保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

嵐山と古代豪族・秦氏、そして京都。

2011-05-22 10:18:19 | シリーズ・京都を歩く
嵐山の語る時「秦氏」のことを話さないのは「もぐり」である、と
いわれる古代にこの地を治めていた「秦氏」

渡月橋の上流に堰止めをつくり、今の嵐山の原風景をつくった一族です。

秦氏は応神天皇(おうじん)の時代に、朝鮮の百済から秦皇帝の末裔と称して
渡来してきた一族で、功満王一族とか、百済127県の民を率いて渡来した
弓月君(ゆみづきのきみ)一族の末裔ともいわれています。

彼らは現在の右京~西京区、伏見区深草にかけて居住し、大陸から伝承したきた
養蚕や機械、醺酒、治水技術に優れ、豊かな経済力を背景に平安京遷都を
桓武天皇に提案した一族ともいわれ、嵐山の原風景にとどまらず、今の京都自体が
形成される基礎をつくった、京都の歴史にかかすことができない重要な役割を
果たした一族といえるでしょう。

嵐山の堰は、下流地域一帯の農地を発展させるための灌漑用水を川の水で
確保するため設置したもので、当時では画期的な最先端土木技術だったのです。



信仰文化の面でも大きな影響を与えており、山林開発の神を松尾山に祀り(松尾大社)、
農耕守護の神を稲荷に祀るなど、賀茂氏とならんで山城北部の開発につとめたり、
飛鳥時代には聖徳太子に仕えて仏法を興隆し、京都に広隆寺を建立した秦河勝は
一族の末裔だといわれています。

しかしながら、豊富な財力にものをいわせ、平安遷都を成し遂げた秦氏ですが、
平安時代以降はなぜかその勢力は衰退し、歴史の表舞台に登場することは
なく、勢力を誇った証として‘太秦’という地名が残っているだけです。

日本発展の先端技術を有し、国つくりに多大な影響を及ぼした秦氏。
また、南部仏教勢力との確執に苦しむ朝廷に、奈良から京都への遷都
を提案し、現実に長岡京から平安京造営に寄与したキーマン的一族・秦氏は
なぜ、自らが作り出したといっても過言ではない平安時代に入ると
その勢力を衰退させるに至ったのか?

ここに歴史のロマンを感じずにはいられません。

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4 コメント

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目に青葉ですね (クレープ)
2011-05-22 14:37:38
 新緑真っ只中の京都は、美しい季節ですね。毎日お忙しいと思います。

 龍二さんの親子旅は、ドラマでの龍二さんと違って、一徹くんにとって優しくて頼もしいお父さんが観られてHDに保存しました。

 ところで、はっちんさんはご存知と思いますが、今年の龍二さんは、『好色一代男』と『大奥』と、舞台が多いですね。『好色一代男』は片岡愛之助さんと共演されるようですし。又、お芝居が観られると思うと、今から待ち遠しいです。 
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応援してます。 (はっちん)
2011-05-25 11:26:01
クレープさんへ。

お久しぶりです。
龍二さん親子の旅、絆の強さが感じられて大変よい番組でしたね。

情報の提供ありがとうございます。このブログは「龍二さん応援ブログ」の側面も持ち、大勢の龍二さファンがご覧になっていますので、助かります。
さて、龍二さんはNHK・BSのドキュメンタリーの撮影のため、鹿児島に行ってられました。6月に放送予定です。

是非、ご覧ください。

舞台もぜひ、応援しに駆け付けたいと思っています。
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新しい情報 (クレープ)
2011-05-25 16:59:31
 お忙しいのに、コメントをありがとうございました。

 BSの番組は知りませんでしたので、来月がまず楽しみです。もうすぐでしょうね。今、スカパーで若い頃の龍二さんの『求馬』を楽しんでいますが、{親子旅で}40歳になっても爽やかで落ち着きがでた龍二さんがとても素敵でした。
ドキュメンタリーでは、素の龍二さんが観られるのしょうか。いつか合田さんとご一緒の番組も観てみたいと思います。
 
 はっちんさん、腰の方はいかがですか。お気を付けくださいね。
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深みある演技を (はっちん)
2011-05-26 08:19:47
クレープさんへ。


人間的な深みが出てきてますよね。
これからも、いろんな役に挑戦していただきたいですね。


合田さんとは黄門が終了後は全く連絡がありませんが、舞台等で活躍されておられるようです。


またいつか、助格コンビが復活した姿がみたいですね。

私への心遣い、ありがとうございます。今のところ良好です。

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