お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

お寺の活性化

2010年06月30日 | 雑感
 きょうは佐賀教区の寺族婦人研修会(坊守勉強会)でした。

 95名ほどの参加で、大阪教区の40代U師のお話と班ごとの分散会にて、
仏法を伝える場であるお寺が「楽しく聞法できる場」であるために、どう新しいことにチャレンジしていくか。

 お寺に住むものは、大切な伝統を守りつつも、新しい柔軟な発想が必要であることなど、いろいろなアイデアを出し合い、話し合いました。


 こうして、組外の坊守さん方の取り組み、悩みなど聞かせていただくのは、大変勉強になります。
 
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まず私

2010年06月29日 | 仏教
 日曜日は、組の仏教婦人大会でした。

 大会のレジュメ裏表紙に、仏婦担当のM寺ご住職が

 仏教和歌撰集(本多克英編 百華苑刊)より

和歌を紹介掲載してくださっていました。

 その中の一首
  的よりは 的に向かえる おのが身を 先ず省みて 矢は放つべし(甲斐和里子)

 
 大会では、お二人のご住職にご法話をいただきましたが、同様に、

 我の目で見て、厳しく相手を批判するが
 我のことは、自分では、なかなかわからない
 如来さまの目で見れば、相手だけでなく、我のお粗末さに気づかされる

というお話にうなずかされたのでありました。

 
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大雨の中

2010年06月28日 | 雑感
 土曜日、土砂降りの中、後継者の娘夫婦が引っ越して参りました。

 思い出すのが、1年前の結婚式。あの日も、ひどい雨で、参列者にご迷惑おかけしました・・・
 息子が雨男かも と、夫が、冗談を言っておりましたが、  
いえいえ、梅雨時期なんですから、雨が降る確率は高いわけでして、息子が「雨男」ではありますまい・・・

 引っ越し荷物の片付けは、まだ、完全には終わっていませんが、きょうから、同居の日常生活がスタートしました。

 ご門徒の皆様、ご近所の皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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風流

2010年06月25日 | 仏教
 玄侑宗久師「自燈明 ~捨てる自分と活かす自分~」三笠書房



 「風流」という禅の言葉が紹介されていました。

 風流とは、

 どんな風が吹いても楽しめる ことだそうです。

 どんな風にも吹き飛ばされず、その風を「楽しめる」ってことは、
もちろん、仏法に生きる、その芯がしっかりしているから・・・

 自分が置かれた環境を淡々と受け入れる・・・

 そんなふうに、風流に生きていけたら、すばらしいなあ

と、思ったのでした。

  
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「私の」心の世界

2010年06月23日 | 仏教
 先日、聞かせていただいたことです。

 仏教は、「私の心を問題」としています。

 つまり、私の感受性の問題です。

 よく、誤解されるのですが、浄土教は

 この世は「穢土」だから、「浄土」に行って幸せになる・・・
この世は、ままならないから、あの世で自由に思い通りの生活をする・・・
という 現実逃避 を言っているのではありません
 
 「浄土」は、どこかにある「理想の別世界」のことでなく、
私の心の世界のことです。

 同じく「穢土」も、(私を棚上げして)この世(他人)が汚い  と言っているのではなく、
私の心の世界のことです。

 「浄土」は、あらゆることに悩んだり、不幸を感じない世界(心の状態)

 全てのものが楽しみで、全てがシアワセと感じとる心を 清浄 と言う

 清浄とは、「我」という感受性がないこと
      執着心、自分の都合がないこと

 お釈迦様は、身体的苦痛や苦悩の「第1の矢」を受けても、「第2の矢」を受けられない(それをマイナスとされない)

 それが 悟り 

と聞かせていただきました。

 むむむ・・・私には、ほど遠い「悟り」「浄土」であります。

 




 

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本願寺佐賀教堂開館記念法要

2010年06月22日 | 行事・案内
 佐賀県庁道路隔て、西隣に「本願寺佐賀教堂」(浄土真宗本願寺派佐賀教務所)があります。
 その土地、建物は、横尾雄一氏のご遺言により、本願寺に無償で寄贈されたものです。詳細は、こちら→ http://www2.saganet.ne.jp/saga-kk/yurai/index.html

