お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

ビハーラ佐賀 

2024年07月12日 | 仏教
 7月12日、ビハーラ佐賀 総会&第1回基本学習会・公開講座でした。
 「ビハーラ」とは、↓本願寺ホームページより。

 浄土真宗本願寺派では、1987(昭和62)年に「ビハーラ活動」が始まりました。この「ビハーラ活動」とは、仏教徒が、仏教・医療・福祉のチームワークによって、支援を求めている人々を孤独のなかに置き去りにしないように、その心の不安に共感し、少しでもその苦悩を和らげようとする活動です。そして私たち自身が、苦しみや悲しみを縁として、自らの人生の意味をふりかえり、死を超えた心のつながりを育んでいくことを願いとしています。すなわち、「ビハーラ活動」とは、「生・老・病・死」の苦しみや悲しみを抱えた人々を全人的に支援するケアであり、「願われたいのち」の尊さに気づかされた人たちが集う共同体を意味します。

 と、紹介されています。
 公開講座のご講師は、終末医療病院「あそかビハーラ病院」のビハーラ僧・W師(佐賀教区武雄組)。
 「あそかビハーラ病院」は、本願寺派が創設した終末医療病院ですが、経営上、今は本願寺から日伸会ビハーラ医療福祉機構に経営が移っています。
 心配していましたが、経営が移っただけで、医療スタッフ、僧侶もそのまま活動されているそうです。
 ビハーラ僧侶のW師のお話は具体的で感動しました。とても勉強になりました。
 ありがとうございました。
 新型コロナ騒動以降、医療機関や老人施設への訪問がストップしたままで、ビハーラ会員も減少し残念でしたが、きょうは4名新しい会員も増え、今後、新しいアイデア・活動ができるかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年7月の言葉 その2

2024年07月05日 | 仏教


 全国、ものすごい猛暑のニュース。
 いつもは暑い佐賀ですが、このところ、まだ梅雨の晴れ間で曇りがちなこともあり、最高気温も33℃以下にとどまっています。
 
 さて、山陰教区妙好人カレンダー今月の言葉。
 
 世間でなく、如来(阿弥陀如来)さまと共の人生。
 喜びも、悲しみも、苦しみも、つらさも。
 何があっても、阿弥陀さまがご一緒の、安心の日々を
善太郎さんは、表してくださっていると味わせていただいております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迷わない恐ろしさ

2024年07月04日 | 仏教


 浄土真宗本願寺派の月刊誌『大乗』7月号の法話記事に
「迷わないことの恐ろしさ」
がありました。
 例として、
「迷わない先生」と「迷う先生」
 「迷わない先生」は真面目で一生懸命だが、自分の正しいと思う価値観で、生徒の思いを聞こうとしない先生。
 一方、「迷う先生」は
「この子にとって一番いいことはなんだろう」と迷いながら接してくださる先生。
 
 仏教で、仏さまの智慧なく、悟りに遠いことを「迷い」とか「無明」と表現されますが、
私が忘れてはならないのは、私が迷いの(私は必ずしも正しくない、自分の思いに固執する)存在である自覚。
 私に迷っている自覚がないと
「人の思いを聞くこともなく、正しさを押しつけ、傷つけても気づきもしない、そんな確信に満ちた迷いこそ「無明」の姿」
と、筆者がお示しくださっています。 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年7月の言葉

2024年07月02日 | 仏教


 きょう夜中3時頃は大きな雷鳴で、目が覚めましたが、午後からは久しぶりの日射し。
 ムッとする暑さ。日射しの間にもパラパラ小雨があったり、まだ不安定なお天気でした。
 
 さて、法語カレンダー今月の言葉です。
 私の言動の指針となるのは世間なのか、仏さまの仰せなのか
 この言葉どおり、世間に流されず、自らを省みて、仏さまとともに生きてゆきたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老少不定

2024年06月22日 | 仏教
 ご法話で、今生の寿命をロウソクに例えられることがあります。
 生まれた時にロウソクが灯されるとすると、順調に歳を重ねたら、やがて燃え尽きる。
 しかし思いがけず、風が吹いて、長いロウソクのままが灯火が消えるかもしれない。
 誰もが順調に「平均年齢」と言われる高齢まで年を重ねられるとは限らない。
 
 きょうは、まだ「壮年」のご門徒さんのご葬儀でした。
 涙、涙。
 「老少不定」
年の順に亡くなるとは限らない。若い方が先に往生なさることもある。と、頭ではわかっていても、やはりショックです。
 ご遺族の悲痛を思うと、言葉もありません。
 
 悲しいけれど、
故人は「冥土」や「天国」(仏教では、まだ迷いの世界)に行かれたわけではなく、
浄土」に往生(仏の世界に往って誕生)され、尊い仏さまに成られました。
 残された者を導く仏さまに成られました。
 目には見えませんが、ずっとご一緒です。
 
南無阿弥陀仏
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が忘れても

2024年06月20日 | 仏教


 写真↑ は、先日の生け花。アガパンサス。
 
 最近、一段と固有名詞が出てきません。
 海馬も縮小しているのでしょう。記憶力も低下していて、なかなか覚えられません。
 私の目も耳も、機能老化の原因は脳の問題であるように思います。
 私の場合、このまま歳を重ねたら、南無阿弥陀仏も忘れるのでしょうか。
 でも、安心です。
 私が何もかも忘れても、阿弥陀さまは私を忘れず願ってくださっていますから。
 そこに私のなすべきこと(自力)は全くなく、全て他力(阿弥陀如来のお力)ですから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年6月の言葉 その3

2024年06月13日 | 仏教


 暑くなりました。佐賀市は連日30℃超え。13日きょうは、ただ今33℃、このあと34℃まで上がる予報。
 
 さて、妙好人カレンダーの今月の言葉。
 念仏は、阿弥陀如来(親)の名乗り。全ての功徳をこめて、阿弥陀さまの方から私(子)を願い呼びかけてくださる。
 親に呼ばれたら、返事をするように、
 私はただ素直に「南無阿弥陀仏」と拝受し、称えるばかりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法事

2024年06月08日 | 仏教
 



 きょうは親戚寺院の法事にお参りさせていただきました。
 仏さまの御前に座らせていただき、とても有り難いご縁を賜りました。
 お久しぶりの方々、はじめましての方々、お参りされていた方々と親しくお話できて、楽しいひとときも恵まれました。
 仏さまと成られた故人をご縁とする個々・私のための法事であったとしみじみ思います。
 南無阿弥陀仏



 廊下には美しい糸かけアート作品も展示されていました。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご往生

2024年06月07日 | 仏教
 法専寺の責任役員を務めてくださった法専寺のお父さん・M・M氏がご往生。
 大変お世話になった元総代さんとの今生でのお別れは悲しい。
 法専寺に尽くしてくださった総代さん。
 これからは仏さまとして、法専寺の在り方、行く末を心配し、私たちを導いてくださいます。
 南無阿弥陀仏
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年6月の言葉 その2

2024年06月04日 | 仏教


 ほのぼのカレンダー今月の言葉です。
 聞いているつもりで、聞いてない。
 自分のことと聞いてない。
 自分の解釈が混じって素直に聞いてない。
 そういうことが、たびたびあります。
 いつも、我がこととして、聞法を重ねたいと思います。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする