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03/9/28海保 日本電気協会 「電気協会報」2003年11月号
随想「心、からだ、還暦」<---タイトル
「今在るものを今在るままに保とう、この姿のままでいたいと願うことがしょせん無理なのだという、決してあきらめではなしに、覚悟の上の開きなおりがあれば焦りも苦しみも薄らいでくるに違いない。」(石原慎太郎「老いてこそ人生」幻冬舎文庫、p51より)
●還暦を終えた
今原稿を書いているのは、9月15日、敬老の日である。
NHKの番組では、100歳越え元気老人の特集番組が放映されていた。新聞では、65歳以上の高齢者が2431万人で人口比の19%を占めたことを報じている。
そして、個人的なことで恐縮だが、9月14日には還暦を機会に、研究室のOBや親しい人との宴席を開いてもらった。自分よりもはるかに貫禄のついた56歳の大学教授を筆頭に25歳の女子大学院生までが一同に会しての談論風発で実に楽しいひとときを過ごした。
というわけで、ここ1週間は、自分の年齢がらみのことへ否応なしに思いがいった。
●「心もからだもまだまだ」が危ない
昨今の日本社会の定年事情を考えると、大学教官である自分の定年63歳はちょっぴり申し訳ない気がする。還暦を過ぎても、今までとまったく同じ生活があと3年は保証されるのだから。
それはさておくとして、同じ環境が続くからか、自分の心もからだもとりたてて変化がないとの思いはかなり強い。しかし、この思いがあまり強すぎると何かと危ないらしい。
青年期から高齢後期までの、心とからだのおおまかな発達曲線を描いてみると、図のようになる。
1
2
3 心とからだの発達曲線 ***別添
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青年期は、からだの「成長」に心がついていけない。このギャップに耐えられない青年は時折、からだの暴走が起こってしまう。
筆者のような高齢前期では、青年期とは逆に、からだの「衰え」に心がついていけなくなる。たとえば、自分のここ1年くらいの体験であるが、
・跨げると思った柵に足を引っかけてころんでしまった
・電車に間に合うと思って階段を駆け上がったらつまずいてしま った
・テニスで取れると思って無理をしたらころんでしまった
こんな体験が繰り返されることによって、次第にからだの衰えに心が馴染んでくるのであろう。そうなると、高齢期まっただ中ということになる。
●高齢期を生きるための3つの方針
もう充分にやることはやった、との思いが頭をよぎることがある。しかし、一方では、平均寿命まであと20年、さて何をするか、あるいは、やり残したことはないかとの思いも、ちらほらと頭に浮かぶこともある。
いずれにしても、還暦のこの時期にタイミングよく、こうした随想を書かせていただいたのを機に、これからの生き方の方針くらいは、きちんとしておきたいと思う。今のところ3つ。
一つは、がんばらないこと。
かなりがんばってここまでやってきた。しかし、もはやどれほどがんばってもできることは知れている。「何かを達成して喜ぶ」よりも「達成までのプロセスそのものを楽しむ」くらいの気持ちで仕事をしていきたいものである。
2つは、公私を問わず自分を必要としてくれる場へは、積極的に出かけていくこと。
「がんばらないこと」と葛藤を引き起こすようなところもあるが、今はまだ家の中に閉じこもって生き生きと生活していける自信はない。否が応にもいずれは「引退」する時期はくる。それまでは、自分の心身の活力を目一杯維持するために、とりあえずはこの方針に従ってみたい。
3つは、社会への恩返しの気持ちを持つこと。
「これくらいの能力でここまでこれたのは、自分の周囲の方々、もっと広くは、社会のおかげ」との気持ちは強くある。しかし、一方では、まだまださまざまな妄執も我執もある。ボランティア活動をするまでにも至ってはいない。しかし、社会への恩返しの気持ちは、周囲の人々、あるいは社会への目をやさしく穏やかにしてくれる。結果として、社会のスタビライザー(安定器)としての役割が果たせればと思う。
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