また、あの日がやって来た。
多くの尊い命を奪った「阪神淡路大震災」が起った日が。
12年経った今もこの日が来るたびに当時のことが思い出され
私の心を深く締め付ける。
12年前の震災が起る前日、私は最も被害があった
神戸市長田区にいた。
長田区に妻の親類があり、結婚前の挨拶を兼ねて遊びに行っていたのだ。
16日は成人の日の振り替え休日だった事もあり、一泊させて頂いた。
前夜は皆で近所の居酒屋に繰り出し一杯やりながら
楽しい会話に花が咲いた。柱が剥き出しになった町家造りの
店内は満員で活気があったのを覚えている。
「一杯飲んだ後はやはりラーメン」といことになり
国道沿いの九州ラーメン屋に流れ込んだ。
寝る前に銭湯へも行き、一日の疲れを癒した。
年季のある素朴なまちの銭湯だったが、壁タイル
に書かれた風景画やライオンの給水口、レバー式の
シャワーなどどれも昔懐かしい銭湯そのままで情緒があり、
身も心も温まった気がした。
どれもこれも、ごく当たり前の日常が流れていくだけの幸せな時間。
その約30時間後にやって来る悲劇など想像すら出来なかった。
約18時間後には崩壊する「JR新長田駅」から私達は電車に乗り
京都へ帰った。
そしてその時が来た。
その衝撃は京都で眠っていても瞬時に目が覚めるほどの強さだった。
数時間後、長田区に甚大な被害がでていることを知る。
テレビ画面から流されてくる長田区の映像は、間違いなく
昨日私がいた場所だった。
崩れた駅、黒い炎をあげ燃え上がるアーケード商店街、
そして倒壊する住宅地、目を覆いたくなる様な映像は昨日とは
全く異なっているのだが、確かに見覚えある風景ばかりなのだ。
私が泊まった親類の家はまさにその場所だったのだ。
その親類とも全く連絡が取れなかった。親類はまだ3歳の幼子もいる。
「この炎の中にいるのでは?倒壊しガレキの下敷きになっては
いないか?」息が出来ないくらい心が鋭く締め付けられた。
負傷はしたものの、家族全員無事だったことを知ったのは
丸一日経った午後のことだった。
泊まった家は地震から数十秒で2階部分が崩れ、数分後には
傾き倒壊したそうだ。つまり私が泊まらせて頂いた部屋は
数十秒で屋根が落ちたという事だ。
一日遅れで遊びに行っていたら、間違いなく死んでいたし、このブログ
を書くこともなかったであろう。はっちんというキャラクターも
この世に存在していなかった。
楽しく飲んだ町家風の居酒屋も、昔情緒いっぱいの銭湯も
この世から永遠に消えてなくなった。
当たり前に来ると思っていた「明日」が不確実であること、
生きているというのは当たり前の事ではないと初めて実感した日。
人生の価値観を大きく変えたあの日のことを、私はけして忘れない。
あの震災前の長田の風景とともに・・・
多くの尊い命を奪った「阪神淡路大震災」が起った日が。
12年経った今もこの日が来るたびに当時のことが思い出され
私の心を深く締め付ける。
12年前の震災が起る前日、私は最も被害があった
神戸市長田区にいた。
長田区に妻の親類があり、結婚前の挨拶を兼ねて遊びに行っていたのだ。
16日は成人の日の振り替え休日だった事もあり、一泊させて頂いた。
前夜は皆で近所の居酒屋に繰り出し一杯やりながら
楽しい会話に花が咲いた。柱が剥き出しになった町家造りの
店内は満員で活気があったのを覚えている。
「一杯飲んだ後はやはりラーメン」といことになり
国道沿いの九州ラーメン屋に流れ込んだ。
寝る前に銭湯へも行き、一日の疲れを癒した。
年季のある素朴なまちの銭湯だったが、壁タイル
に書かれた風景画やライオンの給水口、レバー式の
シャワーなどどれも昔懐かしい銭湯そのままで情緒があり、
身も心も温まった気がした。
どれもこれも、ごく当たり前の日常が流れていくだけの幸せな時間。
その約30時間後にやって来る悲劇など想像すら出来なかった。
約18時間後には崩壊する「JR新長田駅」から私達は電車に乗り
京都へ帰った。
そしてその時が来た。
その衝撃は京都で眠っていても瞬時に目が覚めるほどの強さだった。
数時間後、長田区に甚大な被害がでていることを知る。
テレビ画面から流されてくる長田区の映像は、間違いなく
昨日私がいた場所だった。
崩れた駅、黒い炎をあげ燃え上がるアーケード商店街、
そして倒壊する住宅地、目を覆いたくなる様な映像は昨日とは
全く異なっているのだが、確かに見覚えある風景ばかりなのだ。
私が泊まった親類の家はまさにその場所だったのだ。
その親類とも全く連絡が取れなかった。親類はまだ3歳の幼子もいる。
「この炎の中にいるのでは?倒壊しガレキの下敷きになっては
いないか?」息が出来ないくらい心が鋭く締め付けられた。
負傷はしたものの、家族全員無事だったことを知ったのは
丸一日経った午後のことだった。
泊まった家は地震から数十秒で2階部分が崩れ、数分後には
傾き倒壊したそうだ。つまり私が泊まらせて頂いた部屋は
数十秒で屋根が落ちたという事だ。
一日遅れで遊びに行っていたら、間違いなく死んでいたし、このブログ
を書くこともなかったであろう。はっちんというキャラクターも
この世に存在していなかった。
楽しく飲んだ町家風の居酒屋も、昔情緒いっぱいの銭湯も
この世から永遠に消えてなくなった。
当たり前に来ると思っていた「明日」が不確実であること、
生きているというのは当たり前の事ではないと初めて実感した日。
人生の価値観を大きく変えたあの日のことを、私はけして忘れない。
あの震災前の長田の風景とともに・・・