お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

鹿児島別院 その2

2012年05月31日 | 行事・案内
 佐賀県のこの辺りのお寺のことしか知らない私ですので、
鹿児島別院に参拝して、ちょっとカルチャーショックを受けました。

 鹿児島は、江戸時代、薩摩藩の念仏禁制が300年続き、
明治2年には、廃仏毀釈により、藩主の葬儀を神式に制定し、藩内の1060ヶ寺(もちろん真宗寺院はないので他宗寺院)を廃絶

 明治9年、信教の自由が布達され、本願寺から開教使6名が鹿児島出張所に着任
それから、現在の本願寺鹿児島別院となってゆくのですが・・・

 鹿児島には、他藩(念仏禁制でなかった土地)のような、例えば法専寺のように、戦国末期から代々、単独寺院として続いてきた という 真宗寺院はないので

 旧・鹿児島市の浄土真宗門徒さんは、皆さん、鹿児島別院のご門徒さんです

 そして、鹿児島別院の出張所として、それぞれの地区・23ヶ所に出張所・お寺があり、そこの住職さん(何とお呼びするのか聞きそびれました)方は、鹿児島別院から派遣された僧侶方なので、学校のクラス担任のように、数年おきに転勤されるのだそうです。

 出張所には、保育園・幼稚園を併設されている所も多くあります。

 私たち坊守一行が鹿児島別院に参拝した日は、土曜日(休日)とあって、
子ども降誕会」(親鸞聖人のお誕生日5月21日をお祝いする子ども達の集い)が賑やかに行われておりました。
 ただ今、別院は内陣修復工事中。本堂が幾分狭くなっていましたが、それでも本堂いっぱいの子ども達の数にびっくり さすが鹿児島教区

 命がけで真宗の教えを守り、伝えてこられた方々の末裔ですから、
代々何となく所属寺院に属してきた私のような者とは、違います。 
 
 
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隠れ念仏

2012年05月30日 | 仏教
薩摩藩の念仏禁制により、念仏者は、役人に気づかれないよう、風雨の夜に、こっそりと、講(勤行し、仏法を聞く集い)を開いていました。

 訪ねた鹿児島市花尾町の「花尾念仏洞
 今こそ、丸太の階段があり、上り下りしやすくなっていますが、それでも、自然豊かな山道です。その山道を、200メートル上ったところに念仏洞があります。

 当時は、道なき道だったでしょう。 雨の日、提灯に風呂敷を被せ、足下だけを照らして、講に参集されたと聞き、ご苦労を偲びました。



 これも、一代で終わらず、明治9年鹿児島県参事が信教の自由を布達するまで、実に300年間、子どもへ、孫へ、身の危険にさらされながら、真宗の教えが受け継がれたのですから、すごいことです。

 上記写真(洞窟のご本尊)は、別の念仏洞・知覧町の「立山念仏洞」。
腰を折り曲げて洞窟に入っていった奥に安置されている阿弥陀如来像です。

 立山念仏洞も、外からは岩にしか見えない自然に囲まれたところ、その陰に入り口がありました。
 
 
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鹿児島別院

2012年05月29日 | 仏教
組の坊守研修旅行で鹿児島へ。
 私、九州に生まれ育ちながら、今まで、鹿児島へ行ったことがなく、何もかも初めて・・・
 もちろん、九州新幹線も初めて。新鳥栖駅(佐賀から言えば鳥栖駅より手前)を利用したのも初めて。
 佐賀~新鳥栖まで(長崎本線・特急で)12分
 九州新幹線「さくら」で、新鳥栖~鹿児島中央まで1時間20分ほど。
佐賀から乗り継ぎ時間入れても2時間かからずに到着です。速い速い

 まず、鹿児島中央駅近くの浄土真宗本願寺派 鹿児島別院(会社に例えると、本願寺の鹿児島支店のようなお寺)に参拝。
 写真は鹿児島別院のパンフレット掲載の写真です。

 薩摩藩では、念仏禁制の厳しい弾圧が300年続きました。 鹿児島別院の紹介文によりますと

 「阿弥陀如来の前には、すべての生きとし生けるいのちは尊い」という教えが、当時の封建体制に相添ぐわないという理由から、また、念仏者の何ものをも恐れない団結力への警戒心から始まった薩摩藩による浄土真宗の禁制。明治期になって開教が開始されましたが、別院建立を困難にした西南戦争。明治30年に再建した別院を1日にして廃墟とした第二次世界大戦末期の鹿児島空襲。
 これら幾多の苦難に耐え続けた多くの人々の熱意と努力の結晶が鹿児島別院であります。特に300年にわたった薩摩藩の念仏禁制の弾圧は拷問、殉教など、筆舌に尽くし難い苛酷なものでした。」

 鹿児島別院境内に「涙石」があります。(写真下)
 これは、捕えた念仏者を三角柱の尖った木の上に正座させ、ヒザの上に大きな重い石を乗せて拷問したものです。足の骨は砕け、血が流れ・・・それでも同朋(仲間)のことを口割らず、絶命されたそうです。

つづく・・・

 

 
 
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お経

2012年05月25日 | 仏教
 お経は、お釈迦さま(仏)の説法です。
 私たちを覚りに導くための説法です。
 読経するのは、仏の徳を称え、自分の耳でくりかえし教えを聞くためであって、死者のために読経しているわけではありません。

