月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

222.昔から今へ受け継がれた伝統-韓国全羅道南原市の石像の特徴3/3-(月刊「祭」2019.11月7号)

2019-11-06 23:03:00 | コリア、外国
●韓国南原市の観光名所
 今回は韓国南原市(詳しくは、ウィキpディア)内にある二つの観光名所-廣寒楼苑と萬福寺跡-の石像の特徴についてです。石像をいきなり出す前にそれぞれの観光地の簡単な紹介をします。今回はそれぞれの石造の特徴についてです。

●萬福寺趾、만복사지、マンポクサジ
(アクセスウェブページともに同じサイト)
  記事

●廣寒楼苑・カンハルルウォン・광한루원
(アクセス、ウェブページ<日本語韓国語(한국어)>)

●萬福寺趾の石像
 元々、前の記事に紹介した竿頭支柱の前に立てられていたそうです。裏面には穴が開けられており、同様のものがもう一体あったそうです。よって、幡のようなものを立てる役割もこの石像はしていたことが推測されます。入り口にあり、一対の石像だったことを考えると、仁王像のようなものと考えられるでしょう。
 よく見ると、この像は斜めを向いていることがわかります。
 









●廣寒楼苑北川の石造
 場所は下の地図の通り、廣寒楼苑の北側にあります。南原城の南門趾を表す石碑としてたてられていました。裏側には文字がはっきりと読めませんでしたが、「南原の沿革」が西暦年代で書いてあり、1981年のものが一番新しい年代になります。よって、1981年以降に作られたものですが、やはりこれも斜めを向いています。






●受け継がれた?伝統
 萬福寺の石人像は、何年に建てられたものかはわかりません。ですが、わざわざ案内板が書かれるくらいなので、案内板が書かれた時代に生きている方が生まれる前にはすでに立てられていたものであるとは、考えられます。一方で南原城趾のものは、1981年以降であることは確実で、いわゆる「現代」に建てられたものと言えます。
 しかし、時を経ても
 ①門前に建てられる
 ②斜めを向いている
 という「南原萬福寺式」の石像は受け継がれたと言えるのかもしれません。




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