お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

中仏の思い出

2007年06月30日 | 雑感
 中仏とは、中央仏教学院の略。浄土真宗の専門学校です。これで、夫と私は、共に、最終学歴?が、同じ!ってことに・・・(その前の自動車学校も一緒だわ)

 本願寺の月刊誌「大乗」7月号 大平光代さんの連載の中に、大平さんが受講中の中仏・通信教育のスクーリングのことを書かれていました。

 いやー、なかなか大変でしたヨ。とくに2日目は朝から夕方まで「筆記」「お勤め」「伝道」と試験が続き、クタクタヨレヨレ。でも弱音を吐いてはいられません。受講生は私よりも年配の方がほどんど。皆さんの頑張る姿に接することができたのが、私にとって一番の学びとなりました。

 私もホントその通りでした。
  私の場合、中仏の通信教育を2回受講しています。
 最初は、法専寺に嫁に来て、間もなく。
 
 その時は、いきなり「専修課程」(僧侶の資格を目指す)を受講しても、チンプンカンプンだろう  と思い、一般的な「学習課程」3年コースを受講。
 
 長女を早産しそうになって入院した時も、2年次の学年末だったので、ベッドで、レポート書いていた記憶があります。結局1年休学して、4年かかって卒業。

 子ども達が少し大きくなった平成8年 得度(僧侶になる)習礼に行かせてもらいましたが、そこで感じたのは、「私は何もわかってない。もっと、きちんと勉強したい」ということでした。

 そこで、平成11年、再び 中仏の通信教育を受講することに。今度は、より専門的な「専修課程」 

 毎月、佐賀の教務所で指導がある「おつとめの練習会」にも参加。 ご指導いただいたご住職さん方、お世話になりました。

 毎年4月頃、1泊2日(2泊3日? もう忘れました・・・)のスクーリングで大濠公園近くの福岡教務所に行っていました。

 そこで、集中講義、試験があるのですが、
 毎月、おつとめ練習会で一緒の、受講生・女3人、励ましあって、頑張りました。

 まず、1年次は簡単なので、宿泊先も4人部屋とかで、受講生同士ワイワイ雑談する余裕があったのですが、2年次からは、初日の講義の内容が、翌日試験であるため、個室に入れられ、夜は必死で勉強

 私は動物園のクマのように、個室室内を歩き回りながら、ノート内容を記憶・・・
 だって、学生以来、こんなに記憶を要求されることはなかったから、座ってノートを見たくらいじゃ、頭に入らなくて・・・

 3年次は、ストレス性の腰痛に耐えながら、筆記試験、おつとめ(難しいお経)の試験を受けてきました

 でも、年配のご門徒さん方が、多く受講、試験を受けられている。その真摯なお姿を拝見したら、お寺ゆえ、半分やむなく参加しているような若いもんが、愚痴なんぞ言ってられない・・・

 後日、無事合格判定(成績表)もらった、その勢いで、翌年、教師教修まで行きました。 中年のオバサンにとって、濃密な有り難い時間でした。
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涙した話

2007年06月29日 | 仏教
 先日、あるご講師(住職のO氏)からお聞きした話です。

 今から10年くらい前。
 O住職の姉君は、サラリーマンの夫と 当時3才の女の子と 親子3人、東京で生活されていた。
 ある大雪の日、いつも通り、出勤のご主人を「雪だから気をつけてね、行ってらっしゃい」 と見送られた。
 その後、午前10時頃、3才の娘さんと外出しようと玄関まで出た時、彼女は、突然、気分が悪くなった。
 3才の娘さんに「お母さんは気分が悪くなったから、ちょっと横になるね」と言い、寝室に戻り、自分の布団に入られた。

 そして、そのまま亡くなられた・・・

 その日、ご主人は、大雪による交通機関  の乱れから、帰宅が深夜0時頃になられた。
 帰宅して、ドアの鍵を開けようとしたら、鍵は開いたまま・・・
 不審に思いながら部屋に入ると、深夜だというのに、「お帰りなさい」と3才の娘さんが明るく飛びついてきた。

 「お母さんがね。気分が悪いから、寝たままなの」

 妻が風邪で熱でも出したか と思ったご主人は、寝室に入って、奥さんを見た途端、ただごとではないことに気づく。

 救急車、警察・・・検死の結果、脳内出血により、自分で布団に入った 午前10時頃に亡くなられたことがわかった。

 3才の娘さんは、お父さんが深夜帰宅するまで 14時間、寝たまま目を覚まさないお母さんのそばにずっと付き添っていた。
 絵本やおもちゃを出すでもなく、お絵かきするでもなく・・・
 
