ支援(読んでみたいと思わせる)
・出来上がりを最初に示す
・実益を感じさせる
5)学習・記憶支援(覚えるべきことを覚えやすくする)
・基本操作を習熟させる
・実用的な練習問題を提供する

 さらに、こうした提言が実用的かどうかを検証するための実験・調査や、実際のマニュアルを使っての評価実践もやってみました。
 そして、20年にわたるマニュアル研究の区切りの意味を込めて、昨年(2002年)、「くたばれ、マニュアル---書き手の錯覚、読み手の癇癪」(新曜社)を上梓しました。タイトルはかなり刺激的ですが、内容は至ってまじめなものです。

 残念ながら、こちらの本への反響は前著にははるかにおよびませんでしたが---それでも、アマゾン・コムおおすすめ度5です---、自分の研究歴の中ではおさまりのよいものでした。
●研究室の外に出てみると
 自分のやったことは、というよりやれたことは、認知心理学の基礎研究の中でつちかった「研究力」を、現実に発生している問題解決のために使うことでした。 ここで、研究力とは、一つは認知心理学の知識と研究技能、もう一つは、問題をとらえる感性や視点です。
 幸いなことに、当時の自分の研究力と、現実世界で発生しているマニュアル問題の解決の要求内容と水準とがぴたりとマッチしていたのが、うまくいった--あくまで主観的ですが--理由だと思います。

 これからの10年(くらいはまだ現役でいたいものです)。まだまだ残っている(と思い込んでいる)研究力を現実問題の解決に役立てるべくがんばりたいと思っています。

 そのがんばるためのもう一つの隠れテーマについて、最後に一言。
●もう一つの隠れテーマ-----ヒューマンラーの心理学
実は、マニュアルの研究とほぼ時期的に並行して、ヒューマンエラーについても、研究と評論活動?をしてきました。

 これも、マニュアルの本とほぼ同時期の1986年に出版した「誤りの心理を読む」(講談社現代新書;絶版)がきっかけでした。

 その本は、アメリカでの在外研究の日常的な体験から、「誤り」についての文化差が気になり、それを心理学的に考えてみたものでした。趣旨は、「誤りながら創造的に生きる人間像」を浮き彫りにしてみたいというものでした。

 それが誤読されてしまったのでしょうか、プラント(工場や発電所など)の安全管理や研究をしているところから声をかけていただき、あちこちの委員会や研究所やプラントに出入りしたして、大胆にも、認知心理学の立場からヒューマンエラー防止の提言などをするようになりました。

 そうこうしているうちに、マニュアルの研究でつちかったものが、「わかりやすさ」をキーワードにすると、こちらでも活かせることに気がつきました。

 つまり、わかりにくさがエラーを誘発するという問題です。
 マニュアルのわかりにくさもそうですが、案内表示や危険表示などの各種の表示などが、エラーを引き起こしていることに気がついたのです。

 そこで、人と機械/人工物との接点での情報交流、つまりインタフェース研究にも足を踏み入れるようになりました。

 最近は、インタフェースについての興味関心は薄れてきて、「エラーと心的機能の自己管理不全」の問題のほうをやっています。「がんばればエラーをしない」という精神論になりがちな危ない話ですが、心理学を知ってもらうことが、自分なりにエラー防止の工夫をすることになるはずとの思いで、やっているものです。

 最近は、もっぱら啓蒙的な活動になっていますが、応用心理学の大切な課題ですので、求められればどこにでも出ていくくらいの気持ちで取り組んでいます。

多分、これから数年くらいは、ヒューマンエラーの仕事のほうに軸足を移していくことになると思いながらも、文系と理系の心理学、心理学方法論などまたぞろ昔のアカデミック心理学の世界にもちらほらと関心を向けたりしている昨今です。
***
「筑波フォーラム第65号」(2003/7)「研究室だより」の転載









飲酒運転

2006-09-21 | 安全、安心、
飲酒運転には、飲む前の意図性が強くかかわっている。
今日は、飲むけど運転して帰るか
飲むので、運転はやめるか
飲む前からかなりはっきりと決めている。
それによって、飲む量などを調整している。
ところが、飲むにつれて、アルコールによって、その意図性が貫徹できなくなる。
飲んでる場所に車があれば、ますます、意図はあいまいになってくる
そこに、飲んでも運転してしまう誘惑がある。

飲むなら、せめて車は、その場に持っていかないこと!!