 真宗の味わいでは、故人は、阿弥陀如来の本願力(如来が、私のような人間までも、覚らせたいと願われている はたらき)によって、亡くなると同時に、往生(浄土・仏の世界に生まれ)成仏(仏・覚者と成る)させていただいているのですから、

 仏前で読経するのは、尊い仏と成られた故人のため(今さら、説法を聞かなくてもツーカーでしょう)ではなく、私自身のこころが、どこを向いて生きているのか 省みながら、仏さまを讃嘆するため。

 仏教は、亡くなった人のためにあるのではなく、いつも私自身が問題なんです
 私を棚上げして、死者のために読経しているなんて思い違いをしていたら、
仏さまが悲しまれることでしょう


 
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黄金輝く佐賀平野

2012年05月23日 | 佐賀ネタ
 佐賀平野は、麦刈りが始まりました。

 今年は、花の開花が遅れたように、麦も生育が遅れた・・・と農家の方が仰っていました。
 麦刈りが終わると、やがて、田植えが始まります。

 専業農家のS氏が
 「作物の出来は、80~90%が天候次第。自分たちにできることは極わずか」と謙虚に話しておられたことを思い出します。

 

 高い評価を受けている佐賀米です。

 

 

 
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感受

2012年05月22日 | 仏教
 昨日の金環日食
 佐賀は部分日食だったそうですが、残念ながら、雨模様で観ることができませんでした。

 そして、昨日5月21日は、親鸞聖人のお誕生日
 本山(西本願寺)では、20,21日の2日間、降誕会の法要が勤修され、本願寺WebTVで中継がありましたので、パソコンの前で、しばしお参り。(何と、便利な世の中でありましょうか

 夜は、G寺さんにて開かれている、勉強会の末席に着き、講義を聞かせていただいたのですが、
 同じ世界でも
仏・覚者(真理・さとりを得た者)が見る・受け取り方 と
凡夫(いや、凡夫の自覚もない者)が見る・受け取り方 とは
ものすごい、大きな違いがある

 浄土を 西方過十万億仏土 と、教典(仏説阿弥陀経)で表現されているのは、
私(凡夫)の感受(自分中心の物の見方・感じ方)と 仏の感受(さとりの智慧で感受する)は、それほど大きな違いがある ということを表した教文。

 例えばの話
雑草と蘭の花を見て、差別するのが凡夫
雑草(いえ、雑草とひとくくりにするのは失礼で、それぞれ植物に名前があるでしょうが)とに、同じ美しさを感受されるのが、仏(覚者)なのだ と、聞かせていただきました。


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先に往く者は

2012年05月20日 | 仏教
 昨日、親戚の寺院前住職の満中陰(まんちゅういん:四十九日)法要に、住職代理でお参りさせていただきました。

 故・前住職さんはユーモアあふれる方で、ウチの法事の時など、昨年往生した叔父と漫才コンビのように、皆を笑わせてくださっていたのを、なつかしく思い出します。

 晩年は、体がご不自由になられ、6年間、ご家族の介護を受けられたのですが、昨日のご住職(ご子息)のお話が心にしみました。

 「介護を要する身は、世間的には「役に立たない」身であるでしょうが、父が残してくれたものは、大きかった。老病死を身をもって、私たち、後の者に示してくれた」

 そして、前坊守さんの句をご紹介くださいました。

 じいちゃんが 教えてくれた 老病死
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佐賀教堂開館記念法要

2012年05月18日 | 行事・案内
 本願寺佐賀教堂 開館記念法要

は、佐賀教堂の土地・建物を寄贈された横尾雄一氏のご命日をご縁として、平成19年から毎年勤修されている法要です。

 日時:5月26日(土)午後1時半 
 場所:本願寺佐賀教堂 
 記念布教:勧学 相馬一意 師(東京教区)

 当日午前中は、(前もって申し込まれた方の)帰敬式(ききょうしき:仏弟子となる儀式を受け、法名を拝受する)があります。

 午後の法要は、どなたでもお聴聞できますので、どうぞお参りください
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仏教の言葉

2012年05月17日 | 仏教
 世間は、各自・自分の都合で善悪を判断しがちです。

 2月末でしたか、3月はじめでしたか・・・NHK「こころの時代」に佐賀県の浄土真宗本願寺派ご住職で、本も出版しておられる谷川理宣師がご出演でした。

 自我を風船に例えてお話くださいました。 
 風船の外には大きな世界があるのに、風船の中の自我意識の中で生きて、苦しみ、悩み、人をそしる・・・
 
 その放送の終わりに、お寺の掲示板が映され、その言葉に、大きくうなずかされました。

 自分に都合がよいと
 他人の悪も善に見え
 自分に都合が悪いと
 他人の善も悪に見える
 
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沖縄復帰40年

2012年05月16日 | 雑感
 私が子どもの頃、沖縄はまだアメリカに占領されていました。
 知り合いのM氏は、沖縄出身で、確か私の一つ年上ですが、
そのM氏が本土の企業に就職する時、パスポートが必要だった・・・と、聞いたことがあります。
 日本に復帰するまで、沖縄では、車の運転も、アメリカ同様、右側通行でしたから、
右折左折する時、反対車線に行きそうで、慣れるまで怖かったという話も聞きました。

 40年。
 
 基地問題を始め、沖縄の方々に押しつけてきた多くの犠牲、問題を、本土の者は、人ごととしてはいけない と、あたらめて感じました。 
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