 その娘さんが唯一したことは、冷蔵庫から小パック入りのジュースを2つ取り出して、一つを自分が飲み、もう一つをお母さんの枕元に置いたことだった。

 母親の死の意味もわからない娘さんは、お葬式の間も
 「お母さん起きないねえ」と言い、火葬場では、「どうして、こんな所にお母さんを入れるの
 そして、白骨となったお母さんを見た彼女は、「お母さんが壊れた}」と泣いた。

 火葬場から戻る車の中で「お母さんに会いたい お母さんに会いたい」と泣く。しかし、誰も何と言ってよいか言葉がない・・・

 そこで、叔父のO住職 「○○ちゃん、静かに目をつぶってごらん。お母さんの顔を思い出せる?」
「うん、お母さんの顔が、わかるよ」
「じゃあ、お母さんの声は思い出せる?」
「うん、お母さんの声も聞こえるよ」
「お母さんは、目に見えなくなったけど、これからは○○ちゃんの心の中で会えるお母さんになったんだよ」 

 その言葉で彼女は、少し落ち着いたそうです。

 3才ながら、いつもお母さんが、自分のそばにいることが、当たり前じゃなかった と、感じとった彼女。 
 
 その1年後、叔父のO住職は、彼女を喜ばせようとケーキを持参し訪問。 すぐ開けて食べると思っていたのに、4才の彼女は、祖父母に言われたわけでもないのに、自分で仏壇にケーキをお供えした。
「仏さまにありがとうを言うの」と言って・・・

 そんな幼くして、世の無常も、仏さまのことも 心にうけとめてた彼女は、スゴイ。 

 現在、中学生の彼女は、いきいきとボランティア活動をされているそうです。

 
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寺族婦人研修会

2007年06月28日 | 行事・案内
 きょうも汗だくの佐賀です。
 
 タイトルの「寺族(じぞく)婦人」とは、住職や住職後継者の妻・・・お寺の奥さん(坊守)達のことです。
 
 昨日は佐賀教区の寺族婦人研修会でした。
 
 ウチの組が、研修会のお世話役にあたっていて、私は、勤行の調声(ちょうしょう・おつとめの時、代表で前にでて、お経をあげる役)当番でした。
 
「重誓偈」のおつとめ なので、難しくはないのですが、ご講師、教務所長、教区内のお歴々の坊守さん方の前での調声役ですから、さすがに緊張しました。

 昨日のご講師は、山口教区のO先生。 
 西本願寺の新しいスローガン  「ともに いのち かがやく 世界へ」 の作者が、O先生 ということでした
 (O先生は、住職になられる前は、広告代理店に勤務されていたと聞いて、納得)
 
 O先生のお話の後は、班ごとに「寺族婦人として、ご門徒さんとの関わりの中での喜び」をテーマに、意見交換。 
 結局は、坊守として「よろこび」というよりは、各寺、若い方にも、お寺に足を運んでいただくため、どういう工夫をされているか等、発言なさるのを、ふむふむ・・と感心して聞いておりました。

 その中で興味深かったのは、「男性の料理教室」をお寺で開催されていて、後日、行事のお斎(とき・精進料理の食事) を男性だけで作られたこともあるのだそうです。
 今まで、女性ばかりが、賄いに かり出されていたけど、これからは、男女混じって お斎作り・・・次の世代は、こうなっていくかもですね。

 最後は、佐賀組の坊守さん方のご指導で、「恩徳讃」(法座の最後に歌う 親鸞聖人作 の 仏讃歌)を 手話 を交えて 歌いました。
 
 繰り返し、練習しないと、一度には 手話を覚えられない私でした。
 

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疑問

2007年06月27日 | 雑感
 
 
 連日晴れて、ムッと、蒸し暑い佐賀です。昨日も32℃越えたらしい・・・
 
 初めて携帯からの書き込みです。ついでに本堂写真もアップ。
 
 ところで、テレビのアナログ放送 と デジタル放送では、デジタルのほうが 少し映像音声が遅れる。(寝室のアナログテレビと隣の居間のデジタルテレビを同時につけているとよくわかる)
 これって、時報も微妙にズレるってことですか
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仏さまの「ものさし」 その2

