月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

366.小山田圭吾で逸らされたオリンピック開催可否議論(月刊「祭御宅」2021.7月.4号)

2021-07-17 19:24:43 | 新型コロナと祭、民俗
●同級生虐待経歴を持つ小山田圭吾氏のオリンピック開閉会式音楽使用問題
オリンピック開閉会式で音楽を担当するのがコーネリアスの小山田圭吾氏であることが、判明し批判を呼んでいます。それは、かつての苛烈な同級生虐待をクイックジャパン、ロッキンオンで語っていることです。
小山田氏はその内容には事実でないものも含まれているとしていますが、何が事実で何が事実ではないのかは言明していません。不当に過大に書かれているのであれば、具体的に事実ではない内容と事実である内容を明確に指摘すべきです。

ロッキングオンジャパン(1994.1)やクイックジャパン(1995.7)に記されたとされる虐待の内容は管理人が知る限りでは、下のとおりです。
性的な虐待············3件
内1件は傍観者として
暴行·····················4件
国籍、障害者差別····3件
これらの犯罪行為を反省もなく語っていた記事を数年前に管理人は読み、憤りを覚えました。
小山田氏はつい最近のTwitterで「深い」反省をしている旨の声明を発表しました。しかし、我々が感じるのは「不快」さと、問題になったからといって火消しに走る底の「浅さ」です。

小山田氏の起用は五輪憲章に照らすと到底ふさわしいものとはなりません。しかし、利権と格差と人命軽視と人種差別のオリンピックとしては、これ以上の適任者はいないのかもしれません。
それにしても、ちょっとググればすぐに出てくる小山田氏の犯罪歴(罰せられた経験はないですが、本人もその行為を認めているのでこう記します。)はすぐにでてきます。そのような悪名高い小山田氏の起用でおきていることを概観します。

●小山田氏起用でおきていること
本来なら開催そのものが、批判されているオリンピックですが、いつの間にか無観客か有観客かの論点にすりかわりました。そして、有観客にこだわった強欲なバッハ氏の姿勢が取り沙汰されましたが、やはり、その是非を問うことで肝心の開催の是非を問う声はかき消されていきました。
しかし、少しずつ有観客か無観客かではなく、「オリンピックをやるかやらないか」に議論をうつすべきではないかと気付きはじめたころに、醜聞にまみれた小山田氏の起用がとりざたされました。そうすることで、議論の中心は「開閉会式に小山田氏を起用するか否か」にうつりました。
つまり、再び我々は「オリンピックをやるかやらないか」という本来あるべき議論から逸らされているということです。大衆心理操作に長けたメディアですので、これらが戦略であった可能性も否定できません。

小山田氏が開閉会式にふさわしくないのは言うまでもありませんが、問うのはそこではなく、
「オリンピックを本当にやるのかやらないか」
を国民やメディアで議論されなければなりません。

編集後記
 いつの間にか開催可否ではなく、有観客か無観客、小山田氏か否かに議論が刷り変わっていることに気づきました。メディアコントロールの巧みを感じざるを得ません。
通常開催を決定した秋祭りがいくつかあります。感染の戦犯をメディア、オリンピック貴族、スポンサーらが巧みに押し付けてくる可能性も、やはり否定できません。

コメント
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