はじめに 頭の中の小人を鍛える
今日の講演のねらいは、皆様の頭の中にいるもう一人の自分(ホムンクルス)のパワーアップをはかることです。
ホムンクルスは、ひとりひとりの頭の中にいて、あなたの心と行動を監視し(モニタリングし)、さらに心と行動をコントロールします。もう少し詳しく言うと、図にあるような、自己モニタリングと自己コントロールが、ホムンクルスの仕事になります。
ホムンクルスの力(メタ認知力)をつけるには、2つの方法があります。
一つは、内省、反省する習慣をつけることです。本講演で、随所に「自己チェックリスト」を用意してみたのは、そのためです。もう一つは、エラーに関する知識を豊富にすることです。
本講演では、エラーに関する心理学的な知識に限定しますが、知識を豊富にするためには、さまざまな方法がありますので、本講演をきっかけに、自分で勉強していただくことになります。新聞の事故報道などを自分なりに分析できるようにまでなれば、メタ認知力はかなりついてきたことになります。
第1 コミュニケーション環境を良くする
—事例1—「コミュニケーション不全によるエラー」
(2人で鋼材運搬中、足の上に鋼材を落としそうになった。)
当然のことですが、一人よりも2人のほうが、仕事の効率はあがります。一人ではできないこともできます。ところが、事例のように2人でやったがためのヒヤリハットもよく起こります。
一人なら仕事全体を自分でコントロールできます。何に気をつければよいかもわかっています。それが、2人作業になりますと、分業に伴う新たな段取りや手順が発生してきます。
この段取りや手順の内容は仕事によって異なりますが、その手順を適切にこなすためには、2人の間での頻繁なコミュニケーションが必須となります。
・自分がしようとすること
・相手にしてほしいこと
・作業が今どうなっているか
を、お互いが頻繁に声に出しあい、声をかけ合いながら作業をする必要があります。
相手の姿が見えると、相手も自分のほうをよく見ているはず、あえて声を出すまでもないとの思い込みや、自分の仕事にのみ集中してしまい、つい声かけを怠ってしまうことがあります。
***「2人で仕事をするときに声かけをしないのは、なぜでしょうか」***
2人で協力して仕事をするケースには、2つのタイプがあります。
一つには、事例のように、2人が空間的に接近して一緒に同じ仕事をするような場合(接近共同作業)です。もう一つは、一人はクレーン操作、もう一人は遠くの運搬物の設置場所にいるような場合(遠隔共同作業)です。
遠隔共同作業の場合は声かけはできませんから、無線か手振り身振りでのコミュニケーションになります。音声やジエスチャーの伝達精度が問題になりますが、ここでは、確実にコミュニケーションが発生します。
接近共同作業では、相手の顔、仕事が見えるにもかかわらず、意外にコミュニケーション不全が発生してしまいます。
その理由の一つは、人間関係です。たとえば、相手が先輩であれば、声かけの遠慮が起こります。
2つは、自分に割り当てられた仕事にのみ集中してしまうからです。とりわけ、それが処理負荷の高いものであれば、相手の仕事に配慮する余裕はありません。
3つは、油断や横着心です。相手が目の前にいる安心感からか、言うまでもないだろうと思い込んで油断してしまいがちです。
—事例2—「音声指示の低信頼性によるエラー」
(管制官からの指示を聞き間違えてヒヤリ)
航空機管制がもっぱら音声による指示に依存しているのを知ると、ぞっとします。なぜなら、音声ほど信頼のおけないものはないからです。言い間違え、聞き違えは音声言語では当たり前との前提でコミュニケーションをすることになっていると言ってもよいと思います。
したがって、音声でコミュニケーションするときは、抑揚や休止などのパラ言語的な情報や、音声以外に手振り、身振りなどのジェスチャーを使うことで、伝達の信頼度を挙げるようにしています。
ところが、相手が見えない時や電話・無線の音声のみのコミュニケーションでは、ジェスチャーが使えません。当然、相当に信頼度が落ちます。おまけに、日本語では、同音異義語が非常に多いので、聞き間違えなどが発生しやすくなっています。
それを克服するには、指示を冗長にするしかありません。昔、電報文を発信するときに、「カレーライスの「か」」「ねこの「ね」などとやっていましたが、それに類したことをする必要があります。
さらに、大事なことを反復したり、確認の復唱を依頼したりすることも必要になってきます。
●「類似ケース」
○鉄柱を運んでいるとき「さげて」と頼んだら、「あげて」と聞こえたらしく、あやうく鉄柱を持つ手がはずれそうになった。
***「口で指示をするときに気をつけるべきことはどんなことでしょうか」***
音声コミュニケーションは、信頼度は低いですが、非常に便利です。同じ内容の指示でも、それを紙に書くとなると大変ですが、相手が目の前にいて口で指示するなら、楽なものです。
音声コミュニケーションは、相手が目の前にいてジェスチャーが使えるという状況では、非常に有効で便利な指示のための媒体なのです。
もっとも、そのときでも、こと安全に関することについては可能な限り、丁寧でやや冗長なくらいの指示をすることを心がける必要はあります。
問題は、相手が見えないときの無線や電話による音声指示です。
丁寧さ、冗長さは言うまでもありませんが、それだけでは充分ではありません。ジェスチャーで補っている強調と具体化を、口でさらに表現してやる必要があります。
・大事なことを「ここは大事である」と口で言う(強調)
・「これくらい」「こんな形」を具体的に口で言う(具体化)
そして、指示の目的や全体像をはじめに言うことも大事です。それによって、理解の枠組を相手が頭の中にイメージしてもらえるからです。
第2 使命取り違えエラーを防ぐ
—事例3—「安全との葛藤事態での使命の取り違えエラー」
(急がされてスピード出しすぎでヒヤリ)
タクシーに乗る理由の一つ、急いで所定の場所に行きたいがあります。となれば、こうしたヒヤリハットは、日常的に発生します。
タクシー運転に限りません。接客業では、お客様の期待や要望に応えるのは何よりも大事です。多少の無理難題を吹っかけられても、笑顔で受け入れて対応することが求められます。
無理難題を頭から拒否してしまえば、相手を傷つけます。「それくらいの融通をきかせてくれても」との思い、不満がつのります。それがお客さま離れにつながってしまうことがあります。
しかし、そこでの無理がしばしば事故につながってしまうことがあります。お客さまに喜んでもらうための無理が事故につながってしまうのです。気持ちのやさしい人ほど、こうした事故を起こしがちです。
お客さまを事故に巻き込んでしまっては元も子もありません。無理難題を笑顔で断れる高度の接客技術が求められます。