ヒューマンエラーの観点から都市交通の安全への提言

2006-09-21 | ヒューマンエラー
05/8/17海保
111112222233333444445555566666
30文字/1行  
400字 25枚で10000字  333行  8.8枚
筑波大学心理学系 海保博之
「ヒューマンエラーの観点から都市交通の安全への提言」

はじめに
タイトルにある「ヒューマンエラーの観点から」はやや違和感のある表現かもしれない。別の用語を使うなら、「人の心と行為の特性という観点から」になる。「To  err is human」とも言われるように、人の心と行為には、エラーが構造的に組み込まれていて、それが時折安全を脅かすので、あえて、この表現を使ってみた。
そして、本稿では、「運転者・乗客のこんなヒューマンエラーが都市交通の安全を脅かしているから、安全管理者はこんな施策をとったらどうですか」という提言をしてみるつもりである。
話しの大枠としては、図に示すような「使命ム計画・実行・評価サイクル」のそれぞれの段階で発生する4つのタイプのヒューマンエラーを想定して、それを低減させる、あるいはそれを事故につなげない方策を提言してみる。

図1 使命ム計画・実行・評価サイクルとヒューマンエラー


 なお、4つのタイプのエラーとは、次のようなものである。
○使命の取り違えエラー
 組織や個人が設定した安全第一という使命が、定時運行や競争勝利や顧客満足などの仕事上の使命を優先したために起こるエラーである。
○思い込みエラー
 誤った状況認識によって誤った計画(目標)を立ててしまいそれを忠実に実行してしまうエラーである。
○うっかりミス
 実行段階で計画とは違った行為をしてしまうエラーである。(エラーとミスは本稿では同義と考えておく) 
○確認ミス
 行為をしたときに、それが計画と一致しているかどうかをチェックすることを怠ってしまうミスである。
* 
提言その1 定時運転の呪縛を緩めるーー安全より定時を優先してしまう使命の取り違えエラー

●日本の鉄道はなぜ世界でも最も正確なのか 
この小見出しは、「定刻発車」(三戸祐子著、新潮文庫)の副題である。江戸時代の参勤交代にまでさかのぼっての定刻通り遵守の交通文化の起源、それを保証するための人(乗客も含む)もその一部に取り込んだ精緻な管理システム構築の現実を余すところなく書き込んだ好著である。
これを読むと、列車の2,3分の遅れくらいどうということはない、とは安直には言えなくなる。それくらい定刻発車は日本の鉄道に構造的に作り込まれたシステム文化なのである。

●それでも定時運転の呪縛は安全の大敵
時間は誰しもがそれなりに利用している。時間のおかげで社会生活が円滑に営まれている。時間は、目に見えない重要な社会的インフラの一つである。そのインフラが極めて強固な日本において、定時運転が乗客のみならずシステム運行管理者から強く期待されるの当然である。
しかし、事が安全に関わるときは、定時の呪縛はネガティブな面をみせる。定時を遵守する以上に大事な安全がそのために犠牲にされてしまうことになるからである。

●状況と人の変化が定時を許さない
現場は時々刻々変化し多彩である。いつもと同じ状況で同じ心理状態で仕事ができることはまれである。
ホームの混雑や交通渋滞に巻き込まれるかもしれない。人間である限り、気になることがあって運転に集中できないといった個人的な事情も発生するかもしれない。そんな中でも動かさなければいけないのが公共交通の仕事である。
そこに、さらに定時運転の呪縛がのしかかってくれば、運転者のストレスは、想像を絶するものがある。安全運転の制約をはみ出てしまう運転が発生しても不思議ではない。
このことの認識が、乗客も含めてすべての関連する人々の間で共有されることがまずは必要である。
 
