ひろさちや著「宗教の読み方」すずき出版 に書かれていることからご紹介。
仏教では、自分と他人を比較しようとする心のはたらきを「慢」と呼んでいます。自分と他人を比較した時に起こる、心の驕り高ぶりを指します。
そして、具体的に「慢」を四つに分類しています。
1.慢 自分より劣った者に対して自分のほうが優れていると思う 驕り
2.過慢 自分と同等の者に対して自分の方が優れていると思い、自分より優れた者に対して自分と同等だと錯覚する 買いかぶり
3.慢過慢 自分より優れた者に対して、なおも自分が優れていると錯覚する慢心
4.卑慢 自分よりすぐれた者に対して、ほんのちょっと自分が劣っていると思うこと
仏教が言っていることは「慢」自体が煩悩ということです。
自分と他人を比較すること自体が、間違いですよ
比較をはじめると慢心がおこったり、嫉妬の感情がおこったりしますよ
自分の作り出した「感情」で、人を傷つけたり、自分自身が、より苦しむことになりかねませんよ
ところで、仏教では「我慢」もよい言葉ではありません。仏教でいう「我慢」とは、仏教辞典によると、
「自己の中心に「我」があると考え、その「我」をよりどころとして、心が憍慢であること」となっています。
仏教では耐え忍ぶことは、忍辱(にんにく)と言います。
「私が一人、あんた達のために耐えてあげているのよ 」と、思っている方・・・それは、「忍辱(にんにく)」じゃなくて、やはり「我慢」かも・・・
仏教では、自分と他人を比較しようとする心のはたらきを「慢」と呼んでいます。自分と他人を比較した時に起こる、心の驕り高ぶりを指します。
そして、具体的に「慢」を四つに分類しています。
1.慢 自分より劣った者に対して自分のほうが優れていると思う 驕り
2.過慢 自分と同等の者に対して自分の方が優れていると思い、自分より優れた者に対して自分と同等だと錯覚する 買いかぶり
3.慢過慢 自分より優れた者に対して、なおも自分が優れていると錯覚する慢心
4.卑慢 自分よりすぐれた者に対して、ほんのちょっと自分が劣っていると思うこと
仏教が言っていることは「慢」自体が煩悩ということです。
自分と他人を比較すること自体が、間違いですよ
比較をはじめると慢心がおこったり、嫉妬の感情がおこったりしますよ
自分の作り出した「感情」で、人を傷つけたり、自分自身が、より苦しむことになりかねませんよ
ところで、仏教では「我慢」もよい言葉ではありません。仏教でいう「我慢」とは、仏教辞典によると、
「自己の中心に「我」があると考え、その「我」をよりどころとして、心が憍慢であること」となっています。
仏教では耐え忍ぶことは、忍辱(にんにく)と言います。
「私が一人、あんた達のために耐えてあげているのよ 」と、思っている方・・・それは、「忍辱(にんにく)」じゃなくて、やはり「我慢」かも・・・