月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

81.祭のイベント化(月刊「祭」2018.7)

2018-09-21 19:40:57 | 屋台、だんじり、太鼓台関連

 

九月二十二日に書く七月号です。
昨今、祭に行くとこんなことを耳にします。
「最近の祭はイベント化されて、ええことない。神さんごととしての祭が忘れられとる。」
確かに、神社や寺の祭が大学や地方自治体の文化祭に近い雰囲気のものが増えてきているように感じます。
ここで、祭のイベント化について考えていきます。


●イベント化はいつから?
祭のイベント化はいつから始まっているのでしょうか。それは、「イベント化」が何を意味するかの定義によっても違ってきそうです。ここでは、「楽しむための集い」と定義してみます。では、祭が宗教行事をこえたイベントと化したのはいつの頃からなのでしょうか?
下の4つのどれでしょう?

1 平成のゆとり教育者が祭を担ってから
2 行きすぎた戦後民主主義の成れの果て。バブル絶頂、崩壊頃から
3 天皇制が崩れ、鎌倉幕府武家ができてから
4 古事記、日本書紀が書かれた時代から

1と2は、日本会議系の方々が好みそうな論調ですが、不正解。古事記、日本書紀を見ると正解は4といえそうです。



古事記、日本書紀には、岩屋戸を締めて隠れてしまった天照大神を呼び出すために、天鈿女命が享楽的な舞を舞い、宴が始まり、天照大神がおびき出されます。
日本の神々は、一神教的な神々と比べて、絶対的なものではなく、より人間味を持った性格を持っています。その神をもてなす「神さんごと」もまた、人を喜ばすのと同じく、享楽的なイベントとなる宿命をもっていたといえるでしょう。

●儒、道、禅そして、基督
一方でイベント化、享楽化を諌める思想の元となったのは、年長者や身分の上の人を尊ぶ儒教だったり、無為自然とか、質素なものを好む道教や禅宗の思想と言えるのかもしれません。
さらに、明治維新を経て基督教も解禁になり、近代国家形成のために欧州の規律正しさを取り入れる中で、より、「厳かさ」が尊ばれるようになったともいえそうです。


●現代の屋台祭のイベント化
神輿の後や先を行く太鼓が「発展」して、屋台が出来たといえます。つまり、屋台とは、祭のイベント化の産物であるともいえますね(^^) しかしながら、「神に見せるために、華やかな衣裳を取り付けて、激しく練るんだ」ということも言えるかもしれません。
ただ、神社以外の場所での享楽的、競技的な練りが繰り広げられ、衣裳もその華美さを競い、大きさを競うというのも、現代の屋台祭のイベント化といえそうです。


三木の屋台のイベント化の特徴は下のものと言えるでしょう。
1 多数練り
ただし、宮入という神事を最優先している傾向はのこっている。

2屋台の新調、改修の頻繁さ
改修の傾向としては、布団じめが太く、座布団が分厚くなる傾向がある。

3 飲み会(^^)
いわずもがなです。直会といえば、神さんごとになります(^^)

●後書きに変えて-イベント化の是非-
煎餅布団(うっすーい座布団のこと)派な私自身の好みとしては、座布団の分厚い屋台、布団じめの太い屋台は好きではありません。ですが、それは、好みの問題であり、華美な屋台だからこそ、若者や子どもが引き継ぐ一面はあるといえます。神事をきちんと行うのであれば、多数の練りもやはり楽しいものだし、どんどんやることに異論はありません。つまり、イベント化自体は悪いことではないと思います。

しかし、屋台全体の金を一部の人のための飲み会に使ったり、個人的な意向で勝手に屋台の形を変えたりというのは、許されることではありません。もちろん、誰かのポケットに入るなんてのは、以ての外です。
このようなことをきちんと守れなければ、若者へのツケが天文学的に増えるだけです。そうなれば、祭はイベント化ではなく、空疎化し、終末を迎えるでしょう。

イベント化が加速するのかブレーキがかかるのはわかりませんが、継続されることを祈るばかりです。

大宮八幡のかつての石段は81段でした。それに合わせて、今の祭の課題を原稿にしました。