きょうは、仏事が重なって、久々に私も法務のお手伝い。
ご近所のM・T氏の13回忌にお参りさせていただきました。
いつも、一番最初におつとめする「三奉請」(さんぶじょう)を調声しながら、そのお宅の仏壇の荘厳(しょうごん:お飾り)をながめてしまうのですが、さすがMさん宅は、間違いなく、きちんと浄土真宗本願寺派の作法に従って、お荘厳されていました。
そして、Mさん宅のお仏壇の本尊が、絵像(阿弥陀如来を絵で顕された掛け軸)ではなく、字で書かれた名号(みょうごう:南無阿弥陀仏)であることに、有り難さを感じました。
もちろん、絵像も尊いのですが、絵像の場合、両脇掛けが、向かって右に親鸞聖人、左に蓮如上人 が通常です。
それが、
本尊が、六字の「南無阿弥陀仏」 の場合、両脇掛けも字で書かれています。
向かって右に、「
帰命尽十方無碍光如来」(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)
左に、「
南無不可思議光如来」(なもふかしぎこうにょらい)
同じ、阿弥陀如来を言い換えた、阿弥陀如来のはたらきを言葉として顕した別名(言葉では表現できない仏の境地を何とか言葉で表現しようとして言い換えたもの) です。
帰命(きみょう)も
南無(なも)も、同じ「帰依します」「お任せします」(阿弥陀如来に心を合わせて生きてゆきます)の意味。
尽十方は、到らぬところがない意味。十方は、四方八方の方向・八方に上下の空間を加えたのが十方、つまり宇宙空間のようなものでしょうか。
無碍は、さわり、とらわれ、妨げがないこと、 光は、仏さまの智慧と慈悲のはたらきを光で表現されます。
不可思議とは、私の思議(小さな我欲の心)では、わからない、仏さまの尊い不可思議のはたらき。
帰命尽十方無碍光如来 は、いつでもどこでも誰にでも届いてくださる如来(仏)さまに、帰依します。
南無不可思議光如来 は、私の我執を打ち破ってくださる智慧と慈悲の如来さまに、帰依します。
阿弥陀如来の仏心が、いっぱい、満ちあふれた Mさん宅のお仏壇の前で、
仏事に参詣のご家族、ご親族の皆さんと共々に、読経させていただきながら
有り難いなあ~
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仕合わせやなあ~
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と、しみじみ思わされたことでした。