競争
「競争は人を元気づけるが、人をだめにもする」
●男は競争が好き?
「男は競争好き、女はおしゃべり好き」
こんなセリフをどこかで聞いたことがあります。しかし、皮相的だと思います。
競争は、好き嫌いの問題ではなく、人が限られた資源の中で生き抜くためには避けて通ることのできない営みだからです。男か女かは関係なく人はみな否応なしに競争に巻き込まれます。それが、人類を進化させてきたのです。
ところで、競争に共通しているのは、相手よりも早くできるか相手よりできがよいかです。前者が時間競争、後者は力競争です。たとえば、
時間競争は、スピード競技、発明・発見競争など。
力競争は、重量挙げ、受験競争などです。
さて、こうしたことを踏まえたうえで、心を元気にする習慣づくりという観点から競争について考えてみます。
●競争で勝つこと
やや余談になりますが、競争ってどんなものかについて、さらに、一つのエピソードを紹介しておきます。
競争というと、ただちに頭に浮かぶのは、スポーツですね。でも、競争は、社会のいたるところで行われています。
そうした競争、いずれも、相手に勝つことを目的にしていることは言うまでもありません。ただ、問題は勝ち方です。
いきなりですが、タイガーウッズが、競り合いの場で、相手が見事なバーディを決め自分より有利になったにもかかわらず、その相手のプレーに対してガッツポーズをしたという話があります。
なぜでしょうか。
スポーツマンなら彼の気持ちがわかるかもしれません。
競争では、相手がミスをしたり、力を出せなかったりで自滅してしまって、勝てることがしばしばです。しかし、ウッズ選手はさすがですね。相手が最高のプレーをした。それにもかかわらず自分がそれに勝てるとすれば、それは自分に力があることのこの上ない証明になる、というわけです。
どこかの国の政権交代もこうあってほしいものです。
一流の選手は、やはり違いますね。イチローも、こんなことを言っています。
「ライバルとは、自分が打ち負かしたい人間ではない。それは、自分のモチベーションをあげてくれる存在であるべきだ。」
トップアスリート2人に共通しているのは、競争を、相手に勝つためではなく、自分をより高めるための場としているところです。
すごいですね。だからこそのトップ、一流なのですね。
自分が楽しんでいる素人テニスの試合では、相手が(自分も!)実によくミスをします。ですから、ミス期待でひたすらねばります。それだけで結構、ゲームに勝ててしまいます。うれしくなってしまいます。だからいつまでももう一段上にいけないのですね。反省です。
このように、競争には、勝ち負け志向だけでなく、達成志向という面もあることは知っておくとよいと思います。たぶん、達成志向の競争が、人類の進歩を牽引してきたのだと思います。
●勝てば気持ち元気
勝ち方にはいろいろあっても、ともかく勝てば元気になれるのが人間です。
それが次の競争に駆り立てることになります。かくして、競争中毒まっしぐらとなります。
日本全体がこうなった時期があります。自分が研究者生活に始めた頃の高度成長期(1960年代)でした。あらゆる資源が拡大する時期でしたから、誰もが努力さえすれば競争の勝者になれました。敗者も復活が比較的容易でした。
ですから、社会全体、元気が溢れていました。
自殺者数も、この時期、劇的に減少しています。不思議というか、単純というか。
2010年の大不況の今、どうでしょうか。限定された資源の中での競争を強いられています。ゼロサム競争です。勝者はチャンスも数も減り、敗者ばかりが溢れ、ひとたび敗者になるとどうにも這い上がれない状況になってしまいました。
今朝の朝日新聞(2010年8月28日付け)の「between」欄に「競争は好きですか?」のアンケート結果(4588人)が掲載されていました。
好きが43%、
嫌いが57%
ほぼ半分にわかれました。
好き派の理由は、「努力が報われる」「自分の実力を知りたい」「全体の向上が期待できる」がトップ3でだんとつでした。
嫌い派の理由は、「心おだやかに生きたい」「人と比べることに意味はない」の2つがとび抜けていました。
あなたはどうでしょうか。
いずれにしても、現実は競争社会です。厳しい競争を勝ち抜かねばなりません。
● 競争で心を元気にするコツ
① 競争中毒からの解放
競争に勝つことは心を元気にすることは間違いないのですが、いつもいつも勝つということはできません。必ず、負けることがあります。負ければ、心は落ち込み、最悪、心が壊れます。ですから、大事なことは、負けたときの心の対処のスキルを身についておくことです。