 その横尾雄一翁のご命日をご縁とした法要が
 
 本願寺佐賀教堂開館記念法要 です。

 今年は、下記の通り勤修されます。どなたでも気楽にお話を聞きにお参りください

 日時:7月6日(火)午後1時
 場所:本願寺佐賀教堂
 講師:本願寺司教 東光爾英師




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穢土

2010年06月21日 | 仏教
 「穢土」(えど)とは「浄土」の反対語 

 「穢」は「ケガレ」を意味します。

 神道では「死」や「血」が「ケガレ」とされます。

 しかし、
 仏教で「穢」=ケガレ と言うのは、「煩悩」=自分中心の心 です。

 煩悩に汚れた心の世界を「穢土」と言います。

 「浄土」は、煩悩のケガレが一切ない世界・心の澄みきった悟りの世界 です。

 「穢土」は、「迷いの世界」とも言います。
 
 物事をあるがままに見ず、自分の思いにとらわれ、自分で自分の心をかき乱し、より苦しむからです。

 「穢土」からの脱却を目指すのが、仏の教えであります。
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パワースポット

2010年06月19日 | 仏教
 パワースポットは、そこに不思議な地力があり、力(気)を得る場所 の意味らしい。
英語ではなく、和製カタカナ語。

 で、そこを訪れて、何のパワーを得たいのか というアンケートによると、自分が得すると思うこと(金運、恋愛、健康・・・など)

 でも
 目先の損得の御利益でなく
 
  本当の御利益とは

  ままならない人生を生きるのに、どう心を転じたら、強く明るく生きてゆけるか 「私とは何なのか」「いのちとは、どういうものなのか」に気づかされることだと思います。
 
 幸せを感じて、穏やかに生きていくパワーを与えられるのが、仏の教えです。

 本当の意味での「パワースポット」は、お寺で仏教の話を聞く 法座(集い)

 そこで、繰り返し、説法に耳を傾けることをオススメいたします。

  
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通信教育で仏教を学びませんか?

2010年06月18日 | 行事・案内
 「全国どこにいても 仕事を持っていても 気軽に学べます」

 ただいま、西本願寺の通信教育 
  中央仏教学院 の通信教育生募集中です。(6月末まで)

  専修課程 (僧侶資格コース 3年)・・入学にあたり所属寺住職の承認が必要

  学習課程 (体系学習コース 3年)・・どなたでも、じっくり学びたい方

  入門課程 (基礎学習コース 1年)・・試験なしで気軽に学ぶ 基礎学習

 
 法専寺では、昨年、結婚し、佐賀に戻った長女が、帰省と同時に、受講開始。

 6月5,6日には、一泊で、スクーリング(学年末試験)のため、本願寺福岡教堂へ。 

 学生時代、一応、「得度」(僧侶資格)のご縁には遇った長女ですが、「教師」(住職になることができる)資格目指して、ただいま勉強中です。

 そして、今年9月の開講からは、息子(長女のお婿さん)が、専修課程に入学予定です。

 今月末から、法専寺にて、妻(娘)の家族(私ども)と同居。
 勤務に出ながら、寺での生活・・・そして、通信教育までスタートとなる息子。

 いやあ、これは、彼にとって、つらい?修行でありましょう。かわいそうに・・・

 彼の胃に穴が開かないように・・・
 彼のストレスの一番の原因が、義母(私)と、ならないように・・・
あたたかく応援したいと思っております。

 

 

 
  

 
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自分を正義と思っている人

2010年06月17日 | 仏教
 「自分を正義と思っている人ほど怖いものはないねえ

 これは、先日「ゲゲゲの女房」で、貸本マンガ店のおばあさんが言った、セリフです。

 
 シーシェパードの方も、テロを起こす人も・・・

 みんな「自分は正しいことをしている」と思っている。

 「世の中のことは一方を見たら、違う一方も見なくちゃいけない」(と、いうようなセリフだった)←これは、「龍馬伝」での勝海舟のセリフ
 
 
  世間のことは虚しく 仏だけが真実である  ←これは聖徳太子の言葉

 
「いつも自分は正しい」と思っている・・・その 自己中心性の濁り、危うさ を自覚させられるのが、仏の教え。

 この世は、いろいろな考え、習慣の人々が、いて、国によって、時代によって、「正義」も「常識」も違う・・・

 ある人にとって、好都合なことが、別の人にとっては、極めて不都合 ってことも、よくある話で・・・

 この世の中のことで、
一方的に「絶対正しい」 なんてことがあるのだろうか
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