2007年06月26日 | 仏教
 これも 24日の仏教婦人大会で、K寺ご住職がお話されたことです。

 世間では「いのち」を差別するが、仏さまの世界では、「いのち」の差別がない

と、言うことについて「崖っぷち犬」を例に出してお話されました。

 先日「崖っぷち犬」が全国ニュースになりましたが、救助された犬を、飼いたいと言う希望者が多数あった。
 でも、そばにいた同じような 他の野良犬は、保健所行き。
 
 この違いは、テレビに映ったか、どうか。
 
 テレビを見て、「かわいそう」とか「かわいい」と、`自分の`感情を移入したから、それが、自分にとって、特別な「いのち」になったわけです。

 自分の大切なペットの死は、お墓を建てたいくらい、愛し執着するけれども、他の、つまり、`自分`が感情移入していない生き物は、死んでも何にも感じないんです。 
 自分の愛する「生き物」は、大事にするけれど・・・先日の我が家での「大捕物」のように、ハエ、ゴキブリ、ネズミ等 人間の生活上、「害」になる生き物は、毛嫌いして、当たり前のように殺す・・・

 再びK寺ご住職のお話。
 金魚を飼っていることもあるが、一方、もっと大型の熱帯魚を飼っている人にとっては、金魚は、その大型熱帯魚のための エサにすぎない
 
 そうですよね、自然の世界では、大きな物が小さな物を食べて生きている。

 たぶん、外国の捕鯨反対運動をされている方々は、`自分`が 鯨を食べないから、許せないと思い、反対なんだと思う。(もちろん、家畜じゃないから、乱獲は、生態系を壊すでしょうが)

 人間って、`自分`の愛するものしか 愛さないし、`自分`の好むものにしか目がいかない、`自分`の価値観で、見たいものを見て、`自分`に都合がいいように解釈して生きている。

 その`自分`の執着に気づかされるのが、仏さまの 「目盛りのない ものさし」なんだと思います。

 

 

 
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仏さまの「ものさし」 その1

2007年06月25日 | 仏教
 昨日は、組の仏教婦人大会でした。会所は大和町のJ寺さん。
 法専寺からコーラス会員含めて、12名の女性に出席いただきました。参詣いただいた皆様、お疲れ様でございました。

 大会では、継職されてまだ4ヶ月のK寺ご住職が、とても味わいある有り難いご法話をくださいました。

 内容を少しご紹介します。

  損か得か が・・・世間の「ものさし」 ですが、
 ウソか まことか が 仏の「ものさし」 

 目先の損得で(世間の価値観だけで)行動する人生なのか、仏の心に問うて(仏の価値観にてらして)行動する人生なのか・・・と、いうことですね。
 世間の「ものさし」を超えたところに、仏の「ものさし」があります。

 ある70代の男性の言葉を紹介されました。
「自分は今まで 誰にも迷惑をかけずに 正しく生きてきた」

 この男性、本気で そう思っていらっしゃるとしたら、スゴイ傲慢な方ですよね~ 
 経済的、道徳的には ご立派に生きてこられたのかもしれませんが・・・
 
 人間は自分が気づかないところでも、たくさんの迷惑をかけているし、いろんな、無数のお蔭で生かされて生きている・・・「おかげさま」「おたがいさま」と、手を合わせるお気持ちが薄いのでしょうか・・・
 
 昨日のご法話から、ちょっと はずれますが、

 一般的に「人に迷惑をかけるな」と教えられることが多いでよね。(私も小さい頃から、親に繰り返し言われました)
 
 だから、その教えを守って、自分は立派に生きていこうと思っておられる、プライドの高い、生真面目な方が多いのですが・・・
 
 人生順調な時は、それで立派に生きてゆけますが・・・
 思いがけないことで、人に迷惑がかかる事態がおこった時、自分のプライドが自分を許せず、自分を責めすぎる傾向が強いような・・・気がします。

 最初から「人は、迷惑をかけずには 生きられないのだ」と、しっかり自覚。
その上で、自分が気づき、自分が努力できる程度ならば、迷惑をかけないように気をつけよう、 そして、迷惑をかけることに対しては 素直に詫び、素直に人のご厚意に感謝しよう と思うことが、自分(の心)も 楽だと思うのです。

 生真面目な方は「仏教」というと、究極的な道徳のように 誤解されるのですが、ちょっと違います。
 もちろん、究極の真理に自分の心を問いながらの生活ですから、道徳的な「悪」を好んですることは、あり得ない、自ずから「私にできること」をさせていただこうという生活にはなるでしょうが・・・

 それでも、自分の不完全さを「仏」に許されて(自覚して)生きていくことは、とても心が軽くなる・・・と、お寺のオバサンは味わっております。
 それが、まさに、この世での御利益、「救い」と思うのですが、生真面目な皆様、いかがでしょうか?
 



