1屋台・だんじりイベントの光と影
各地で所属する神社や寺院ではなく、各地方自治体や公共機関などのイベントで屋台やだんじりなどがだされることが、最近増えてきました。三木市においても、市制何十周年というイベントが、10年ごとに行われることが慣習化しつつあり、今年は10月25日土曜日に行われる予定です(雨天順延)。
三木市制50周年式典の様子
屋台やだんじりが、その地域のシンボルであり、根強い人気があることを考えれば、当然のなりゆきかもしれません。それらが地域活性化に繋がり、普段会わない屋台やだんじりが顔を合わせるのも非常に楽しいものです。また、ほとんどの祭が土日開催になり、同じ日に祭をするところの屋台を見るチャンスにもなります。個人的には祭礼日が同じ友人を誘うことができるので、非常に嬉しく思っています。
しかし、これらの屋台、だんじりが一同に会するイベントにも、問題が付きまとうように思います。それは下の①~③です。
*①②に関しては、賛否両論があります。また、②に関しては、同じ屋台をみてその問題に該当するかどうかの意見が分かれる場合もあります。
① 小規模な祭礼の地域が、大規模な地域の祭礼の掛け声や担ぎ方などを真似して、独自性と優れた屋台・だんじり文化が失われる。
② 屋台本体も、華美化・新調の競争に走り、業者の腕の優劣によらず、優れた彫刻や独特の造りが失われる。
これら2つは、祭礼をする側が気をつけなければならない問題です。独特の造りを持つ屋台が、画一化された造りの屋台に生まれ変わる例をいくつか見ました。
③ イベントを小規模な祭の日とかぶせる(友人より聞き取り)。
これは、地方自治体のイベントを行う側は、必ずしも祭りが好きな人、その土地土地の屋台の祭に敬意を持つ人でない可能性があるので、警戒する必要があるということです。
三木市制60周年イベントは非常に楽しみにしているだけで、その日程設定のおかしさに自分も気づくことはありませんでした。それを恥ずかしく思うと同時に、その日程設定を二回続けることに疑問も抱いてしまいます。そして、本当に大事なのは、そのようなイベントではなく、本番=各神社の祭りであることを忘れないようにしたいものです。
2淡路市西部ふとんだんじり、歌奉納の比較
南あわじ市では本殿に背を向け、舞台に上り「だんじり唄」と呼ばれる人形浄瑠璃の台本をもとにした台詞も交えた唄が演じられるところが多々あります。その時に使われる楽器が、だんじりの太鼓となります。
それが北にあがり、 淡路市に入ると神社に関係した歌を、本殿に向かって歌う形態になります。そこで、淡路市の西部に位置する伊弉諾神宮の歌の奉納と育波八幡宮の歌の奉納を比較してみます。
<淡路島の地図。mapionBBの画像を写真でとり、後に管理人が文字を足した。>
これら二つの神社のだんじりは、ふとん、曳き、舟問わず、「ひーとふーのおーしゃーまーのしゃーんとせー」と聞こえるような掛け声で、担ぎ上げ、曳き始めを行うという共通点があります。また、先述の通り、南あわじ市と違い本殿に向かって歌う形態をとっています。
しかし、伊弉諾神宮と育波八幡神社の祭礼文化には大きな違いが見受けられました。それが、神社の歌の奉納でだんじりの太鼓を使うかどうかです。南あわじ市に近い伊弉諾神宮では、だんじりの太鼓を伴奏に使いますが、少し北に行った育波八幡宮ではだんじりの太鼓は、使わないで締め太鼓のみを使います。また、記憶は定かではないのですが、同じように締め太鼓で歌を奉納する様子を、淡路市立北淡歴史民俗資料館のビデオで見た・・・・と記憶していますが、自信はありません。
おおよその分布は下の表のように南から北へと変化するようです。
締め太鼓を使って歌を奉納する風習は、遠くは京丹後市伊根町の宇良神社などでにもあります。このような神社に奉納する歌の風習が、だんじりと浄瑠璃の流行にともないだんじり唄に変化し、また、だんじり唄に変化はせずとも、伴奏にだんじりの太鼓を用いる風習は次第に北に伝わったということはいえそうです。
では、二つの神社の歌の奉納の映像をクリック↓
淡路市育波八幡神社 里の町だんじり 練り歌の奉納 20140413
淡路市伊弉諾神宮春祭 井出 ふとんだんじり 神宮歌の奉納 20130422
編集後記
「1屋台・だんじりイベントの光と影」での写真は一枚だけの掲載としました。というのは、屋台・だんじりイベントの写真は持っているのですが、必ずしもイベントの問題点として提示したものに、その写真が該当するのかどうかは、分からないからです。
今年見学させていただいた、育波八幡宮の里の町だんじりの方に、水引き幕の内側の天蓋彫刻を見せていただくなど、本当にお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。
春になってから、17年あこがれていた太鼓台研究者・尾埼明男氏、成願寺整氏とお話する機会を頂きました。また、祭歩きを始めた頃にお世話になった方と再びお話することができ、楽しかった時のことを思い出す春になりました。当時に負けないような楽しく充実した日々をこれからも過ごしたいものです。
次回は、前回の龍王舞の記事の追記と、明石太鼓台シンポジウムの振り返りの記事を掲載予定する予定です。 *明石太鼓台シンポジウムについては、テーマが大きくなってきたので投稿を見送ります。(5月8日追記)
現在市外に住む者の無責任な意見ですが、屋台大集合のイベントは10月は無理があったと思います。
1.小規模な祭礼と日程が重なる
この月の最終土日は市内でも祭礼を行う神社があります。一度見学に行きましたが、こじんまりしたなかにも地域みんなで祭りを大切にしている雰囲気がありました。
イベントを企画する側にそのあたりの配慮は無かったのでしょうか。もちろん参加の可否は氏子さん達の総意によりますが・・・・・・・。
2.応援者のこと
祭礼では市外からも担き手が参加していますが、それは参加する神社および地域との人的な繋がりがあればこそで、市のイベントまではなかなか対応出来ないと思います。10月の祭礼に参加後、1週間または2週間後に再び屋台を担くことになります。
プログラムでもしも総練りを行う場合、要員不足は目に見えています。
屋台を観光材料にしたい市の考えも理解出来ますが、少子化等条件が良くない中で長年頑張って祭礼を守っている市内の各神社および氏子さん達のバックアップを市には考えてほしいと思います。
いつもご愛読ありがとうございます^_^
納得できないことがありながらも、タイコを出す日が増えるのでやっぱり楽しみになってしまいますね。
あと、下の手順ならこのような日程の設定もやむを得ないのかもしれません。
1 当該日程の祭礼側にイベントがある旨を告知した。その際に希望の日程を聞いた。
2 だが、その祭礼の立場としては、いかなる日程でも祭礼に参加する意思はないなどの返答があった
3 なので日程をその日に決めた。
しかし、担ぎ手を集める観点からしても、ボランティアやバイト学生を担がせるのはあまりに危険です。やはり頼りになるのは祭り経験者。市外の祭経験者を集めるにしても、10月に行うのは条件が悪そうな気がします。