お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

現代語で

2008年08月31日 | 仏教
 先日もご紹介しましたが、
 耳にしただけでは、分かりにくい、
いや、目で見ても分かりにくい 仏教語

 例えば、仏事の最後に拝読する「御文章」

 蓮如上人の時代には、あの表現で、一般人にもわかりやすかったのでしょうが・・・
 さて、時は流れ、現代

 今なお、あの表現のまま・・・何の解説もなく、ただ聞かされる立場にたつと
 何が何だかわからない呪文に聞こえるだろうと思う。

 僧侶として、いかに上手に経をあげ、御文章を拝読したとしても(もちろん、それは大切なことなのですが)、ただ、それだけでは、ご門徒にとって「何のことか、さっぱりわからない」まま・・・
 
 現代語での御文章を拝読する作法、あるいは、新しく、現代にあったご門主のお言葉を拝読する作法 と なってもいいのではないか・・・

 そう、生意気なことを思いつつ、御文章を拝読するオバサンなのであります。
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言われてみれば

2008年08月30日 | 雑感
 以前、実家の義姉の発言で、そうだなあ~ と妙に納得したこと・・・

 認知症の方で、食事を済ませた直後、それを忘れて「まだ、食事をしていない」「嫁がごはんを食べさせてくれない」と言うことは、しばしば耳にするが、
 その逆、「私は、もう食事を済ませたのに、また嫁が食べろと言う」と訴える人がいる とは聞いたことがない。

 
 私が遠くない将来、認知症になったら・・・
 
 きちんとした食事を取らずに、たった今、アイスクリームを食べたことを忘れて、また、冷凍庫を開け、長女に「お母さん、今、食べたばかりでしょう」と、しかられ、それを聞いたマイペースの次女が「好きにさせれば~」と言う・・・そういう状況がありありと浮かびます。

 あ、義姉の名言は、実家の母のことではありません。(今のところ、大丈夫

 

 

 
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焼香の回数

2008年08月29日 | 仏教
 昨日届いた本山からの「伝道」という雑誌の中に、「焼香」について辻本敬順師が書かれておりましたので、ご紹介です。

 仏教の主たる宗派の焼香の違い(改訂・葬儀概論)

天台宗: 回数については特に定めがない
真言宗: 通常3回。仏・法・僧に供養すること、身・口・意の三密に精進すること・・・
浄土宗: 特に定めがない
臨済宗:回数にこだわらないが、通常1回
曹洞宗;回数にこだわらないが、通常2回
日蓮宗:通常3回。

以上の宗派の場合は、香を額に戴いて焼香する

浄土真宗:自分の身心を清め、仏を敬う心で香をたく、焼香する時、香を額に戴かない

本願寺派(西)では1回 大谷派(東)では2回 


 辻本先生も書かれておられますが、
 あるご門徒が「他宗派の方が、焼香を3回、額に押し戴いて丁寧にされるのに、本願寺派は、1回つまんで、そのまま香炉に・・・薄情に見えるのでは・・・」と心配されたそうです。
 辻本先生は「焼香の目的を理解し、自信をもってお焼香すれば、決して薄情にはおもわれませんよ」と、答えられたそうです。
 
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真宗作法

2008年08月28日 | 仏教
 某氏から「浄土真宗の作法について、紹介してくれないか」というご要望がありました。

 仏事に臨まれる時、浄土真宗として、参詣者の服装に何の規定もありません。各人が、その仏事の場に相応しいと思われるお姿で・・・(お祝いの仏事の時は華やかに、悲しみの仏事の時は地味に・・・)

 「絶対しなくちゃいかん」では、ないのですが、もし、お持ちでしたら「門徒式章」を着けてくだされば、パーフェクトな「正装」です。
 「門徒式章」とは、僧侶の輪袈裟を短くしたような首からかける「式章」です。

 お焼香は、2,3歩手前で軽く一礼、進み出て、香をつまんで、押し頂かずに、そのまま香炉へ。合掌礼拝、後ろに2,3歩退いて一礼し、元の席に戻る

 後、昨日ご紹介した、僧侶が法話の前に「ご讃題」をあげられる時と、法話の最後に「御文章」を拝読される時は、低頭して拝聴する

 今、思いつくのは、こんなところです。

 その他、浄土真宗の作法については、

 野々村智剣師 仏教文化研究会編「門徒もの知り帳」上下巻 法蔵館 を どうぞ。
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ニンジン

2008年08月27日 | 仏教
 布教使さん(または、住職、僧侶)が、法話(説法)をする時、

 まず、経典・聖教の中から、一文を拝読、その後、法話を始めます。
 
 初めて法話を聞く方にとっては、「法話の前に、何をモグモグ称えているんのだろう」と怪しげな呪文に聞こえるかもしれませんが、

 法話を聞き慣れた真宗門徒は、ここで、それを受けて、「ナマンダブ、ナマンダブ・・・」と念仏を称えられます。
 
 真宗の教えを有り難くいただいている、この道の通(ツー)は、変な例えかもしれませんが、歌舞伎の見せ場でタイミングよく「かけ声」をかけるのと同じように、
法話を聞いていて、「ああ、有り難いなあ」と各々感じるところで「ナマンダブ、ナマンダブ」と声に出して称えられます。
 あ、もちろん、合いの手ではありませんので、「いよっ、阿弥陀様、絶好調 南無阿弥陀仏」と大声ではなく・・・静かに称名念仏されます。「ナマンダブ、ナマンダブ・・・」と