 
 

 
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大捕物

2007年06月23日 | 雑感
 先日夕方6時頃のことです。
 いつものように晩ご飯の下準備を済ませ、居間で本を読みながら、家族の帰宅を待っていました。
 本を読んでいる左目すみで、何か黒いものが動いたような・・・ ゴキブリが出たか と、その方に視線を向けると・・・

 ゴキブリにしては、ちょっと大きい・・・
 ギョッ  な、何と、居間の隅を小さなネズミが、ちょろちょろと・・・
 叫び声こそ上げなかったものの、息を呑む。

 仏教では、いのちあるものは 皆、差別のない 平等の 尊い いのち と、教えられていますが・・・私、わかっちゃいるけど、ダメです  ネズミは、どうしても苦手。

 ネズミも オバサンの姿に気づいて、動転。居間のタンスの陰に逃げ込んだ。
 とにかく、他の部屋へ逃げ込まないように、戸を閉め切って、取りあえず、ハエたたきを手に、見まもる・・・

 朝、出がけに、夫はそれほど帰宅が遅くならないと言っていたはず・・・ああ、早く帰って来て~  
 結婚以来、これほど、夫の帰宅を待ちわびたことが あっただろうか・・・

 かれこれ、1時間ほど、物陰のネズミを監視した頃、夫が帰宅。
 
 夫が 居間のタンス裏から追い出したネズミが走り回る、私は、「ぎゃあ~」とかわいくない悲鳴を上げて、イスに飛び乗る。
 二人で何とか外に追い出そうと、サッシを全開するが、ネズミは外へは出てくれず、室内を、すばやく走る。

 集落の道路がわのサッシを全開し、黄昏時、煌々と灯った室内で、中年夫婦が何やらドタバタやっているので、農作業帰りの軽トラックのご近所さんが、何事かと一時停止。 私はあいまいに引きつった笑顔で、目礼。 (夫婦げんかと誤解されたろうか・・・)

 ドタバタの結果。 ネズミは、ハエたたきで、夫に殺されてしまいました。

 ネズミさん、ごめんなさい。庫裏の方に迷い込んで来たばかりに、お寺で殺されるとは・・・
 

 とは言え、現実として、不衛生なので、その後、ネズミが走り回った居間を大掃除・・・ああ、心身、疲れました。

 それにしても、女でよかった。こんな時だけ、きゃあきゃあ言って、男に殺生させて・・・ズルイですよね。気持ち悪いのは、男だって同じなのに・・・

 帰るなり、ネズミと格闘してくれた夫と、人間の都合で殺してしまったネズミに合掌です。
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蓮の花

2007年06月22日 | 仏教
 きょうは、雨。 ウチの周囲の田んぼで田植え準備が進んでいます。明日から田植えのピークのようです。

 さて、6月は紫陽花、アガバンサスなど、紫の花が美しい。 
きょうは、7月の花、仏教で重んじられる「蓮の花」(蓮華)のご紹介です。

 お寺の荘厳(しょうごん・お飾り)で必ずあるのが、蓮の花。

 蓮が描かれていたり、仏像では、仏さまが蓮の花の上におられる。ウチのご本尊・阿弥陀如来も蓮華の台座に立っておられます。

 (ちなみに、何故、浄土真宗のご本尊・阿弥陀さまが座らず、立っておられるのか・・・それは、「救い」の 動的な「はたらき」を表すため・・・
 何をしでかすか、わからん 凡夫の救済のために、とても座っちゃおれん・・・という阿弥陀さまの「智慧」と「慈悲」の「はたらき」を表されているから)

 何故、仏教で蓮の花が象徴として、使われるのか・・・

 それは、蓮が 清らかな水に咲く花でなく、きたない泥水の中から咲く花であるから。

 つまり、悩み苦しみの多い 煩悩まみれのドロドロの世界から、スーと伸びて、一点の泥も付かない 美しい清らかな花を咲かせるため です。

 浄土真宗の「正信偈」(日頃よく、おつとめする聖教)にも 

「是人名分陀利華(ぜにんみょうふんだりけ)」 → 「仏さまが 私たちを悟らせようと 願い・はたらいてくださっている その 仏さまのこころを 受けとった人を 白い蓮華のように 尊いと ほめたたえられる」 と、あります。

