●北条節句祭の加西市北条町住吉神社
今回は北条節句祭で知られる加西市北条町住吉神社の拝殿の彫刻をみていきます。拝殿(おそらく本殿も)は国の登録有形文化財です。
↑拝殿にとりつけられた国登録有形文化財の板
↑本殿も精巧な彫刻でできています。
↑拝殿入り口も海と兎とお日さま
●住吉神社の祭神と波兎
件の波兎の彫刻は、拝殿の中にありました。
ではなぜ、住吉神社の拝殿に波兎が多数彫られているのでしょうか。
●波兎が住吉神社に彫られた理由
住吉神社の御祭神は後の合祀した神さんを除くと住吉四神(神功皇后、上筒男命、中筒男命、下筒男命→以下三柱筒男神)と、地主神の酒見神となります。
神功皇后は三韓遠征時に三柱筒男神を船にお祭したことが記されています。つまり、住吉四神は三韓遠征の神さんということになります。
ところで、日本書紀には三韓遠征の兵を集めるときに三輪山に神功皇后がお祈りして、無事に兵が集まったことが記述されています。三輪山の神となると、大乙貴命・大国主命ということになります。こちらの記事でも紹介しましたが、騙して並んだワニをふんずけて海を渡り、怒ったワニに皮をはがれた兎さんを、大国主命はたすけます。兎さんは大国主命がお嫁さんを無事に娶ることを予言しました。
「だから、住吉神社に兎の彫刻が残る! 」と言うにはまだ少し寂しい気がします。大国主命は北条の住吉神社の祭神でもありません。
●住吉大社
結論から言うと、住吉神は航海の神であることから海の彫刻が好まれ、住吉大社に三柱筒男神は神功皇后摂政十一辛卯年(211)卯月卯日に鎮座したそうです(h氏のご教示)。つまり、住吉大社の鎮座伝承が卯を意識したものになっているので、北条の住吉神社でも波兎の彫刻が彫られるているといえます。
その伝承がのっている文献を探してみました。「住吉名勝図会」寛政六年(1794)によると、
「摂津国住吉に鎮座なりしは神功皇后摂政十一年辛卯四月(卯月)二十三日なり」
とあります。この年の四月二十三日が卯の日かどうかは分かりませんでした。しかし、「四月(卯月)卯之日神事」の絵が他のどの神事よりも多くの頁に大きな絵を添えて記述されています。これらのことから、摂津の住吉大社で兎・卯が重要視され、その影響が北条の住吉神社の波兎彫刻にも現れたと言えるでしょう。