●運行の現状と予測情報を提供する
その認識を共有した上で、定時からはずれた運行が発生していることを知らせる情報システムを用意する。
たとえば、公共バスでは、運転側も乗客側も定時運転の呪縛からすでに解き放されているようにみえる。それほど都市部では交通渋滞が慢性化してしまったからである。それでも乗客がバスをそれなりに利用しているのは、主要路線の一部ではあるが、運行状況を知ることのできる情報が提供されているからである。あと何分待てばよいかがわかれば、それなりの心理的準備も対応も取れる。
これがまた運転者から定時の呪縛を幾分なりとも解き放すことに役立っている。

●それでも安全第一で
現場には「安全第一」を「安全第二、第三」にさせるものがたくさんある。定時運行はその一つに過ぎない。
たとえば、バスのブレーキの効きが悪くなった。運行をストップするかどうか。駅まではあとわずか。ここで運行中止を決断するか(安全第一)、それともここで止まってしまえば乗客に不便をかけるのでなんとか駅まで走るか(安全第二)。
こんな判断はごく日常的に発生している。安全運行規定マニュアルを整備しておいても、それが活かされないほど厳しい現実が時には現場にはある。さらに、想定外の状況も発生する。
そんな時にでも、ともかく「安全第一」の判断させるには、組織としてきちんと安全第一の使命を掲げ、さらに、それが現場で活かされるように、絶えずその使命を明示し、さらにそれが現場で活かせるような具体的な方策を提供しかなければならない。
**
提言その2 わかりやすい情報を提供するーー誤った知識を使ってしまい思い込みエラー

●駅を通過してしまった
コンピュータ化のお陰ではないかと思うが、特急、急行、準急、普通と、実にさまざまな列車が同じ線路上を走っている。そして、停車駅のすっとばしやオーバーラン、原因は「急行だと思った」との運転手の勘違い、という定型ニュースを時折、見聞きする。
作業内容の変更、システム更新、配置転換などが、こうした勘違い、思い込みエラーを誘発する強い誘因となる。
勘違いや思い込みは、頭の中にある知識が引き起こす悪さである。状況は同じあるいは類似、そのために旧知識を使って誤った状況認識をしてしまい、その状況には不適切な行為をしてしまったものである。
これを防ぐには、こうした誘因を排除すればよいのだが、人員配置計画や労務管理上だけでなく、仕事の効率化やモラールの上でも難しいこともある。となると、旧知識をつい使ってしまうようなことにならないような工夫が必要となる。
長期間にわたる仕事から新しい仕事への変更時、逆に頻繁な変更が発生するような時には、変更に応じて状況をがらっと変えることで「変更」についての適切な状況認識ができるように支援する必要がある。
たとえば、急行と鈍行では運転室の照明やレイアウト、さらに運行表の体裁を変えるのである。

●乗客も思い込みエラーをする
人は誰しもがそれなりの地図を頭の中に持って動く。認知地図という。たとえば、地下鉄を利用するために地下に入ると、いつのまにか、方向感覚が狂ってくるが、それでも自分なりの認知地図に頼って動いてしまい、逆方向の電車に乗ってしまう、とんでもない出口から出てしまうなどなどの失敗をおかしてしまう。これも思い込みエラーの典型である。
乗客管理の上で、こうした思い込みエラーはできるだけ未然に防ぐ手立てを講じておいたほうがよい。緊急時などに役立つからである。
対策の王道は、地上でも同じであるが、通路をシンプルな構造にして認知地図との照合がしやすくすることである。4回右に曲がれば、元に戻れるようにする。人の出入りの激しいところでは、こうした配慮が設計段階からなされるようになってほしいものである。
次は案内表示である。
案内表示には、ルートマップ方式とサーベイマップ方式とがある。前者は、あっちへ行くとどこ、どこそこへ行くにはこっちといった方式、後者は鳥瞰図的なマップである。
認知地図は、サーベイマップ形式であるので、それに照合しやすい表示が有効であるが、その時一回限りの案内表示には、ルートマップ方式のほうが便利で有効である。その案内の具体的な表示の仕方にまでは、ここでは立ち入らないが、図に一例を示すように、そこにも、人の知覚特性にかなった表示のリテラシーがあることは知っておいてよい。

