お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

児念結団式

2009年07月31日 | 行事・案内
 「児念」とは、児童念仏奉仕団のこと。略して「児念」・・・子ども達の本山研修旅行 のことです。

 ウチの組(11ヶ寺)で、結局25名の参加。(法専寺ゼロ)

 その旅行前の説明会「結団式」が29日夜、新築されたばかりのJ寺さんにて開会。(26日の豪雨で延期になりました)

 私は、(今回旅行に同行する)娘と共に、当日夕食のカレーライス作りへ。

 クーラーの効いた台所で、快適に調理作業。
 美味しいカレーができました。(男の子達は、お代わりに来てくれました)

 さて、私は嫁に来て以来、ずっと感じているのですが、

「児童念仏奉仕団」というネーミング、何とかなりませんか

 もちろん、真宗教団または、真宗をよくご存知の方にとっては、

「念仏」って、どういうことなのか、わかっているからこそ、大切な言葉なのですが、

 一般の(仏教に疎い)、若いお父さん、お母さんにとって

「念仏」って聞いただけで、「なんだか気持ち悪い」「たたりを鎮めるおまじない」といった印象をもつ・・・と思う。

 最近、本山は、各寺での子どもの集いを奨励し、「キッズサンガ」なんて名前をつけてキャンペーンしておられる。

 ならば、「児童念仏奉仕団」って、ネーミングを もっと楽しそうな名前に変えられないでしょうか

 さて、今回の「児念」・・・明日出発です。
 
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年をとるということ

2009年07月28日 | 仏教
 20代の頃の私は生意気に

 シワくちゃ、よぼよぼのお年寄りを見て、
 「ああ、あんなになるまで生きていたくない」
と思っていました。

 また、中高年の方がウオーキングやジョギングに汗を流しておられる姿を見て、
 「ふ~ん、あんなに努力してまで長生きしたいのね」
と思っていました。

 若いときは、その若さゆえ、実に傲慢で、
 自分も年寄りになっていくことなど、考えもしなかった。

 そして、年月は流れ・・・
 私自身、どこから見ても立派な中高年になり・・・今は健康に恵まれているが、やがて、病気も出るだろう、あちこち痛みもでるだろう。

 シワくちゃ、ヨボヨボ、「ああは、なりなくない」と思っていた存在に、一日一日近づいていっている。

 「役に立つ」「役に立たない」で分別する娑婆の価値観だけでは、生きづらい。

 若さを失っても、健康を失っても、プライドを失っても

「年老いたあなたも、病気のあなたも、若くて元気だった時と同じように、そのままで尊い

と、励ましてくださる仏さまの力(仏さまの智慧に照らされ、慈悲にいだかれる)

を、この身にいただくってことは、実に実に、明るく、心配のない老後ではありませんか

 と、いうことで、

 私は、今だって(自分が気づいてないだけで)十分あちこち迷惑かけ、許されて生きているのですから、シワくちゃ、ヨボヨボになって、周囲の手をとっても同じこと。

 いつ、どんな死に方をするかわかりませんが、命終わるまで、明るい婆さんを目指して生きるぞ~  皆さん、よろしくね。

 


 
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大雨 再び

2009年07月26日 | 雑感
 26日午後3時現在、雨は小康状態ですが 

 法専寺山門前のクリーク水位も道路の高さ近く上昇しています。

 これから、また1時間に80ミリ降るかもしれないそうで・・・

 一面プールになり、動けなくなった時のことを想定して、あわてて買い物に行きました。
 
 佐賀市内もあちこち冠水  (裏道にいたっては、通行止めの標識を立てるのも間に合わないため、ドライバーは各自判断してUターン)

