今回は鯉の滝登りについてのお話です。
物語の出典やその解説は、他サイトにおんぶに抱っこです^_^;
●鯉の滝登り刺繍が好まれた地域
この屋台は昭和初期に彫師・井波の川原啓秀、大工、縫師は共に淡路の人で、それぞれ柏木福平、梶内近一という錚々たる顔ぶれで製作されました。鯉の布団締めは当然、梶内近一によって作られたものです。
↑東這田屋台とその布団締め
この図柄は、どうやら淡路や讃岐(香川県)で好まれた図柄だったようです。下の写真は香川県高松市牟礼町宮北落合太鼓台の布団締めで、鯉の滝登りがモチーフになっています。
↑高松市牟礼町宮北落合太鼓台の布団締め
観音寺太鼓台研究グループ(代表・尾﨑明男)『太鼓台文化の歴史』(ヴォックス)2011より
さらに、その元をたどると人形浄瑠璃がさかんだった淡路、農村歌舞伎が盛んだった讃岐(香川県)などでは、その衣装としても好まれていたことが伺えます。
↑淡路人形浄瑠璃資料館(南あわじ市中央公民館図書館2階)
の人形浄瑠璃衣装
●鯉の滝登りの出典
鯉が滝を上り切ると龍になるという、立身出世の象徴として用いられる図柄ですが、その出典はどのようなものだったのでしょうか?
辛氏三秦記曰、河津一名龍門……大魚?集門下數千、不得上、上則爲龍。辛氏の「三秦記」が言うには、(黄)河の一名龍門と呼ばれる滝の下に大魚が集まるが、なかなか上れないが、上りきれば龍になる
という意味で、ここでは魚が鯉かどうかは分かりません。しかし、昔の絵図の魚を見る限り、髭があるなどやはり鯉であることが多いとのことです。
●鯉の滝登りの説話が生まれた理由
中国の『山海経(紀元前四世紀から三世紀に成立らしいバイwikiぺdia)』では、
「龍、鱗蟲之長」とあります(参考 周正律「漢代における龍の属性の多様化について」『東アジア文化交渉研究8』2015)。
龍は鱗がある動物・鱗蟲の長とされており、鯉を含む魚はその鱗蟲に属する事になります。昔の中国の動物の分類の考え方が、魚が龍になるという説話を生んだと言えるでしょう。
編集後記
播磨国明石郡小寺のめでたき門出を迎えた若き友たちに、この拙文を捧ぐ。
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