お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

幽霊は出ますか?

2010年07月30日 | 雑感
 8月に大忙しになる前に・・・と、美容室へ。

 若い美容師さんとの会話。(彼は、私が浄土真宗のお寺の者と知っている)

 「お寺の敷地内にお墓はあるんですか
 「はい、ありますよ」
 「幽霊って出ますか (墓地が)怖くないですか
 「幽霊は出ませんよ 私はお寺に嫁に来た時から、お墓が怖い と思ったことはありませんし・・・私は幽霊より、人間のほうが、よほど怖いと思うけど・・・
まあ、昔は、土葬だったから、遺体が腐敗する時にガスが出て、それに何らかの(線香?で)火がついて、現実に火の玉が飛ぶということは、あったらしいですが、今は火葬後、納骨されているだけで、火の玉が飛ぶこともありませんしね。
 そもそも、仏教では、死後、生きていた時と同じ感受性をもった『霊魂』が存在するとは考えませんから」
 「あ、仏教では、『霊魂』の存在を言わないんだ・・・」
 「そうそう、だから、幽霊は出ませんよ

つづく・・・ 

 
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人間に生まれるってこと

2010年07月29日 | 雑感
 あり得ないほど、確率低く、難しい・・・

 いえ、宝くじで、3億円当たる 話ではありません。

  宇宙の中の、この地球に、「人間」として「私」が誕生したのは、それほど奇跡だ ということです。 
 
 どれほどの縁があったのでしょう
 どれほど数多い「いのち」のリレーがあったのでしょう

 3億円当たらなくても、
「この地球に人間として誕生する」という、スケールの大きい(いや、量りしれない)クジには、見事、当選したわけで・・・

 せっかく恵まれた、奇跡の「いのち」 なのだから

 不平不満ばかりで生きるのは、
自分の「いのち」を粗末にしていることで、もったいない

 この世で、人間としての「いのち」を「私」なりに(それなりに)全うすべく、しっかり生きよう

と、猛暑で、何もやる気がでない中、自分で自分に言い聞かせている私であります。

 
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ジーン・ワルツ

2010年07月28日 | 本紹介
 「チーム・バチスタの栄光」「ジェネラル・ルージュの凱旋」等々、数多くの医療問題をテーマに執筆されておられる医師

 海堂尊 氏の 「ジーン・ワルツ」 新潮文庫

今度は、産婦人科医療がテーマです。

 来年2月、菅野美穂さんが主演で、映画化されるらしい。

 「ジーン」は gene 遺伝子のこと

 「ワルツ」は 三拍子のワルツのこと

 本文にこう書かれています。
P10
 
 「親から子へ伝えられる遺伝子はDNA配列で、それはアミノ酸の製造法を記載した秘儀書だ。暗号のベースとなるアルファベットは、A、T、G、Cの四文字。その塩基の三つの組み合わせが一種類のアミノ酸を指定する。
 つまり、生命の基本ビートは三拍子、ワルツなのだ。」

 仏教の「礼讃文(らいさんもん)」は
 「人身(にんじん)受けがたし」 と、始まりますが、

 こうして、「私」と意識する生命体 が、生まれ、今、生きている・・・
本当に本当に不思議なことです。(私の「思議」をこえている「不思議」)

あり得ないほどの確率で「私」が誕生し

多くの恵み(縁)の中に、生きている・・・奇跡

 恵みに鈍感で、何でも「当たり前」と思ってしまいがちな現代人の問題も含めて、

「いのち」について、考えさせられる作品でありました。 
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平和を願う佐賀教区のつどい

2010年07月27日 | 行事・案内
 例年通り、8月6日に 平和を願う佐賀教区のつどい ~全戦没者追悼法要~
が行われます。
 
 8月6日(金)12:30 於 北佐賀草苑

 今年は、福岡・ペシャワール会事務局長 F氏を講師にお迎えし、

 「アフガンに命の水を 国際協力27年」のテーマでお話いただきます。
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夏の境内清掃

2010年07月25日 | 雑感
 きょう午前中、法専寺のおみがき・境内清掃でした。

 連日の猛暑。
 きょうも、暑い、ジリジリと照りつける強い日差しの中、31名の方々に清掃奉仕をいただきました。

 作業前の挨拶で住職が
「毎日、熱中症でたくさんの方が亡くなっていますので、水分補給を十分にされ、決して無理なさらないように

 それを聞いたY氏
「いやあ、お寺で死ねたら本望でしょう


 さて、作業。
 
 女性は、仏具のおみがきと門徒会館掃除
 男性諸氏が、外掃除と本堂掃除に分かれ、
本堂では、足場を組んで、天井、梁など、普段手の届かない高い所まで上って、拭き掃除。
 高い所に上るってことで、いつも「若手の男性」が作業してくださるのですが、

 還暦を迎えたばかりのM氏曰く
「『若手男性』と言われ、私も60才過ぎたから、どうしようか躊躇していたら、声をかけてもらい、私もまだ『若手男性』に入っていたか・・・と」

 それを聞いた70才迎えたばかりのK氏曰く
「お寺では、70才もまだ『若手』よ~ 80,90の先輩たちが大勢おられるから・・・」

 
 こうして、法専寺は、内外ピカピカになりました

 猛暑の中、汗だくで境内清掃のご奉仕くださいましたご門徒の皆様、本当にお疲れ様でございました 
 厚く御礼申し上げます。
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夏休み子ども会

