お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

2021年11月の言葉 その4

2021年11月14日 | 仏教


 ほのぼのカレンダー 東井義雄先生の言葉です。

 家族に遇えたのはよくよくの縁。思いやり、いのちの灯火を灯し合って、1日1日を大切に生活したいと思います。
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2021年8月〜11月新型コロナ

2021年11月10日 | 雑感


 先日の生け花お稽古は立て花。仏前の供花、小ぶりの立花です。
 
 さて、タイ在住の次女家族。
この夏、インド始め東南アジアで新型コロナ変異株が日本より早く大流行。タイも厳しいロックダウン。
 周囲の日本人駐在員家族が次々帰国される中、お婿さんの会社からも一時帰国命令。
 結果、帰国したのは「かえって帰国するのは危ないんじゃない?」と不安になる8月末、日本が感染爆発時。
 公共交通は使えないので、一時帰国者(首都圏に住まいの無い、地方出身者)対応の送迎、東京の家具付きアパートで隔離生活。隔離後、2回ワクチン接種。でも、東京から佐賀に来るのをためらっていたら、東京の緊急事態宣言解除。東京-佐賀の直行便で、母子2年ぶりに帰省。赤ちゃんから幼児に成長した孫と、1週間賑やかに過ごすことができ、仕合わせでした。
 次女家族は2ケ月半の一時帰国(お婿さんはリモートや出勤でずっとハードに仕事してたようですが)を経てタイに戻りました。
 11月からワクチン証明の観光客を受入れ始めたタイ。
 世界で再び感染増加しているそうですが、どんどん変異して弱毒化してくれたら、いいですね。
 さて、感染者の減った日本、ゆめさが大(高齢者大学)のお仲間も2年ぶりに子どもや孫に会いに東京に行くとかフルムーン旅行に出るという話題があちこちに出ています。
 
 
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2021年11月の言葉 その3

2021年11月09日 | 仏教


 もう随分前に、直方の圓徳寺様からいただいた月めくりです。
 圓徳寺前住職様のお祖母様・小倉の法泉寺坊守さまであられた黒田トモ様の写真と言葉です。
 黒田トモ様は90歳を越して初めて写真を撮られるようになり、写真と共に法悦の言葉を綴られた とご紹介されています。
 
「我」(自分を是とする心)が邪魔して、なかなか素直に仏法を聞くことが難しいことをお釈迦様が仰っています。
 「この私のために」
 私が生きる目標・目的地はどこなのか
 素直に仏さまの本願をお聞かせいただきたいとあらためて味わせていただいています。
 
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2021年11月の言葉 その2

2021年11月07日 | 仏教
 

 浄土真宗本願寺派山陰教区発行の「山陰妙好人カレンダー」
今月の言葉です。
 人生どう生きるべきかという大切なことは、
占い(人の言うこと・自分にとって都合が良くなることを問う)ではなく、
念仏(仏さまが私に何を願われているか)に問い、生きていきたいと思います。
 仏さまの前に座って、悩みも愚痴も吐き出して・・・時には怒って・・・泣いて泣いて・・・
そして静かに、仏さまなら私に何と仰るか、仏さまにご相談したいと思います。

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伊都国へ

2021年11月05日 | 雑感
 ゆめさが大の同期、同じ班のお仲間8人で糸島(古の伊都国)へ。
 何しろ、昨年コロナ禍に5ヶ月遅れで入学の私たち。講義は対面で受講できたものの、もちろん懇親会はできないまま。
 感染者が落ち着いてきた今のうちにと、班長さんが懇親ドライブを企画してくださいました。
 三瀬経由、山越えで福岡県へ。
 まず雷山千如寺大悲王院
 

  


 次に






 その後、芥屋(けや)へ


 昼食に海鮮丼をいただき、遊覧船に。


 ↑ 遊覧船から芥屋大門。
 
 その後、櫻井神社。
 




 最後は二見ヶ浦の夫婦岩




 私、糸島は初めて。
 本当に感謝、感激。お世話になりました。楽しい高齢者の修学旅行の1日でした。

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仏教の誤解

2021年11月04日 | 仏教
 2日、寺族勉強会に出席。
 講師のO先生が歎異抄の味わいをお話くださっています。
 当日は第5条。 
 「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだ候はず・・・(略)」
 
 日本人の仏教に対する伝統的感覚は
①攘災招福(災難をはらい、福を招く)の祈願祈祷
②追善供養(先祖供養)死者の霊を慰めるために読経
 
 つまり、
「自分や自分の愛する者の幸せを願う」
「供養を物故者のためにしてあげる」
という、本来の仏教とは、かけ離れた感覚(自分自身の心が何も問題にならない)で仏教をとらえがち。
 大切な人の幸せを願うのは誰もが持つ凡夫の情ですが、では見知らぬ他人の幸せはどうなのか。
 また、死後さまよったり、たたったりする「霊」ではなく、尊い覚りの「仏」となっておられる先祖を煩悩だらけの凡夫の私ごときが「慰霊する」とか「冥福を祈る」など、何と不遜な考え方でしょう。
 親鸞聖人は
亡き父母の孝行や供養のための念仏ではなく、仏さまへの讃嘆、報恩感謝の念仏であることをお示しくださっています。
 
 故人の祥月命日や年忌法要を大切にお勤めするのは、故人のためでなく、私が仏縁にあわせていただくため。
 故人の生前の御恩に感謝するのはもちろん、今は仏となって私を心配し、私が仏の教えに心を合わせ生きることを願ってくださっていることに気づかされるため。
 普段なかなか手を合わせず、念仏も称えないこの私が仏前に座らせていただくための仏事、仏縁だと、あらためて味わせていただきました。


 


 
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2021年11月の言葉

2021年11月01日 | 仏教
 今年も残り2ヶ月。
 法語カレンダー今月の言葉は
中西智海師(本願寺派勧学1934-2012)の言葉。
 ちなみに「勧学(かんがく)」とは、仏教教学の最高位です。

 

 絵は片岡鶴太郎氏です。

 「人間そのものの目ざめ」
 阿弥陀如来の智慧と慈悲の光に照らされ、気づかされる私の姿、生き方 と味わせていただいています。

 

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