お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

お焼香作法

2012年04月29日 | 行事・案内
 きょうは、午前10時から降誕会、 おつとめ、ご法話の後
午前11時から、門徒総会(行事・会計報告、質疑応答)
正午から、食事会でした。

 今年も82名の方にお参りいただきました。
ご出席いただいた、ご門徒の皆さま、ありがとうございました
総代役員さん方、お疲れ様でございました

 

 さて、本願寺出版社から出ている月刊誌「大乗」5月号、盛りだくさんの内容ですが
 仏事の基本の`き`
と題して、浄土真宗の「お焼香」の作法が掲載されています。

 5月13日()午後1時半から 法専寺女性の集い です。

 今年は初心にかえって、「知ってるつもり」の仏事の作法を再確認・おさらいしたいと思います。

 勉強会ですので、お志の心配は、ご無用です、
 どうぞ、若い女性も気軽においでください
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生花新風体

2012年04月27日 | 雑感
 昨夕、県庁の会場にて、生けてまいりました。

 花材は、スズカケ(コデマリ)、縞フトイ、ミニバラ です。

 生け込みの時間、雨が降らなくてよかった~
 車は、県庁お隣の本願寺佐賀教堂に駐車させていただき、
花器をかかえ、花ハサミや雑巾、ゴミ入れのビニール袋、2L入り空きペットボトルに水(県庁の水道代が上がらないように家から持参)などを入れた重いバックを肩にかけ、
花材を落としたり、ぶつけたりしないよう、そ~っと持って、県庁の裏口から会場へ。

 先生が、ちゃちゃっと、手直ししてくださると、素敵な作品になりました。
 う~ん、生け花を習い始めて、年数ばかり経ち、ちっとも上達しない、というか、センスのない私。先生もあきれておられるであろう・・・ 

 
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生け花(池坊)

2012年04月26日 | 行事・案内
23日から県庁(県民ホール)で始まった池坊いけばな展。
池坊は、仏さまにお供えする仏前の立て花から始まりました。歴史は仏教伝来時までさかのぼるのでしょうが、文献で確認されてから、今年で550年なのだそうです。

 写真は、法専寺ご門徒であり、超ご多用の中、私や娘達もご指導をくださっているM先生の作品。立花(りっか)の大作です。

 私オバサン、このところ体調よく、今週は、日曜日から毎晩、所用で外出。もしくは法専寺で集いありで、夜も遅くまでバタバタしています。
 昨夜も明日、明後日に展示する作品の指導を受けるため、M先生宅へ。
 私が今回出品させていただくのは、新風体生花(しんぷうたいしょうか)です。

 会期中2日間ずつ、計3回お花が入れ替わって展示されているのですが、
きょう夕方、中期(2次)の作品を撤去された後、私も出させていただく後期(3次)の担当者が花を立てます。

 いけばな展は28日土曜日までです。


 
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浄土真宗作法

2012年04月24日 | 仏教
 29日の法専寺門徒総会にて報告する、23年度行事報告資料の後半に(浄土真宗の)法要、法座にお参りする時の作法を掲載しています。

 ①本堂(家庭ならば仏間)に入って、まず、本尊にお参りしてから、挨拶。

 ②仏前での合掌礼拝(がっしょうらいはい:両手を合わせて頭を下げる)作法は

合掌は、顔の前でなく、胸の前で肘をらずに手を合わせる。
手を合わせたら、目を閉じず、本尊を仰ぎ見て、念仏を称え、礼拝(角度は45度くらい)する。

 ③法座で講師が最初に「御讃題」(ごさんだい:聖典の言葉)をあげる時は、低頭して拝聴する。

 ④講師のお話が終わった時、拍手は厳禁。拍手ではなく、報恩感謝の念仏を称える。

 ⑤講師が最後に「御文章」(第8代門主:蓮如上人が教えをわかりやすく説かれた、門徒に対する手紙)を拝読されるときは、低頭して拝聴する。「あなかしこ、あなかしこ」で元の姿勢に戻り、合掌礼拝(念仏を称えて礼拝)する。



 
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トラブルメーカー その2

2012年04月21日 | 雑感
 しょっちゅう忘れ物をする私。老母のみならず、たびたび、周囲の方にご迷惑をかけています。

 先日もお世話になった某寺院に忘れ物をし、ご住職にご迷惑をおかけしてしました。  そのご住職、「買い物のついでがあったから」と、やさしいウソをついて、遠路わざわざ法専寺まで、忘れ物を届けてくださいました。申し訳なくて、ただただ身が細る思い。

 忘れ物ひとつをとってみても、この有様なんですから、自分で自覚できないところでは、もっともっと・・・大層、迷惑をかけながら、許されて生きているんだと思います。

と、反省しつつ、「嵐」の「Trouble maker」を歌っています。

  「完璧なんてない 最大級のSoul do it! do it!
 単純なくらい はじけろ Moving now! Moving now!

図々しいくらい 前向け Moving now! Moving now!