2010年07月24日 | 行事・案内
22日、23日は、本願寺佐賀教堂にて、 組の「夏休みこども会」

 組内11ヶ寺の子ども達23名の参加。法専寺からも4名参加してくれました。

 おつとめ、法話はもちろんですが、お楽しみの時間も盛りだくさんで、
腕輪念珠作りもあったそうです。
 参加した子ども達は、とても楽しかった様子。
(早速、お祖母ちゃんから「今、孫が大喜びで、報告してくれています」とお電話いただきました

1泊2日、お世話をくださった組内の若手僧侶、坊守さん方、門徒推進員のAさん、ありがとうございました。お疲れ様でした。

 写真は、今年4月に改訂発行された、黄色でシンプルな表紙の
子ども用の聖典「せいてん」

 新しい子ども用聖典は、工夫されて、なかなか優れものです。

 作法もイラスト付き。おつとめの音程も五線譜で表示されています。

 大人の方にもオススメの「せいてん」です。

 
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ビハーラで

2010年07月22日 | 雑感
 ビハーラ活動で、特別養護老人施設のK苑を訪問。

 94才のAさんが仰いました。

 「こんな年になるまで、生きているなんて、思いもしませんでした。
一体、いつまで生きるのだろうかと、自分でもあきれています。
いいかげん早く死んでやらないと、子ども達に迷惑をかけると思うのですが、こればかりは、どうしようもありません。
 それで今は、考えても、どうしようもないことは、考えないことにしました。
 私は、幸い、ご飯は美味しくいただけるし、自分の足で歩くこともできるので、ありがたいことだと思っています。
 こうして、訪問してくださる方と会話できるのも楽しくありがたいことです。」

 本当に、人それぞれ、
自分の思い通りにいかないのが、この娑婆世界。

 若死にを「不幸」 長寿を「おめでたい」と言うけれど

年老いて、「若い者に迷惑かけている」と思いつつ、弱った心身で、体の不調・痛みをこらえつつ、生きていくのは、
これは、もう大変な 修行 だと感じます。

 それをさらりと明るく仰るAさん

 ビハーラ活動は、人生の先輩方に学ばせていただくことばかりです。
 
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受け取り方

2010年07月21日 | 雑感
 一人ひとり違う感受性をもって、この世に生きているのですから

 ひとつの事象を見ても、その受け取り方は、一人ひとり異なります。

 つまり、私が見て、感じる世界観は、みんなが見て、感じる「共通の世界観」ではありません。

 また、同じ場面でも、立場が違えば言うこと(感じること)が、正反対になったりします。

「どうして、私の気持ちがわからないの
と、腹を立てても、相手は、あなたではないのだから、あなたの気持ちそっくりわかるわけがない。

「空気読めよ~ 言わなくてもわかるだろう
と思っても、自分勝手にイライラが増し、自分で自分を疲れさせるのみ・・・

 お互いが、それぞれ「自分の感受性」・煩悩をもって生きている。

 それをお互い思いやり、
物言わぬまま、お腹がふくれるより、気持ちは、穏やかに 伝え合うのが、よさそうです。

 ま、意見してもらえる間が、有り難いことで
言っても無駄 と、思われたら・・・悲しいです。私は、大丈夫かな 
 
 
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我執

2010年07月19日 | 仏教
 仏教で言う「悟り」とは、「我執」が、一切なくなった 心の状態 

「我執」とは、「我」(自分の思い)に「執着」すること。「自分中心の考え方にこだわる」ことです。

 「自分中心」とは、単なる「ワガママ」の意味ではありません。

 自分が生まれ育った中で、身につけてきた価値観 や 自分が正しい と思うこと を 全ての判断基準とし、

その自分の判断・感性が「正しい」「常識」  と、思い込むことを「自己中心」と言います。

 一人ひとり、受け継いだDNA(気質)も、生まれ育った環境も、積み上げてきた経験も違うのですから、

Aにとって、素晴らしいことが、Bにとっては、つまらない かもしれない。 

Aが、よかれと思ってしてあげたことに、Bが何も感謝しない(迷惑と思っているかもしれない)

のは、よくあること。

Aが、Bに腹を立てるのは、「自己中心の見方」で「自分で自分の怒りを高めているだけ」です。

その「我執」を「煩悩」と言います。

   

 

 

 
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導くために

2010年07月16日 | 仏教
 1997年イタリア映画「ライフ イズ ビューティフル」

ご覧になられた方も多いと思いますが、
あの作品を観て以来、主人公の素晴らしいお父さんをいつも思い出します。

 映画は、第二次世界大戦中、
ユダヤ系イタリア人の若いお父さんは、強制収容所に送られる。
母親と引き離されて不安がる幼い息子が、収容所で安全に、心穏やかに生活できるよう、
彼は、息子に「これはゲームなんだ」と、言い聞かせる・・・

幼い息子は、何も分からないまま、素直に親の言うことに従って、結果、生還できる。

 私は、あのステキなお父さんを思い出す度に、
お釈迦さまを思うのです。(もちろん、映画とは直接関係ないのですが)

 お釈迦さまにとって、自己中心の 感性(物の見方)を離れられない私は、言って聞かせるのが容易ではない、幼子と同じ。

 自分で 悟る(自分の思いに執着する心を離れる)ことのできない、
いや、悟ろうとも思わない 幼子(私)を 
正しく 悟りに 導くためには、どう言い聞かせたら、よいか・・・

 お釈迦さまは、それこそ長い間、思惟なされたことでしょう。

 今、そのお心が「南無阿弥陀仏」となって、私に届けられている

 素直にお釈迦さまのお心を拝し、称名念仏申させていただきたいと存じます。
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