牧村先生の仏教哲学を読み返しました。
仏教には「座禅」をするとか「念仏」を唱えると心の平静さが得られる、というような教えの以前に、
「心」とは何か、「自分が存在する」とはどんなことか、と言った哲学がありました。
他者と自分の関係、自然との関係、時間とは何かと言った哲学も含まれています。
牧村先生の文章で目を開かれた箇所の一つに、「慈悲」という言葉の説明がありました。
慈悲の「悲」はカルナーという言葉であって「共に震える」である。他者に対する感情の根本には共感・共苦がなければならない。
その理由は、自分というかけがえのない存在は、じつは他者との関係に入ることなしにはあり得ないからだ。という説明です。
現代の日本人の弱者や困ってる友人にたいする言葉で「頑張ってね」という言葉ほど冷たいものはない、と思っていました。
「共苦」の感情から目をそらして、「自分は、励ましの言葉をかけたから、非情な人間ではない」とう自己欺瞞をしているのではないかと感じていました。
欧米の言葉かけは「何か自分が役に立つことはないか?」が多いのではないでしょうか。
(市村操一先生のメールより許可済み
@@@
カウンセラーは、もう一つの常識、教養として、仏教哲学を学ぶといいかも。
市村先生によると、欧米人の仏教理解のほうが、ストレートでよいとのこと<<もっと別の表現だったかと思うが