 川もクリークも・・・危ない状態で・・・

 これ以上、降ったらアウトです。
 
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大雨

2009年07月25日 | 雑感
 いや~、すごい雨でした。
 ご心配いただきましたが、幸い周囲のクリークはあふれず、法専寺は流されずに無事に立っています。

 福岡県がひどかったようで、JRも私鉄も道路もストップ。直方の実家は、無事ですが、家の前の道路が川のようになり、ご近所あちこちの植木鉢が流れていたそうです。(電話したお昼前の時点で、もう水は引いた と言っていました)


 突然の豪雨。被害に遭われた多数の方にお見舞い申し上げます。
 明日はわが身かもしれません。
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愚痴が出る出る

2009年07月24日 | 仏教
 浄土真宗本願寺派 佐賀教区 教務所発行の「かんぎ」(教区報)が届いています。(組長さんが届けて下さいました。ご門徒の皆様には、お盆にお配りいたします)

 その表紙の川柳(佐賀教区のご門徒さん作)を拝見して、うなづかされました。

  ブツブツの 途絶えることなく 五十年

 年重ね 愚痴が出る出る 愚痴が出る

 沢山沢山愚痴が出る

 この愚痴どうにかならんかな 

 愚痴の合間のナンマンダ 


 まことに、年をかさねても、仏教学んでも、ご法話を聞いてうなづいても

 覚りには ほど遠い私です。

 阿弥陀様の本願力(自分では、到底覚れない、進歩のないジコチュウの私を 覚らせようと願われ、導いてくださる力)に「おまかせ」するしか

 私なんぞは「救いようがない」・・・

 あらためて、南無阿弥陀仏
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あるがまま その4

2009年07月22日 | 雑感
 臓器移植 について 

 お釈迦さまは、どう仰るだろう

 「医学が進歩し、病が重いからと言って、人の臓器まで欲してはいけない。あるがままに生きて あるがままに今生(この世)の生命を終えなさい」

と、諭されるだろうか

 親鸞聖人は、どう仰るだろう

 「脳死で臓器提供をしてくださる方がおられるなら、有り難く尊い。それで生き存える命も有り難い。
 しかし、臓器移植を受けられずに、幼くして亡くなる命も、悲しいことだが、決して単なる不幸ではなく、その子なりに精一杯生きたことが尊い。

 いずれも、その時その場の縁で生き存えたり、今生の縁尽きたりする。そして、いずれも、いつかは今生に別れ、往生(覚りの世界に新たに誕生)する尊い身の上である。

 臓器移植についての その場その時の状況での 各人の判断に 善し悪しはない し 何が正しいのかわからない」

と、仰るでしょうか

 皆様、どうお考えになられますか

 

 
 
 

 
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披露宴 in 法専寺

2009年07月20日 | 雑感
 土曜日は早朝から、ご門徒さん40名ほどおいでいただき、境内清掃、仏具のおみがき、本堂大掃除、そして、役員さんを中心に、本堂での「後継者結婚お祝い会」の会場準備 に ご奉仕いただきました。

 そして、昨日日曜日は、若夫婦にとっては3回目となる披露宴 
 「後継者結婚お祝い会」に108名の方々に祝福いただき、大いに賑わっていただきました。
 I氏のお謡、T氏が佐賀の古い歌を、Y氏はお得意のマジック等で会場を盛り上げていただきました。

 ご出席いただきましたご門徒の皆様に厚く御礼申し上げます。

 
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あるがまま その3

2009年07月16日 | 雑感
 題名も著者も記憶していないのですが、以前、読んだ短編

 主人公は、閉ざされた空間内で、仲間と穏やかに生活している
 しかし、外に呼び出された仲間は、二度と戻って来ない・・・

 そこに住む主人公たちは、臓器提供のために作られたコピー(クローン)だった・・・

というようなストーリーだったと思います。(どなたか、題名、著者をご存知だったら、教えてください そういえば、最近、似たような題材の映画もありましたっけ?)

