中仏とは、中央仏教学院の略。浄土真宗の専門学校です。これで、夫と私は、共に、最終学歴?が、同じ!ってことに・・・(その前の自動車学校も一緒だわ)
本願寺の月刊誌「大乗」7月号 大平光代さんの連載の中に、大平さんが受講中の中仏・通信教育のスクーリングのことを書かれていました。
いやー、なかなか大変でしたヨ。とくに2日目は朝から夕方まで「筆記」「お勤め」「伝道」と試験が続き、クタクタヨレヨレ。でも弱音を吐いてはいられません。受講生は私よりも年配の方がほどんど。皆さんの頑張る姿に接することができたのが、私にとって一番の学びとなりました。
私もホントその通りでした。
私の場合、中仏の通信教育を2回受講しています。
最初は、法専寺に嫁に来て、間もなく。
その時は、いきなり「専修課程」(僧侶の資格を目指す)を受講しても、チンプンカンプンだろう
と思い、一般的な「学習課程」3年コースを受講。
長女を早産しそうになって入院した時も、2年次の学年末だったので、ベッドで、レポート書いていた記憶があります。結局1年休学して、4年かかって卒業。
子ども達が少し大きくなった平成8年 得度(僧侶になる)習礼に行かせてもらいましたが、そこで感じたのは、「私は何もわかってない。もっと、きちんと勉強したい
」ということでした。
そこで、平成11年、再び 中仏の通信教育を受講することに。今度は、より専門的な「専修課程」
毎月、佐賀の教務所で指導がある「おつとめの練習会」にも参加。 ご指導いただいたご住職さん方、お世話になりました。
毎年4月頃、1泊2日(2泊3日? もう忘れました・・・)のスクーリングで大濠公園近くの福岡教務所に行っていました。
そこで、集中講義、試験があるのですが、
毎月、おつとめ練習会で一緒の、受講生・女3人、励ましあって、頑張りました。
まず、1年次は簡単なので、宿泊先も4人部屋とかで、受講生同士ワイワイ雑談する余裕があったのですが、2年次からは、初日の講義の内容が、翌日試験であるため、個室に入れられ、夜は必死で勉強
私は動物園のクマのように、個室室内を歩き回りながら、ノート内容を記憶・・・
だって、学生以来、こんなに記憶を要求されることはなかったから、座ってノートを見たくらいじゃ、頭に入らなくて・・・
3年次は、ストレス性の腰痛に耐えながら、筆記試験、おつとめ(難しいお経)の試験を受けてきました
でも、年配のご門徒さん方が、多く受講、試験を受けられている。その真摯なお姿を拝見したら、お寺ゆえ、半分やむなく参加しているような若いもんが、愚痴なんぞ言ってられない・・・
後日、無事合格判定(成績表)もらった、その勢いで、翌年、教師教修まで行きました。 中年のオバサンにとって、濃密な有り難い時間でした。
本願寺の月刊誌「大乗」7月号 大平光代さんの連載の中に、大平さんが受講中の中仏・通信教育のスクーリングのことを書かれていました。


私もホントその通りでした。

最初は、法専寺に嫁に来て、間もなく。
その時は、いきなり「専修課程」(僧侶の資格を目指す)を受講しても、チンプンカンプンだろう

長女を早産しそうになって入院した時も、2年次の学年末だったので、ベッドで、レポート書いていた記憶があります。結局1年休学して、4年かかって卒業。
子ども達が少し大きくなった平成8年 得度(僧侶になる)習礼に行かせてもらいましたが、そこで感じたのは、「私は何もわかってない。もっと、きちんと勉強したい

そこで、平成11年、再び 中仏の通信教育を受講することに。今度は、より専門的な「専修課程」

毎月、佐賀の教務所で指導がある「おつとめの練習会」にも参加。 ご指導いただいたご住職さん方、お世話になりました。

毎年4月頃、1泊2日(2泊3日? もう忘れました・・・)のスクーリングで大濠公園近くの福岡教務所に行っていました。

そこで、集中講義、試験があるのですが、
毎月、おつとめ練習会で一緒の、受講生・女3人、励ましあって、頑張りました。

まず、1年次は簡単なので、宿泊先も4人部屋とかで、受講生同士ワイワイ雑談する余裕があったのですが、2年次からは、初日の講義の内容が、翌日試験であるため、個室に入れられ、夜は必死で勉強

私は動物園のクマのように、個室室内を歩き回りながら、ノート内容を記憶・・・
だって、学生以来、こんなに記憶を要求されることはなかったから、座ってノートを見たくらいじゃ、頭に入らなくて・・・

3年次は、ストレス性の腰痛に耐えながら、筆記試験、おつとめ(難しいお経)の試験を受けてきました

でも、年配のご門徒さん方が、多く受講、試験を受けられている。その真摯なお姿を拝見したら、お寺ゆえ、半分やむなく参加しているような若いもんが、愚痴なんぞ言ってられない・・・
後日、無事合格判定(成績表)もらった、その勢いで、翌年、教師教修まで行きました。 中年のオバサンにとって、濃密な有り難い時間でした。
