思わぬ発見 発見したい人だけが発見する
■頭を柔らかくするポイント**************************************
1)知的な努力あっての偶然の発見である。
2)豊潤な知識あっての発見である。
3)一時他のことをすることも大切。 *********************************************************************
●田中さんも白川さんも偶然の発見が受賞に
2001年は白川英樹教授が、2002年には田中耕一氏が、共にノーベル化学賞を受賞した。 おもしろいのは、お二人とも、混合するものを間違えた結果できてしまったものが大発見につながったところである。
こんな話は、実は、化学だけでなくいろいろの分野の科学的な発見にはつきものといってよいくらいたくさんある。あたかも、偶然の誤りが発見のための必須条件であるかのように思いたくなるくらいである。
井山・金森著「ワードマップ・現代科学論」(
新曜社)では、こうした偶然の発見「セレンディピティ(serendipity)」について、その心理過程にまで言及しながら、広範かつ詳細に紹介しているので参照されたい。 ここでは、セレンディピティから、日常的な発想のヒントを3つ引き出して、それについて考えてみたい。
●過去の努力の経験が大事
我が大学の数学の先生で、散歩していて恐竜の化石を発見した人がいる。これは発見ではあるが、セレンディピティではない。なぜなら、恐竜の化石を発見しようとして過去に努力をしたことがないからである。
セレンディピティは、「発見したい、しかし、どうしても見つからない」という、それこそ死ぬほどの苦しみが過去にあっての話である。 もっともその努力は、宝くじを当てるやみくもな努力とは違う。それは、確率的な必然性を追い求める努力であるが、科学的な発見のための努力は知的で、理論的な必然性(予測)があってのものである。もっとも、その理論が誤っていることもしばしばで、それに気がつかないと一生を棒にふることになる怖さもあるのだが。余談だた、あのニュートンでさえ、錬金術を信じていたそうだ。
●関連する知識の豊穣さが大事
知的な努力は、その結果として、頭の中にある広範な知識を活性化し、さらに、旧知識の組み替えもすることになる。それが、新たな予測を生む。そして、試行錯誤がおこなわれる。だからこそ、「錯誤」の中に発見の種を見つけることができるのである。
ここで大事なのは、関連する知識の豊かさである。それがなければ、活性化も更新も、そして発見もない。子どもは、日々発見の連続であるが、それは、知識不足ゆえの「発見」である。それはそれで知識獲得にとっては非常に大切なことではあるのだが、あくまでその子どもにとっての「発見」に過ぎない。
真の発見は、発見者にとっては、発見されて当然のしろものなのだ。もっとも、田中氏のように、それが大発見なのか、小発見なのかは、本人は知るよしもないということもあるし、いつも大発見だと言いつのる人も時にはいる。
●他のことをすることが大事
セレンディピティでもう一つ大事なのは、「他のことをする」ことである。
発見にしても発明にしても、目的ははっきりしている。その目的に向けてすべてを集中させる。これが知的努力である。この知的努力によって、いわば、知識の深堀をするのである。
ただ、こうした知的努力は、視野を狭くしてしまうらしい。見えるものも見えなくさせてしまうところがあるらしい。そこに、「他のことをする」意義がある。
知識の深堀は、しばしば思考のど壷にはまらせてしまうことがある。そこから抜け出られないために、堂々廻りをしてしまう。そんな状態からの解放のために、「他のことをする」のである。 さらに「他のことをする」効果としては、新たな視点から事態を眺めさせるということがある。視点変換である。
もう一つは、気晴らし効果である。ど壷にはまると、落ち込む。自信を喪失してしまう。そんなとき、パチンコやテニスといった気晴らしも有効であるが、もっと有効なのが、もう一つのテーマを集中してやってみることである。不思議なことに、そんな最中に、前のテーマの解や見つけようとして見つからなかったことが見つかることがある。これがまさにセレンディピティである。 思考テーマの二股かけは、不誠実なことではない。
*****82行 体験「セレンディピティの体験を思い出す」
************* セレンディピティとは、もともとは、「探し求めているものではないものを発見する能力」(井山ら、前掲書より)である。あなたの日常的な体験として、こんなことが過去にあったかどうかを思い出してみてほしい。 「解説」 筆者の場合、最もよくあるのは、本である。以前探したときは「どうしても」みつからなかった本が、別の本を探してるときに、偶然みつかるのである。過去の「どうしても」が記憶に残っていたからこその「発見」である。 クイズ「誰が見える」
******************** 次の絵には、誰が見えるか。 図は別添 「解説」 この絵は、あまりによく知られてしまったので、クイズにならないかもしれない。「嫁と姑」と呼ばれている多義図形の一つである。一方の見えが他方の見えを隠してしまい、嫁と見た人は姑が見えない。その逆もある。どちらを見るかは、見る人の知識やその時のい欲求による。いずれに見えるにしても、しかし、あるとき一瞬にして姑/嫁が見えてくることがある。セレンディピティの話をするには、実に都合のよい現象なので、あえて、ここで紹介してみたが、その意味するところは、おわかりいただけれと思う。 ************************* 引用 「(発見の)チャンスは、待ち構えた知性の持ち主だけに好意を示す」(パスツール) 「偶然と洞察力によって、探してもいないことをいつも発見し続けた」(「はじめに」) 「あの発見の準備ができていたといえます。あの発見にばったり出くわしたというよりは、むしろ、あの化合物が彼の前に歩いてきたのを、さっと捕まえたようなものです。鋭敏で、待ち受ける心構えが必要なのです。」(ベダーセン) *引用先ロバーツ、R.M.(安藤喬志訳)「セレンディピティ-;思いがけない発見・発明のドラマ」(化学同人)