保津川下りの船頭さん

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洛西大枝の地へ『桓武天皇御母・高野新笠陵』を訪ねて・・・

2008-03-02 23:37:04 | シリーズ・京都を歩く
京都から亀岡方面へ走る洛西の京都縦貫道沓掛インター
の入口から少し北へ入った旧山陰街道(現在府道142号)
沿いに『桓武天皇御母・高野新笠陵』があります。

平安京創設者・桓武天皇はあまりにも有名ですが、
そのご母堂様・高野新笠(たかののにいがさ)の名を
知る人は京都の方でも少ないのではないかと思います。

そのことを象徴するかのように、小高い丘の円墳陵
の入口には小さく目立たない石碑が‘ぽっん’と
立っているだけ。
石碑には『桓武天皇御母・高野新笠陵』と確かに
書かれているものの、未整備な御陵は
「これがあの桓武天皇の生母の墓?」と俄かには
信じられないほどの質素さでひっそりしています。


石碑立つ入口からは、すぐに登りになり細い山道そのままの参道。
急なつづら坂の参道は、中腹まで登ると石畳の階段と手すりが
整備され、少しは登りやすくなります。

この急な坂が続く参道を数分歩くと、視界が
急に広がり御陵が見えてきます。

御陵は小さく鳥居が建つだけの質素なつくりですが、
地元の方が清掃されているのでしょうか?
ゴミ一つなく、きれいです。

年間約5000万人もの観光客を有する‘京都’の
基礎を創った桓武天皇の生母・高野新笠の御陵は
観光名所でもなくそれらの雑誌にも記載されることは
なく、その名前すら知る人は少ない。
賑やかな京都を、洛西の地にある小高い丘から
眺めながら、静かにおやすみされているのですね。

歴史書籍の山川出版社「日本史広辞典」によると、
高野新笠の父は百済の武寧王の後裔と伝えられる和乙継で、
母は土師真妹といわれています。
高野新笠は光仁天皇の側室(?)夫人で、桓武天皇と
平安京遷都の動気ともなったいわれる早良親王の母。
789年崩御。

父和史乙継は百済系渡来人の子孫で大和郷(奈良県天理市辺り)
が本貫地ですが、土師宿禰真妹が出た土師氏が
大枝(おおえ)朝臣と称し、山城国乙訓郡大枝郷(京都市西京区大枝)
を本拠地としていたので、高野新笠は晩年大枝の地で隠居して
いたので墓が西京区大枝の地にあるようです。

ちなみに、2002年の日韓ワールドカップの時、
今上天皇が‘ゆかり’発言をされ、物議をかもした
その人こそ、この高野新笠なのです。

私が訪れた時は、周辺住宅のゴミ収集日だったらしく、
『桓武天皇御母・高野新笠陵』の石碑の横が
ゴミ置き場となっていました。

今後の扱い次第では、日韓友好の象徴に
なれる可能性もある高野新笠の御陵ですが
地元住民とともに、静かにやすまれることを
望まれているのかな?と感じいった次第です。