 蓮華は、英語名 Lotus(ロータス)  そう言えば、蓮の花が見事な元佐賀城の堀端にある 某ホテルのレストラン名が「ロータス」でしたね。(これは、佐賀ネタ)

 世間では、またも 自分の利益優先「バレなきゃ、いいじゃん」が バレて、大騒ぎになっていますが、

 「一蓮托生」 世間ではあまり、いい意味には、使いませんが、これは、仏教語で
 「共に 悟りの世界に 生まれること」 を言います。

 この世の泥水にしっかり根をはり(苦難を乗り越え、たくましく生きながら)やがて(仏の浄土に)美しい花を咲かせることを 目指して 生きてゆきたいと思っています。 
   


 
 
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感謝と共感

2007年06月21日 | 仏教
 本山から出ている月刊誌「大乗」に 今年の4月から、
 弁護士の大平光代さん(「だから、あなたも生きぬいて」の著者)の「ひかりの中で」という連載があります。

 実は、大平さん、現在、中央仏教学院(仏教の専門学校)通信教育・専修課程(住職も私も卒業生)を受講されていて、間もなく修了予定だそうです。
 
 大阪市助役、結婚、出産と大忙しの中での 3年間の学び。

 大平さんは、「大乗」6月号で、こう書かれています。

 仏教の勉強をしなくちゃ、と思ったのは、弁護士として少年事件を担当するようになってから、 人を傷つけた子に「手をつねってごらん、痛いやろ」と諭すと、
「自分は痛いけど相手のことは知らん」という反応に出会うことが多くなってきたのです。以前の不良は私も含めて、少なくとも人の痛み(心も体も)はわかっていました。ケンカしても、刃物振り回しても、それ以上はダメという一線を知っていたように思います。ブレーキが効かないどころか、相手が死んでしまうことにも全く意識が及ばない子を前に、「何がこうさせたのか」と首を傾げる日々が続きました。
 そんな時、ある企業のトップの方がおっしゃった「敗戦後、宗教教育が取り払われて、日本人の`心の柱`がなくなりましたね」という言葉にハッとしました。子どもたちに心を取り戻すには、私自身が心を学ばなければ・・・
 (略)
 「おかげさま」「ありがたい」「おたがいさま」、そんな感謝と共感の心がわかる子どもが増えていくことを願っています。


 妙な大人社会に翻弄されている子ども・若者に「○○しなさい」「こうあるべき」なんて、口先の命令ではなく、さりげなく、温かく「心の柱」を伝えられるように・・・私自身も精進です。
 
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ダブルブッキング騒動の夜

2007年06月20日 | 雑感
 今月末の日曜日、組の仏教婦人大会が J寺さんを会所に開催されます。
 その中で ウチの組の仏教讃歌コーラス「こぶしの会」(「こぶし」は、恵信尼さまの「こぶしの森」に ちなんでの命名)で 日頃、練習している仏教讃歌 をご披露することになっているため、このところ毎週火曜日夜は、G寺さんの幼稚園ホールで練習が続いています。
 
 昨晩も10時過ぎに帰宅。
 私の留守中帰宅していた夫が、開口一番。昨日のダブルブッキングについて・・・
 「おい、寺約帳(お寺の約束を書き込むノート)を確認したら、約束を書き込んでいるのは、おまえの字じゃないか
 ドキッ  としつつも、「エッ そうだったけ 」と、私。 
 「朝、おまえが電話してきた時は、オレのせいかと思ったけど・・・おまえの確認ミスだぞ~。ブログでは、全部オレのせいにしやがって・・・全国にウソついたな・・・」

 え~、そうなの 私が全部悪いの~  夫のせいだと考えたのも、自己保身の思いこみだったのお~  なんちゅうこっちゃ・・・

 「まあ。まあ。お茶でも・・・」と、冷や汗かきつつ、夫にお茶を差し出す私。
 「明日、ちゃんと、ブログで訂正しておきますから・・・」

 いやはや、「絶対、自分は悪くない」「ミスは相手」と思いたがるジコチュウの夫婦なのでありました。
 
 あ、夫は、普段から、私を「おい」とか「おまえ」としか呼びませんが、別に私を見下しているわけではありません。
 また、昨夜も、(口は悪いが)私を罵ったわけではありませんので、ご心配なく・・・
 凡夫のお互い、「悪いのは相手のせい」にしつつも、結局は、「許し、いたわり合って」生活しております 

 ご門徒さんはじめ、周囲の皆様には、迷惑かけつつも・・・すみませ~ん
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