図2 案内表示の例 

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提言その3 スピードと利便性の折り合いをつけるーー速さはうっかりミスの大敵

●スピードギャップが問題
移動物体の時速60キロは、1分で1キロ、1秒で17メートルになる。たった1秒間のぼんやり、脇見でも、17メートルも動いてしまう。その間に魔の一瞬がおとずれるのである。
しかも、人の側での一瞬への対応スピード(行為の時定数)もたかだか200ミリ秒である。その間に時速60キロの移動物体は3.4メートルも進んでしまう。しかも、慣性も働くので、この何倍もの距離を移動してしまう。
人と移動物体のこうしたスピードギャップが、事故の強い誘因になっている。

●速すぎて事故
 多くのついうっかりは、その行為が起こった瞬間に気がつく。
したがって、訂正行為ができる。しかし、この間にも数秒の時間がかかる。移動物体のスピードが速いと、この数秒が命取りになってしまう。
 スピードが速くなることは、利便性と直結する。したがって、利用者は歓迎する。しかし、ひとたび、不具合が発生すれば、
その影響するところは、スピードに比例して大きくなる。
 リスクとリターンの折り合いは、永遠の課題である。これは、
その領域内では解決不可能である。最近、あちこちで話題になっている環境リスクーー車公害もその一つーーというような別領域からの観点を導入してみるのが良さそうではある。
 しかし、個人使用が圧倒的に多い車のような場合は、かなりのところまで個人的な努力に期待せざるをえない。それも、注意の自己管理という極めて扱いの難しい問題に直面することになる。


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提言その4 ワンマン運転の支援体制を整えるーー注意管理不全でうっかりミス
 
●車掌がいなくなる
バスや市電から車掌がいなくなったのは、いつ頃からであろうか。名古屋市営バスでは昭和26年にすでにワンマンに踏みきったらしい。最近、2両編成の電車で車掌なしのに乗ったこともある。
車掌の仕事の一部は、機械化されたものの、残りは運転手が抱え込むことになった。このことによって、事故が増えたというようなデータの存在は、寡聞にして知らないが、しかし、ワンマン運転は、安全の制約ぎりぎりのところでの仕事であると思う。一つの事例研究のつもりで、その危険性と対処を考えてみることにする。