 ご年配のご住職方によると、最近はその「ナマンダブ」が少なくなった、聞こえなくなったと・・・
 
 さて、森田真円師「笑う門には念仏あり」本願寺出版社 に出てくる笑い話ですが・・・、
 上記、法話の前に、称える聖教の一節(ご讃題)で、ウチの住職も、よく称えているのが
 「礼讃文(らいさんもん)」

 耳で聞くだけでは、こう聞こえます。
 「ニンジン ウケガタシ イマ スデニ ウク。 ブッポウ キキガタシ イマスデニキク・・・」
 
 これを漢字で読めば、何て事はないのです。
 
 「人身(にんじん)受け難し、今すでに受く、仏法聞き難し、今すでに聞く・・・」

 でも、初めてこれを聞いた子ども達が「ニンジン、カタイんだって」仏法を「ゴボウ」と聞き間違えて「ゴボウもカタイんだって」と、法話デビューでかちかちに緊張した若住職さんをはやし立て、若住職さんが、ますます「人身硬く(ニンジンカタク)」なられた・・・という笑い話。

 難しい仏教語とその読み方。
 子どもでなくても、耳にしただけでは、何のことか、さっぱりわかりませんよね~
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オーストラリアの

2008年08月26日 | 雑感
 オーストラリアの友人から、久しぶりにメールが届きました。
 彼女も家族も元気そうで何よりでした。
 
 私はいつものように和英と英和と2冊の辞書をパラパラめくって、英語で返事のメールを作成。
 オーストラリア人の彼女は、日本語会話はペラペラなのですが、日本語を書くのは難しい。それで、オバサン、中学生レベルの英作文でメールをやりとりしています。

 早いもので、彼女たち一家が我が家に来てくれてから、間もなく2年になるのですね。
 末っ子のマチルダは、今でも友人に「佐賀」の話をしているそうで・・・有り難いです。
 日本でも忘れられがちな「佐賀」ですから、海外の方で日本の「佐賀」を知っている人は、ほとんどいないでしょうに・・・

 彼女のご主人は、京都で案内した西本願寺が一番印象に残っておられるそうです。 オバサン、本山の案内受付で、無理を言ったのに、国際部の若手イケメン僧侶が、駆けつけて下さって、英語で説明、案内してくださいましたから・・・いやあ、よかった、よかった 

 写真は、オーストラリアのチョコレート菓子(ティムタム)です。娘と私のお気に入りです。
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渋谷にサル

2008年08月25日 | 仏教
 大都会を走り回るサル・・・
 その後、どうなったのでしょう? 捕獲されたのでしょうか?

 人工的な大都市に、普段、存在しないサルが走り回る・・・というミスマッチな光景が面白いと同時に、いろいろな思いが浮かびました。
 
 私は、何故か不思議なことに「私」という人間に生まれて、今、生きているのだけど・・・もしかしたら、渋谷で走り回っているサルが「私」であったかもしれない。

 まだ、サルだと捕獲されて、動物園なり山なりへ返してもらえるかもしれないが、ハエ、蚊、ゴキブリに生まれていたら、ヒト(人間)に見つかった途端、たたき殺される・・・

 同じ「生き物」なのだけど、ヒトの都合によって、かわいがられたり、殺されたりする。

 それを思うと、殺虫剤のテレビコマーシャルで、シュー と、虫を退治し、虫さされから孫を護って、高笑いしているオジイサン、オバアサン、

 虫を殺す行為に変わりはなくても、
 
「ヒトの都合で命を奪っている」

という懺愧の気持ちを、高笑いせずに、孫に伝えたい・・・と思ったのであります。
 
 
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投機

2008年08月23日 | 仏教
昨日ご紹介した辻本敬順師「くらしの仏教語豆辞典」本願寺出版社より

「投機」

これも元は、禅の用語で「師匠と弟子の心が一致すること」だったそうです。

「心と心が合致することによって、心が通じ、悟りが開けることを投機という」と書かれています。





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悪口

2008年08月22日 | 本紹介
 辻本敬順師「くらしの仏教語豆辞典」上下巻 本願寺出版社 

 日常使われている言葉で、元は仏教語というのが、かなりあります。

 「悪口」は、現代語と同じ意味ですが、仏教語では「あっこう」とか「あっく」と読みます。

 さて、オリンピック

 オバサンがいつも感心するのが、欧米の選手、応援団のマナー。

 自分が負けてくやしいだろうに・・・ふてくされるでもなく、負け惜しみや相手の悪口を言うでもなく、笑顔で勝者を讃える方が多い。

 昨日の女子ソフトボールで、日本が金を取った時も
 それまで試合中は、自国を懸命に応援していた米国応援団が、試合後は皆立ち上がって、日本選手に拍手した・・・と耳にして、
 オトナだなあ、見習いたいなあ~と思ったことでした。

 
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連載小説「親鸞」

2008年08月21日 | 行事・案内
 昨日、西日本新聞社(福岡)の方(この方は佐賀支社の方でしょう)がみえて、

「9月1日から、五木寛之の連載小説「親鸞」が、1年間朝刊に掲載されますので、ポスターを掲示してください。できればご購読もよろしく」と言われた。

 先日、維真尽さんがコメントで、維真尽さんちの地方新聞にこの連載が始まると教えていただいて、羨ましく思ったのですが・・・

 結構、全国あちこちの地方紙にて連載が始まるようです。

 ただ、佐賀は、ウチも含めて、圧倒的に「佐賀新聞」を講読している方が多いので、残念

 興味のある方は西日本新聞をご講読ください

 と、勧めつつ、オバサンはケチなので、福岡県民の義姉か実家からコピーをもらおうかと考えているところです。
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