接触する回数が多いほど好きになる
何度も同じ物に触れていると、だんだんそれが好きになる、単純提示効果と呼ばれている現象がある。しかも、もっとびっくりするのは、意識的にはまったく何も見えない(閾下;サブリミナル)くらいに短い時間(5ミリ秒くらい)で提示しても、同じ効果がみられるのである。
この単純提示効果は見えの世界の話であるが、これに似た効果は、記憶や注意や判断など心の働きのあちこちの世界でもみられる。
たとえば、注意の世界でも、パーティ会場で、他の人との会話に注意を向けていても、自分の名前が呼ばれればすぐにそちらに注意が向く(カクテルパーティ現象)。この現象は、意図的な注意の範囲よりもずっと広く無意図的に注意を配っていることの証拠である。
また、記憶の世界についても同じようなことがある。
意識下〔無意識〕に起こっているといるということで、ここでは潜在効果と呼んでおく。
潜在効果は、物を買わせたい、自分に1票を入れさせたい、といったことをねらう人々にとっては、すぐにでも飛びつきたくなるような効果である。しかし、これには、倫理的な問題があって、そうすんなりとは使えない。とりわけ、閾下提示の場合は、TV界では禁止されている。
確かに、人から制御される形での潜在効果の活用は困るし、気持ち悪いが、自分でなら、こうした効果を利用することはあってもよい。努力しないで好ましい影響をうけられるのだから、これほどありがたいことはない。
たとえば、世間で定評のある「良質な」人や物や環境に触れることである。それも、一回こっきりではなく、できるだけ頻繁に触れることである。
古物商や画商は、弟子に真贋判定の力をつけさせるために本物に徹底的に触れさせるとのことである。潜在処理される情報の重要性を知っているのであろう。
教育学の領域でも、隠れたカリキュラムという概念がある。良い教師、良い教育環境の中に埋め込まれている情報に触れることで子供が知らず知らずに身につける知識の大切さが、この概念には込められている。
いずれの場合も、何が真贋区別の決め手か、何が子供に好影響を与えるのかを顕在化させる学問的、経験的な努力がなされてはいるが、多分、いくら努力をしても残るもの(わからないもの)があるはずである。そこに潜在効果を期待するわけである。
では、我々の普段の心がけとしてでは、どんなことあるだろうか。
・美術館、博物館にいく
・一流品に触れる
・その道の達人の話を直接聞く
・名著や古典を読む