五木寛之氏の「遊行の門」徳間書店
仏教とは直接関係ありませんが、
古代インドには、人生を4つの時期に分ける思想があったそうです。
「学生期」(がくしょうき):青少年が心身鍛える、学びの時期
「家住期」(かじゅうき):社会で、家庭で、中心となって活躍する時期
「林住期」(りんじゅうき):仕事、家庭から自由になり、自分を見つめる時期
五木氏は「林住期」についても、本を出されていましたね。
「林住期」こそは人生の黄金期なのだ と。
そして、4番目が
「遊行期」(ゆぎょうき)
五木氏は
p16 「遊行期」とは人生の最後のしめくくりである死への道行きであるとともに、幼い子供の心に還っていくなつかしい季節でもある
と書かれてます。
そうだなあ・・・と、しみじみ拝読しつつも、私はちょっと違うことを感じています。(これは、私の勝手なイメージですが)
親鸞聖人の聖教 「正信偈」(真宗勤行集 p21)に
遊煩悩林現神通 入生死薗示応化
(意訳では) 生死の薗にかえりきて まよえる人を救うなり
仏教語は難しいのですが、「生死」(しょうじ)は、「迷い」の意味です。
「遊」は、自由自在であること。
ここで親鸞聖人が使われている「遊」は、仏が、煩悩に迷う人々を救うため、浄土から還ってくること、自由に現れること です。
つまり、私が思ったのは、「遊行」とは、「布教」「衆生を覚りに導くはたらき」のことでは、ないのか と。
「遊行期」・・・それは、この世に生きている限定された時期のことでなく、
自分が亡くなった後(生死をこえて)、
後を導く「はたらき」となる、人生最終目標の時期のこと ではないのかと。
仏教とは直接関係ありませんが、
古代インドには、人生を4つの時期に分ける思想があったそうです。
「学生期」(がくしょうき):青少年が心身鍛える、学びの時期
「家住期」(かじゅうき):社会で、家庭で、中心となって活躍する時期
「林住期」(りんじゅうき):仕事、家庭から自由になり、自分を見つめる時期
五木氏は「林住期」についても、本を出されていましたね。
「林住期」こそは人生の黄金期なのだ と。
そして、4番目が
「遊行期」(ゆぎょうき)
五木氏は
p16 「遊行期」とは人生の最後のしめくくりである死への道行きであるとともに、幼い子供の心に還っていくなつかしい季節でもある
と書かれてます。
そうだなあ・・・と、しみじみ拝読しつつも、私はちょっと違うことを感じています。(これは、私の勝手なイメージですが)
親鸞聖人の聖教 「正信偈」(真宗勤行集 p21)に
遊煩悩林現神通 入生死薗示応化
(意訳では) 生死の薗にかえりきて まよえる人を救うなり
仏教語は難しいのですが、「生死」(しょうじ)は、「迷い」の意味です。
「遊」は、自由自在であること。
ここで親鸞聖人が使われている「遊」は、仏が、煩悩に迷う人々を救うため、浄土から還ってくること、自由に現れること です。
つまり、私が思ったのは、「遊行」とは、「布教」「衆生を覚りに導くはたらき」のことでは、ないのか と。
「遊行期」・・・それは、この世に生きている限定された時期のことでなく、
自分が亡くなった後(生死をこえて)、
後を導く「はたらき」となる、人生最終目標の時期のこと ではないのかと。