きょうは快晴 明日から師走。ということで、きょうは廊下のレースのカーテンを洗濯。まあ洗ってくれたのは洗濯機ですが・・
きょうの仏教語は「悪人正機」
阿弥陀仏の本願は、悪人を目当てに救うために建てられた という意味です。
「正機」とは、正に目当ての意味。「機」は、私たちの心のことです。
「えっ 悪い人が救われるの いいことする善人が救われるんじゃないの」 と驚かれたかもしれません。
ここで言う「悪人」とは刑事上、道徳上の「犯罪人」のことではないのです。
仏さまの智慧の光で映し出された時の私の心。一筋の清浄な光が暗い雨戸の隙間からサーっと差し込んだ時に初めて見える(気づく)ホコリ。そのような私の心の汚れを「悪」と言っているのです。
つまり、危うい自分、脆い心 を自覚している人がこの場合言っている「悪人」です。
親鸞聖人は人間とは「さるべき業縁のもよおさば、いかなる振る舞いもすべし」(いろいろな縁によっては思いがけないことをしでかすかもしれない)と言われています。
そういう「悪人」の自覚をもった者に阿弥陀仏が、よりそってくださる。
私こそ悪人なんです 阿弥陀仏の救いの目当てが「悪人」というのは、そういう意味なのです。
それにしても、理解をこえたひどい犯罪があまりに多い。 きっと、阿弥陀様は「お願いだから、私の願いに気づいてくれ」と、泣いて泣いて苦しんでおられると思います。
今、たまたま刑罰上悪いことをしていなくても、阿弥陀様に心配かけている私なんですから、せめて自分で気づく程度の微々たる振る舞いは気をつけたいと思うこの頃です。
きょうの仏教語は「悪人正機」
阿弥陀仏の本願は、悪人を目当てに救うために建てられた という意味です。
「正機」とは、正に目当ての意味。「機」は、私たちの心のことです。
「えっ 悪い人が救われるの いいことする善人が救われるんじゃないの」 と驚かれたかもしれません。
ここで言う「悪人」とは刑事上、道徳上の「犯罪人」のことではないのです。
仏さまの智慧の光で映し出された時の私の心。一筋の清浄な光が暗い雨戸の隙間からサーっと差し込んだ時に初めて見える(気づく)ホコリ。そのような私の心の汚れを「悪」と言っているのです。
つまり、危うい自分、脆い心 を自覚している人がこの場合言っている「悪人」です。
親鸞聖人は人間とは「さるべき業縁のもよおさば、いかなる振る舞いもすべし」(いろいろな縁によっては思いがけないことをしでかすかもしれない)と言われています。
そういう「悪人」の自覚をもった者に阿弥陀仏が、よりそってくださる。
私こそ悪人なんです 阿弥陀仏の救いの目当てが「悪人」というのは、そういう意味なのです。
それにしても、理解をこえたひどい犯罪があまりに多い。 きっと、阿弥陀様は「お願いだから、私の願いに気づいてくれ」と、泣いて泣いて苦しんでおられると思います。
今、たまたま刑罰上悪いことをしていなくても、阿弥陀様に心配かけている私なんですから、せめて自分で気づく程度の微々たる振る舞いは気をつけたいと思うこの頃です。