月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

368.明石町屋台先先代水引き幕・海女の珠とり(月刊「祭御宅」2021.7月6号)

2021-07-31 19:47:44 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
●明石町屋台の海女の珠とり
 一昨年、この展示を見るために訪れたの香川県高松市でした。高松市志度に伝わる「海女の珠とりを伝説」。この伝説は我らが明石町屋台の水引き幕の題材になっています。
かつて、某ボンクラ祭ブログの管理人は、草野球でエラーを含む四度の捕球機会を全て落球するという失態をおかしました。その時彼は自らの気持ちをこう詠みました。
「志度の海女 珠とる幕の町の子を
しどたま落とす アマと呼ぶなり
訳:志度の海女の珠とりの水引き幕の明石町屋台の人を、四度(しど)たまを落とすアマチュアマと呼ぶ。」
 
前置きが長くなりましたが今回と次回は明石町の海女の珠とりがテーマです。
 
 
●海女の珠とり
 海女のたまとり伝説は、おおよそ下のような物語です。こちらのサイトを参考にしました。
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藤原不比等は讃岐の国で、身分の低い海女と出会い恋に落ちます。龍に奪われた面向不背の玉を取り返すことができれば、海女のお腹の子を後継にするという約束を交わし、海女は龍宮に向かいます。
玉を取られて怒った龍は海女を追いかけます。海女は自らの乳房を刃物で穴を開けそこに玉を隠し、不比等の元へ持ち帰りますが、間も無く息絶えます。
その子が藤原氏繁栄の礎となった藤原房前です。
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謡曲では続きがあるのですが、ここでは省略します。
 
先先代明石町水引き幕
下の写真の明石町の先先代水引き幕は、現在三木市立堀光美術館横の倉庫に保管されています。
明石町屋台は、昭和天皇即位奉祝にむけて、淡路の大工棟梁柏木福平氏による昭和初期の大改修がなされました。それからまもなく、この水引き幕の新調、あるいは改修が行われたと思われます。
 
 
↑鳳凰船に乗る藤原不比等たち
神功皇后の三韓遠征ものなどでも、鳳凰船に乗ったものとして描かれています。貴人の乗る船として、鳳凰船や龍頭船などがあります。海女さんを追いかける龍との対比で鳳凰が選ばれたのかもしれません。
 
↑海女さん
波山間に縫われています。幕の上半分に配置されるのは、龍との視点を合わせるため、たくしあげていた時代の名残などが、その理由として考えられそうです。この題材の主役は、貴人である不比等でも、王位などを象徴する龍でもなく、この名もなき海女さんで、屋台正面に配置されます。
 
↑龍
 見る側からすれば、水引幕の迫力を感じるところです。鳳凰船、龍、龍宮などは上下いっぱいに縫われているので、たくし上げることを意図して作られた水引ではなさそうです。もともと海女さんを正面として作られた水引幕ですが、新調された明石町屋台では、龍の迫力を好んで龍が前につけられることもあります。
 
↑龍宮
三連の城で、上部には鯱がついています。そして、扉の裏には○明の文字が。
 
 
次回あたりに明石町が海女の珠とりを選んだ理由について考えていきます。
コメント
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