あっけらかんで いいんじゃない?」  

 開き直りの 何とも無慚無愧・・・こんな私に、「絶対見捨てない」と阿弥陀如来の救いが届いている。
 だからこそ、トラブルメーカーの私でも安心して生きてゆける。

 「嵐」の「Trouble maker」・・・報恩感謝と、自分への励ましと味わって歌っているのであります。
 
 写真はだいぶ建設が進んだ直方駅前の病院(薄茶の外観)。
 山部の「筑豊病院」が移転すると聞いていたのですが、看板には「直方病院」と・・・
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トラブルメーカー

2012年04月20日 | 雑感
 昨日、日帰りながら、また電車で(長崎本線特急で博多に出て福北ゆたか線快速に乗り換え)直方の実家へ。

 母の衣類片付け(全く使わないもの、もはや着ることもない古いものまで、いつまでも捨てずにいるので、私が整理している)と 買い物の付き添い。

 85才の母は、痛みはあるものの、杖をつきながら歩いています。まあまあ、年相応の身体です。年相応の身体を抱えて生きるのは、なかなかしんどいことのようで、口癖が、「いやあ、もうキツイ。いつまでも生きて、迷惑かける」

 さて、帰宅時刻いっぱい用事をすませ、母に玄関まで見送られて、直方駅へ。実家から駅までは、歩いて5分ながら、駅前まで来たところで、忘れ物に気がついた私。
 別に急ぐものでもなかったので、佐賀に着いたら、「次回、会う時でいいから、とっておいて」と、母に電話するつもりで、ホームに到着した電車に乗り込んだ時

 目を疑った 

 どうやって追いかけてきたのか、老母が、私の忘れ物を届けにホームまで駆け込んできた。
 杖もつかずに、私の忘れ物を握りしめて・・・

 迷惑かけているのは、老母じゃなく、私・娘のほうです。


 
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山門

2012年04月18日 | 雑感
いつ建てられたのか、わからない(明治時代、落雷により法専寺は全焼したらしく、それ以前の記録が残っていない)山門。

 漆喰がはげてボトリ、ボトリと落ちているのに気づきました。柱も風雨にさらされ、だいぶ痛んでいます。
 危険なので、建て替えも検討しなければならないか・・・と考えましたが
 
 ご門徒の大工さんに見ていただいたところ、まだ、建て替えするほどのことはない ということで、安心しました。(昔の木材は、しっかりしている)

 大工さんのM氏曰く、「女性の化粧直しと同じで、漆喰も数年おきに塗り替えすれば、キレイに保てる」

 顔の手入れの行き届かない、たまの化粧もひび割れの私オバサンながら、M氏の言葉に、「なるほど」と、大きくうなずいたのでした。

 

 
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2012年04月17日 | 仏教
 鬼は、昔話(作り話)や 他人のことではなく、ウチ(私の中)にある。

 先にご紹介した藤田徹文師の「慚愧、よく衆生を救く」の中に

鬼について、書かれています。

 人生が上手くいっている間は、自分が努力したからだと、自分の手柄にするが、思うようにいかなくなると、他の人のせいにして、人を責める。

 「顔色を変えて、人を責める生きものを鬼といいます。顔を真っ赤にして人を責めているのを赤鬼です。青筋を立てて人を責めているのを青鬼です。」

 以前、組内の巡番報恩講にて、藤田先生のご法話を拝聴した時も仰っていました。

 「鬼を見たかったら、自分が腹を立てて、人を責めている時に、自分を鏡で見てみるといいですよ。 私たちは、人に鬼を見ることがあっても、自分が鬼になることは、気づきませんから・・・」

 
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慚愧

2012年04月15日 | 仏教
慚愧(ざんぎ)とは、心から羞じること
 
涅槃経に
 慚(ざん)は、人に羞づ
 愧(ぎ)は、天には羞づ
 
とあるそうです。

 先日、お参りしたM寺さんでいただいた本願寺出版社から出ている法話の小冊子

 藤田徹文 師 「慚愧、よく衆生を救く」
 題名は難しいですが、内容は、とてもわかりやすく説いてくださっています。

 藤田徹文師は、「慚」という漢字は、「心」を「斬る」という字。
    
        「愧」は、「心」に「鬼」という字。
 
 「慚」は、我に執着し、常に自分を是とし、他を非としている自分の心を斬ること
 「愧」は、自分の心に鬼を見ること
と、味わっている と、書かれていて、
なるほど・・・と、うなずかせていただきました。

 


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牡丹

2012年04月13日 | 雑感
 昨日、当寺仏教婦人会会長のM・Yさんと一緒にK組のM寺さんの巡番報恩講にお参り。

 ご講師は、滋賀のK師で、ユーモア交えてのご法話。
 まず、お話くださったのは、「仏法は『何で』と聞くのではなく、素直に聞く」ということ。
 
 私の小賢しい頭で、理解してから(私が信じるか、信じないか判断して)、信じるってことではない。仏の仰せなのだから、素直にうなずいて聞かせていただくのが信心。

 さて、写真は、巡番報恩講会所とは、別のM寺さん境内の見事な牡丹。




 同じく参詣しておられたM寺F坊守さんに、「今、境内の牡丹がちょうど満開ですから、帰りにウチに寄って、ご覧になりませんか
と、お誘いいただき、素直に同行。
 目の保養をさせていただいた上、お茶までいただいて、ルンルンで帰宅いたしました。

 法話を聞かせていただいて、美しい春の花を拝見して・・・贅沢な仕合わせな1日でした。
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