保津川下りの船頭さん

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聖徳太子の夢にふれる旅・法隆寺。

2007-01-05 23:29:29 | 心の旅
今年のお正月は自らの原点を見つめる為、
日本人の心のふるさと奈良で迎えた私はっちん。

初詣と初参りも奈良の社寺に行って参りました。

先ず訪れたのが正岡子規の俳句「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」で
あまりにも有名な奈良県斑鳩町にある聖徳宗総本山・法隆寺。

病気平癒のため伽藍建立を誓願した用明天皇の死後、その遺志を
継いだ推古天皇と聖徳太子が607年、薬師如来像と安置する寺を
建立したと云われ、現存する世界最古の木造建築物群として
1993年にユネスコから日本初の世界文化遺産として登録されています。

今から1400年も昔、飛鳥時代の姿を今に残す法隆寺は
総面積約18万7千平方メートルという広大な境内に、
五重塔、金堂を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とする東院伽藍と
に分けられ建てられています。


西院伽藍にある金堂と五重塔は飛鳥時代に建立されたもの。
金堂の中には金胴釈迦三尊像と金銅薬師如来像、金銅阿弥陀如来像
が安置され、それらを守護するわが国最古の四天王像が立っています。
また、天井には天人と鳳凰が飛び交い、周囲の壁面には仏教絵画が
描いてあるなど創建当時の優美さを窺い知ることができます。
高さ約31.5mあるわが国最古の五重塔は、最下層内部には東西南北
ごとに扉があり、文殊菩薩の問答、釈迦の入滅、釈迦遺骨の分割、
菩薩の説法という場面が偶像で表現されています。

大講堂は太子の説いた仏教教義の学問研鑚の場並びに法要を
行なう施設として平安時代に建てられたものです。

これら西院伽藍の各施設を結ぶ廻廊(かいろう)は飛鳥時代の建物。
廊下であるとともに聖域を区切る障壁でもあり、深く覆いかぶさる
軒を支える組物と柱の強固さが飛鳥時代の建築技術の
高さを物語っています。


西院伽藍から東院伽藍へ向かう途中に大宝蔵院が建っています。
百済観音と呼ばれる飛鳥時代の観音菩薩立像(国宝)が安置されている。
もとは金堂内陣の裏側に安置されていて、細身で九頭身の特異な像は
その伝来や造像の経緯などはほとんど不明とされています。
この百済観音に安住していただく殿堂を建立することは法隆寺永年の
悲願だったそうで平成10年に完成を見たそうです。
また推古天皇が所持していた仏殿・玉虫厨子やその他約190件
点数2300点の国宝・重要文化財が保蔵されています。

東院伽藍へ向かう参道の土壁。
建立当時はおそらく白塗りの壁であったろう、この土壁も
今では表面がはがれ落ち、土面が剥き出しになっています。
風化したありのままの姿に長い時代の流れがリアルに感じられます。
このあたりが京都の寺院とは違うところですね。


聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立されたもので、
回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建っています。
回廊南面には礼堂、北面には絵殿及び舎利殿があり、北に接して
伝法堂が建っています。

夢殿(国宝)は奈良時代(739)行信僧都が太子の遺徳を偲んで
建立、堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置されています。
現在も春・秋の一定期間しか開扉されない秘仏で、
当初のものと思われる金箔も綺麗な色で保存されています。

訪れた日は冬とは思えない暖かい日和に恵まれ、ゆっくり
心ゆくまで伽藍内を見学参拝することができました。

この法隆寺が建つ斑鳩で、わが国の行く道を模索し指揮した太子。

607年、煬帝時代の隋に小野妹子を代表にした遣隋使を派遣した太子。
その書状の冒頭に
「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや・・」
と書き綴られていたことは有名な話。

それまでの朝鮮外交から、大陸外交への方針転換を試み、朝鮮を
経由せずに直で大陸文化を吸収しようとした政策を立案するも
日本が大陸の文明に吸収されて、固有の文化を失うような
ことはしない!という強い意志を表したもの。
当然、隋の皇帝煬帝は激怒したが、高句麗との抗争中なので日本を
敵には出来ない、そんな隋の内情を知って巧みに揺さぶり、
遣隋使派遣で隋との直接交渉を築き、百済・新羅への威圧も目的と
するしたたかな外交手腕は現代にも必要な感覚だと思います。

「中国から謙虚に文明を学びはするが、決して服属はしない」
この日本の基本姿勢を構築した太子の政策は中国から欧米へと
学ぶ対象国を変えて今の日本文化技術発展の思考基盤を創ったと
言っても過言ではないと思います。

厚い宗教心を基に、和の精神を説き、身分にとらわれず
実力評価する人材の登用をすすめた太子。

この国が真に「日出処の国」になるためには・・・
そして自分が「日出処の国の一員」として成す事は・・・
今の日本を考える時、聖徳太子の夢に多くを感じた旅となりました。