●あれもこれも一緒には危ない
同時にいくつもの事をするのを多重課題と呼ぶ。歩きながら物を食べる、運転しながらラジオを聞くなどなど。我々は日常的に多重課題をなんなくこなしている。
多重課題がこなせるには、2つの条件を満たす必要がある。
一つは、いずれかの課題が、努力なく自動的におこなえること。たとえば、歩く、運転するのは(ただし、習熟している人が普通の状況で運転しているとき)、ほとんどそれに注意をさく必要がないので、もう一つ別のことができることになる。たとえそれが、多少は意識的な努力を必要とするものであっても。
もう一つの条件は、課題の処理に使う心身機能が異なっていること。カーナビの音声指示に従いながらの運転はできるが、地図を見ながらは無理。運転と地図は視覚モードを共に使うからである。
ワンマン運転では実にたくさんの課題を一人でこなしている。その中には多重課題になっているものもある。運転しながらの案内や乗客対応など。
多重課題をこなせるのは有能さの証のようなところがある。しかし、多くの多重課題の処理事態では、注意資源を目一杯使っている状態なので、さらに注意を注がないと課題の解決ができなかったり、もう一つ注意を必要とする課題が割り込んでくると注意管理がうまくいかなくなって、ミスが起こりがちになる。
多重課題は、一瞬の不注意が事故に直結してしまうような運転作業の場ではできるだけ避けたいが、現実にはそれでは仕事にならない。
そこで、多数の課題が並列にならないように系列化してそれに習熟しておく、さらには、乗客からの運転手への不意の割り込み質問などを禁止するような措置もあってよい。
さらにこれは一つの思いつきに過ぎないし、すでにどこかで実施されているかもしれないが、車内案内ボランティアを募るような方策も一考に値する。元気な高齢者が増えてきた。ボランティア募集には苦労しなであろし、高齢者の乗客にとって何かと助かる。運転者にとっても、運転により集中できることになる。一石三鳥の効果を期待できる。

●自己管理の難しさ
組織の一員として仕事をしている時は、ワンマン運転のように一人で仕事をしてはいても、それを支える多くの人々がいる。しかし、長時間のワンマン状態での仕事は、自分で自分の心身を管理する努力を要求することになる。
心身の自己管理には、自分自身の今現在の心身の状態をきちんと把握すること(モニタリングすること)と、それにふさわしい行為ができるように自己コントロールすることの2つがある。たとえば、疲れを自覚したら、休憩をするようにするのが適切な自己管理である。
こうした適切な自己管理のすべを、知識として持つこと、そしてそれを使いこなすことを、安全研修などで伝え、訓練しておく必要がある。
それに加えて、「情報的に」ワンマンにしない工夫も必要である。情報ヘッドクオータとのコミュニケーションがいつでも取れるようにしておく。親密度を高めるコミュニケーションでもよい。ちょっとしたヒヤリパット体験の連絡でもよい。ともかく、「ワンマン」ではないことを実感できるコミュニケーション環境を作り込むことが必要である。

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提言その5 ついうっかりを事故につなげないーー確認行為が形骸化してしまい確認ミス

●ついうっかりが一番多い
エラーにはいろいろあるが、事の大小を問わなければ、うっかりミスの発生頻度が最も高い。そして、その多くは、おかした瞬間に気がつくので、訂正行為をすることで事なきをえる。
なぜおかしたとたん気がつくかというと、行為をするときに、その目標を意識していることが多いからである。速度を緩めるという目標を実行するためにブレーキを踏むという行為をする。その時、アクセルをついうっかり踏んでしまいスピードが出てしまえば、すぐにしまったとなり、ブレーキを踏み直す。その間、幸運にも何もなければ、ヒヤリハット体験くらいで済む。
なお、思い込みエラーは、確認をすり抜けてしまう。自分では正しいと思っている目標に従った行為をしているからである。
思い込みエラーは、外部からのチェックによってしか見つけることができない。

●確認を確実にするには
したがって、うっかりミスを防ぐには、一つ一つの行為の目標をしっかりと意識することがまず大事となる。これがうっかりミスを防ぐ入り口対策。漫然といつもの通りのことをしていると、うっかりミスをしても自己確認ができないで見逃してしまうことになる。
ところが、これが意外に難しい。目標の自己管理が難しいからである。
図に示すように、行為の目標は階層構造をなしている。その時々で意識している水準は異なる。行為をきちんとコントロールするには、目標は具体的なほうがよい。漫然と「安全第1」では具体的な一つ一つの行為を意識的にコントロールすることはできない。「制限速度遵守」なら具体的に行為をコントロールできる。
 目標構造を単純にして状況に応じて上下移動できるようにすることである。危険一杯の状況では具体的レベルに目標を落とす。安全環境では、目標を上に設定する。

