昨日のビハーラ講演会テーマは「安楽死」
もはやどんな医療を施しても助からない場合、むやみに延命処置をうけて苦しい死に方はしたくないと思うのですが、そのためには本人の意志、家族の同意、医師との「あ、うん」の呼吸が必要だそうです。
病院側は「生かしておいたほうが、ものすごい高収入」なんだそうです。でも、E 医師の病院では延命治療はしないとおっしゃっていました。
本人の意志とは、元気なうちに「私は、延命治療を拒否します」の公文書を書いておくこと。病院側は「それがあると助かる」とE 医師は言われていました。
私はすでに「尊厳死宣言書」なるものを書いて、子どもに知らせて、それを仏前に置いています。
これは公証人事務所から母の知人がもらってきた用紙をコピーしたものですが、それに記載されている文章は次のようになっています。
尊厳死の宣言書
私は、私の病気が不治であり、かつ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言します。
この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。
従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。
1,私の病気が、現在の医学では不治の状態であり、すでに死期が迫っていると診断された場合には、徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切お断りします。
2,但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施してください。そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。
3,私が数ヶ月以上にわたって、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の延命維持措置を取り止めてください。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望にしたがってくださった行為の一切の責任は私自身にあることを付記いたします。
年月日
自署 印 生年月日
住所
となっています。
それから、E 医師が言われたことですが、意識のない状態の患者も耳は最後まで聞こえるそうですよ。家族、親戚が「患者ベッド横で無神経な話はしないように」とのことです。
もはやどんな医療を施しても助からない場合、むやみに延命処置をうけて苦しい死に方はしたくないと思うのですが、そのためには本人の意志、家族の同意、医師との「あ、うん」の呼吸が必要だそうです。
病院側は「生かしておいたほうが、ものすごい高収入」なんだそうです。でも、E 医師の病院では延命治療はしないとおっしゃっていました。
本人の意志とは、元気なうちに「私は、延命治療を拒否します」の公文書を書いておくこと。病院側は「それがあると助かる」とE 医師は言われていました。
私はすでに「尊厳死宣言書」なるものを書いて、子どもに知らせて、それを仏前に置いています。
これは公証人事務所から母の知人がもらってきた用紙をコピーしたものですが、それに記載されている文章は次のようになっています。
尊厳死の宣言書
私は、私の病気が不治であり、かつ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言します。
この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。
従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。
1,私の病気が、現在の医学では不治の状態であり、すでに死期が迫っていると診断された場合には、徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切お断りします。
2,但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施してください。そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。
3,私が数ヶ月以上にわたって、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の延命維持措置を取り止めてください。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望にしたがってくださった行為の一切の責任は私自身にあることを付記いたします。
年月日
自署 印 生年月日
住所
となっています。
それから、E 医師が言われたことですが、意識のない状態の患者も耳は最後まで聞こえるそうですよ。家族、親戚が「患者ベッド横で無神経な話はしないように」とのことです。