 初めてそれを読んだ時、ゾ~っとしたのを覚えています。

 
 医学の進歩は、素晴らしいのですが、
 長生きさせるためには、手段を選ばず・・・となると、それは、それで恐いと思うのです。

つづく・・・

 
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あるがまま その2 (臓器移植について考える)

2009年07月15日 | 雑感
 臓器移植について 

 私自身のことで言えば、もう18年?くらい前から、臓器提供のドナーカードを運転免許証入れに入れて、持ち歩いています。

 幸か不幸か、生き存え、年を重ね、臓器も たいぶ くたばっているでしょうから、この先、活きのいい臓器を提供できないかもしれませんが・・・

 こういうふうに自分自身のことであれば、

「人工呼吸器をつけてまで長生きしたくない
「人さまの臓器をいただいてまで、長生きしたくない
「脳死になって、間もなく死に逝く・・・そんな私の臓器がお役に立つのならば、どうぞ、どうぞ、少しでも新鮮な内に、ご利用ください
と、素直に思う。

 しかし・・・

 これが、最愛の我が子だったら、どうだろう

 「脳死」と告げられて、まだ、体温を感じる愛しい姿を目の前にして
 「はい、どうぞ、切り取っちゃってください」と、躊躇なく、素直に返答できるだろうか。

 逆に、

 最愛の我が子が臓器移植でしか生きられない と 宣言されたら

 私だったら、臓器移植を受けても、我が子に生きて欲しいと熱望するだろう。そして、秘かに「早く誰か脳死になってくれないかなあ」と、恐ろしいことを願うかもしれない。

 では、最愛の二人の子がいて・・・
 一人が臓器移植でしか生きられない命であり、臓器提供を待っている時、
 もし、もう一人の我が子が脳死状態になったとしたら・・・

 一度にいっぺんに、両方の立場に立たされたとしたら、親として、どう判断するだろうか

 つづく・・・
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披露宴 in 佐賀 

2009年07月13日 | 雑感
 昨日は、法専寺後継者の結婚披露宴第2弾  

 今後一番お世話になる組内の法中(ほっちゅう:住職、若院様方)や 法専寺役員さん方等々・・・をお招きして、佐賀にて披露宴をさせていただきました。

 東京での披露宴は若い二人に任せっきりで、父母(私たち夫婦)はお客さんのような感じで出席しましたが・・・

 佐賀での披露宴は、私たち父母の主催でしたので、娘(花嫁)の希望を取り入れながらも、披露宴進行中に流す曲など含めて、the お寺・・・仏教讃歌の曲を中心に私の趣味で選曲させていただきました。(何だか法専寺自己満足の披露宴ですみません

 それにしても、一番うけたのは、開始前
「お待たせいたしました 新郎新婦の入場です」と、音楽が鳴りだし・・・

 会場の皆様が、どのドアから新郎新婦が登場するのだろう と、心待ちにしておられるところに

 ドアが開いて入場したのが、最後まで受付にいたため遅れた次女。

 次女は、裏口から会場に入ったつもりが、会場の皆様の全視線を浴び、
 皆様は、一瞬、花嫁かと、思われ・・・
 それが、花嫁の妹だとわかり、爆笑

 後での話

 いつも口の悪い私の兄は、「一瞬、とうとう新郎に逃げられて、花嫁一人で入場してきたのかと思ったよ」と、言い、

 入場のためドアの外で待機していた新郎新婦は、何故、自分たちの入場前に会場内で爆笑がおこっているか と、戸惑ったそうのだそうです。


 粗宴でしたが、ご多用の中、また、大変蒸し暑い中に ご来臨いただきました皆様に、厚く御礼申し上げます。
 今後ともよろしくお願い申し上げます

 写真は、花束贈呈の代わりに新郎新婦の母がもらったプリザーブドフラワー

 飛行機で関東まで帰られる新郎のお母さんが持参しやすいように、生花を日持ちするように加工した花籠です。

 先ほど、新郎のご両親を佐賀空港にお見送りしてきました。
 
  
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