まずは、普段から競争中毒からの解放を習慣づけておくことです。そうすれば、負けてもダメージがすくなくてすみます。
人生に競争はつきもの。そこから降りるわけにはいきません。しかし、競争中毒になっては困ります。こんな症状です。
・いつも勝ち負けが気になる
・勝ち負けの視点からしか世の中、仲間を見ることが出来ない
・勝ったときと負けたとときの気持ちの振幅が大きい
・四六時中、勝つための努力をしないと気がすまない
・勝つための努力をしたものはそれ相応の尊敬と処遇を受けて当然の思い込んでいる
こういう症状があれば、危ないです。
ではどうするか。簡単なことです。一時的に競争から降りる習慣をつけておけばよいのです。
「一時的」の意味は、通常の休暇をきちんととることが基本ですが、それ以外にも、勝ち負けとは関係のない生活、たとえば、家庭生活、趣味や勉強(研修)などを生活の大事な一部としてきちんと組み込んでおくことです。
そして、気持ちの上ででも結構ですが、勝った功績を時には人に譲るのです。
勝つことにとらわれないためです。
しかも、そうすれば、あなたの周りも元気になれます。
さらに大事なことは、負けたときの周囲からの支援が得られようにしておくことです。いわば、競争に保険をつけるようなものですね。
②競争とは無縁のサンクチュアリーを用意しておく
競争中毒からの解放のためには、さらに、徹底して競争する領域を用意しておく、というより、競争をそこに限定するのです。
アメリカでは、仕事で切った張ったで儲けた莫大な財産を慈善事業に寄付することが普通に行われています。
競争で勝つところと、競争とはおよそ縁のないサンクチュアリー(聖域)とを行ったりきたりしています。
これは、生き方としてはなかなか賢いと思います。
我々貧乏人でも、お金はなくとも、その生き方は真似することができます。
それは、仕事の場と趣味の場、職場と家庭といった形でもよいし、仕事でも、競争するときところと競争とは無縁の時、所を分けてもよしです。
③競争のルールを守る
スポーツの競争がそうですが、競争には、必ず、ルールがあります。
自由競争という言葉は、厳密に考えると形容矛盾です。ルールの下での競争が、競争に内在する野放図な振る舞いを制御します。
これは、しかし、競争する人にとっては、ありがたいことです。これがあるから、節度をもって、ある意味、安心して競争にのぞめるのです。
ルール破りは即勝ちにつながりますから、その誘惑は時には強烈なものがあります。しかし、それは心の元気にはまったくつながりません。かえって、強いストレス、場合によっては、PTSDにさえなります。
ルールを守っての相手との節度ある闘争心による気持ちよい勝ち方こそ、心のさわやかな元気につながります。
小林秀雄の1節を引用しておきます。
「選手たちは、定められた秩序や方法を、制約とは少しも感じていない。規律があるのが楽しいのだ。まず規約がなければ、自由な努力などすべてむなしいというむずかしい問題を、楽々と解いている。詐術も虚偽も粉飾も、這入りこむ余地はない。」
④負けることもあってよい
「勝つ事ばかりを知って、負くる事を知らざれば害その身に至る」(徳川家康)そうです。また、「負けるが勝ち」という格言もあります。
どんな害があるでしょうか。
全戦全勝で最後までいけるなんて、現実的ではありませんね。そうなると、最大の害は、勝つことを支えた知識、方略が習慣化してしまい、状況が変わってしまっても、相変わらず前と同じようにやってしまい、手痛い、場合によっては破局的な敗(負け)にぶつかってしまうことではないでしょうか。
負けて見えてくるものはたくさんあります。そこからたくさんのことが学べます。その学びこそ、次の勝ちを磐石にします。
さらに、勝ちには、勝たせてもらっているという面もあります。「勝っておごらず」ですね。勝たせてくれたもの、人への感謝も念も、かかせません。
ポジティブ心理術トレーニング@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
勝ってうれしかった経験と、勝ってもあまりうれしくなかった経験とその理由を思い出してみよう。
「勝ってうれしかった」
例 大学に合格できたこと
「勝ってもあまりうれしくなかった経験とその理由」
例 負けた相手がラケットを投げ出すほど悔しがったのを見たとき、かわいそうになった。