図3 目標の階層構造


 もう一つは、うっかりミスを防ぐ出口対策。それは、確認行為を確実におこなうことである。
目標がはっきりと意識していても、確認という行為そのものが不完全であれば、うっかりミスを見逃してしまう
確認をしないのは論外。面倒なのは、確認行為はしているのだが、実質を伴っていない確認不全である。確認行為の形骸化と呼ばれている。
確認行為の形骸化は、一つには、馴れによって起こる。いつもいつも確認をすると、いつもいつも異常なし。これが続くと、つい今日の異常なしだろうとなりがちである。
確認行為の形骸化をもたらすもう一つは、確認も含めた一連の行為系列のマクロ化である。マクロ化とは、一連の行為系列が、意識の上で「一連」ではなく「一つ」の行為になってしまうことである。習熟に伴っておこる認知的な節約現象なので、ポジティブなところもあるのだが、確認が大事な仕事の場合には、確認行為が意識的におこなわれないので、確認ミスが発生することになる。
図4 一連の行為のマクロ化の過程


こうした確認行為の形骸化を防ぐには、確認行為だけが際だつようにすることにつきる。確認すべきところでは指さし呼称を実施する、行為を強制的に中断させるなど。さらには、可能なら、一人だけの確認ではなく、複数が独立に確認する。

終わりにーーヒューマンエラーと都市交通の安全
施設・機械、システム、組織すべてに人がそれになりにかかわっている。それらの中で一人でも安全管理を怠ると不具合や事故になってしまう。だからヒューマンエラーの観点は大事、という話しをしてきたつもりである。
しかし、最後に付け加えておかなくてはならないのは、このことは、不具合や事故の責任者を、探しだして罰すこととはまったく違う、ということである。あくまで、次なる不具合や事故を未然に防ぐためである。
安易な人為ミス説、策のない厳罰主義は百害あって一利なしである。蛇足になるが、付け加えておく。

参考文献
海保博之 2005 「ミスに強くなる! 安全のためのミスの心理学」 中災防新書
海保博之・田辺文也 1996 「ワードマップ ヒューマンエラー 誤りからみる人と社会の深層」 新曜社























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時間に負ける人、時間を越える人

2006-09-21 | 認知心理学
企画だけ

「時間に負ける人、時間を越える人」     
ーーー時間管理の心理学ーーー

海保博之


はじめに---限られた時間の中でやり抜く

●時間プレッシャーは人生につきもの
 子供を育てる母親が一番多く口にする言葉は「早くしなさい!」「急いで
!」「速く!」「遅れるよ!」である。そして、社会人になると、「納期を守れ!」「締切り厳守!」である。
 この世にひとたび生を受けた者にとって、時間とのつきあいを避けて通るわけにはいかない。となると、時間とのかしこいつきあいを考えることが、生き方の質を決めるようなところがある。
 いつも時間に追われるばかりの生活では、あまりに悲しい。かといって、いつもマイペースでというわけにいかない。
 さて、時間とのかしこいつきあい方とは、どんなものであろうか。

●最高の仕事をするために時間を活かす
 タイム・キリング(time-killing ;時間(暇)つぶし)という言葉がある。つぶすべき時間が主で、その枠の中で一時を過ごすことになる。「一時」のタイム・キリングならともかく、これが「ずっと」になってしまうような人生では困る。
 はっきりさせておかなければいけないのは、我々は、時間のために生きているのではないということである。仕事や生活をより質のよいものにするために生きているのである。時間は、そのための制約条件の一つに過ぎない。
 しかし、時間が強力な制約条件であることは間違いない。「もう少し時間があれば、もっといいものができたのに」「締切りだから、この程度でしかたがないか」は、一仕事終えた人なら誰しもが持つひそかな思いではあるが、あまり広言はできない思いでもある。
 限られた時間の中での最高の仕事をやり抜くには、いかにすればよいのか。
 それを考えてみるのが、本書のねらいである。