前回の続きです。
私の話を聞いて、
「ああ、今まで、思い違いをしていました」
と、うなずいてくださる方がおられる一方、
「『仏事が故人のためではなく、自分のため』というのは、自分のことばかりで、故人に対して、何だか冷たい感じがしますが・・・」と仰った方があります。
まず、その方は、「仏さま」という言葉の意味を誤解されているように思います。
おそらく、その方にとって、
「仏さま」という名称は、単なる「故人の死後の別称」「死者の尊称」ぐらいに思っておられるのかもしれません。
「仏さま」って、覚りを得た方 です。
完全な智慧と慈悲の「はたらき」となられた方です。
その「仏さま」に対して、欲も多く愚痴ばかりの私ごとき人間が
「亡くなった人は、かわいそうだから、法事をしてあげる。仏事に参詣して、故人を慰めてあげる」と思うこと自体、傲慢であります。
また、もう一つ誤解されておられるのが・・・
つづく・・・
私の話を聞いて、
「ああ、今まで、思い違いをしていました」
と、うなずいてくださる方がおられる一方、
「『仏事が故人のためではなく、自分のため』というのは、自分のことばかりで、故人に対して、何だか冷たい感じがしますが・・・」と仰った方があります。
まず、その方は、「仏さま」という言葉の意味を誤解されているように思います。
おそらく、その方にとって、
「仏さま」という名称は、単なる「故人の死後の別称」「死者の尊称」ぐらいに思っておられるのかもしれません。
「仏さま」って、覚りを得た方 です。
完全な智慧と慈悲の「はたらき」となられた方です。
その「仏さま」に対して、欲も多く愚痴ばかりの私ごとき人間が
「亡くなった人は、かわいそうだから、法事をしてあげる。仏事に参詣して、故人を慰めてあげる」と思うこと自体、傲慢であります。
また、もう一つ誤解されておられるのが・・・
つづく・・・