奈良盆地の東端を南北に走る一本の古道、
これが日本最古の国道「山の辺のみち」。
その山辺の道の中間点・天理市龍王山の西の麓、
布留山(標高ニ六六メートル)の北西裾の高台に
鎮座しているのが神代から昔からあるといわれる
石上(いそのかみ)神宮です。
日本最古の神社の一つで、神武天皇が大和征服に
使った天剣(平国之剣)の霊威・布都御魂大神と
素盞鳴尊が八岐大蛇を退治した天十握剣の
霊威・布都斯魂大神を祭神し、武門の棟梁たる
物部氏の総氏神として、古代から健康長寿・病気平癒
除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
森林に囲まれた静かな参道を登ると、けして広くないが
うっそうと茂った木々や山など周囲の自然とすんなり溶け込だ
境内の姿が古代の雰囲気を醸し出している。
拝殿は平安時代の後期、石上神宮を崇敬された白河天皇が、
宮中の神嘉殿を寄進したものといわれ国宝とされている。
拝殿の陰になって正面からは見えないが、その奥には
剣先状の石端垣に囲まれた禁足地があり、禁足地の中央
には大正2年(1913)になって初めて建立された本殿が
建っています。本殿の西側には大和朝廷の武器庫だった
といわれる神庫(ほくら)があります。
楼門の向かい側の石段を上がると「出雲建雄神社拝殿」があります。
中央に通路があって、一つの建物が左右に分かれている
ユニークな造りになっています。
かつては石上神宮の南、現在の天理市杣之内町にあった
大寺・内山永久寺の鎮守社だったのが、大正3年(1914)
現在地に移築したもの。幻の大寺の唯一の遺構です。
神宮には古代各氏族の王権を象徴する神宝を始め、大和朝廷の
数多くの神宝類が神庫(ほくら)に保管されています
中国の東晋の太和4年(369年)
百済王が倭王に献じた「七支刀」(ななつさやのたち)。
4~5世紀の日本と朝鮮半島との関係の深さを物語る品。
物部氏といえば、天皇家よりも前に天孫降臨したとされる
ニギハヤヒミコトを祖先と伝えられる古代氏族で、
大和朝廷では兵器の管理を主に行なっていたとされるが、
飛鳥時代、排仏派となり、仏教の推進を図る蘇我氏と対立。
その勢力争いに破れ、衰退していく。
神代の昔から、神武東征による朝廷の誕生、
大陸から「仏教」とともに高い知識や技術も入り、豪族から
天皇が中心となる律令国家へとうつり変わった時代。
小国「倭国(わこく)」は、若き太子の登場、後継争い
などの争いを繰り返し、国家「日本」が創られた。
そんな時代からこの国の移り変わる姿を、自らは
変わらず見続けてきた日本最古の神宮・石上。
これからも「この国のゆくえ」を静かに見守っていく
ことでしょう。
これが日本最古の国道「山の辺のみち」。
その山辺の道の中間点・天理市龍王山の西の麓、
布留山(標高ニ六六メートル)の北西裾の高台に
鎮座しているのが神代から昔からあるといわれる
石上(いそのかみ)神宮です。
日本最古の神社の一つで、神武天皇が大和征服に
使った天剣(平国之剣)の霊威・布都御魂大神と
素盞鳴尊が八岐大蛇を退治した天十握剣の
霊威・布都斯魂大神を祭神し、武門の棟梁たる
物部氏の総氏神として、古代から健康長寿・病気平癒
除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
森林に囲まれた静かな参道を登ると、けして広くないが
うっそうと茂った木々や山など周囲の自然とすんなり溶け込だ
境内の姿が古代の雰囲気を醸し出している。
拝殿は平安時代の後期、石上神宮を崇敬された白河天皇が、
宮中の神嘉殿を寄進したものといわれ国宝とされている。
拝殿の陰になって正面からは見えないが、その奥には
剣先状の石端垣に囲まれた禁足地があり、禁足地の中央
には大正2年(1913)になって初めて建立された本殿が
建っています。本殿の西側には大和朝廷の武器庫だった
といわれる神庫(ほくら)があります。
楼門の向かい側の石段を上がると「出雲建雄神社拝殿」があります。
中央に通路があって、一つの建物が左右に分かれている
ユニークな造りになっています。
かつては石上神宮の南、現在の天理市杣之内町にあった
大寺・内山永久寺の鎮守社だったのが、大正3年(1914)
現在地に移築したもの。幻の大寺の唯一の遺構です。
神宮には古代各氏族の王権を象徴する神宝を始め、大和朝廷の
数多くの神宝類が神庫(ほくら)に保管されています
中国の東晋の太和4年(369年)
百済王が倭王に献じた「七支刀」(ななつさやのたち)。
4~5世紀の日本と朝鮮半島との関係の深さを物語る品。
物部氏といえば、天皇家よりも前に天孫降臨したとされる
ニギハヤヒミコトを祖先と伝えられる古代氏族で、
大和朝廷では兵器の管理を主に行なっていたとされるが、
飛鳥時代、排仏派となり、仏教の推進を図る蘇我氏と対立。
その勢力争いに破れ、衰退していく。
神代の昔から、神武東征による朝廷の誕生、
大陸から「仏教」とともに高い知識や技術も入り、豪族から
天皇が中心となる律令国家へとうつり変わった時代。
小国「倭国(わこく)」は、若き太子の登場、後継争い
などの争いを繰り返し、国家「日本」が創られた。
そんな時代からこの国の移り変わる姿を、自らは
変わらず見続けてきた日本最古の神宮・石上。
これからも「この国のゆくえ」を静かに見守っていく
ことでしょう。