保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

本店と変わらない旨味「博多一風堂京都錦店」

2007-01-08 20:23:40 | シリーズ・京都を食う!
今や日本でも有数の有名ラーメン店の一つである
「博多一風堂」の京都店が、京都市中京区の
東洞院錦小路通り東に入った所にあります。

とんこつラーメンの本場博多で評判の店という
知名度と京都大丸北口のすぐ隣りにある立地条件の
よさからか連日、行列が絶えない人気店です。

一風堂といえばスープの基だしからチャーシュー、
麺に香油、水に至るまで本店のそれと変わらない
厳しいシステムにより管理され全国のチェーン店間の
味レベルを一定にキープしているといわれている。

学生の頃、昼ご飯に博多ラーメンが食べたくなり、
新幹線に乗って博多まで日帰りラーメン旅に出かけた
経験のある私としては、博多で食べた美味しい「一風堂本店」
の味と京都店が同じ味レベルなのか?興味のあるところです。

ラーメンのメニューの基本は2種類。

元々の味である「白丸元味」と新しく作り出された
という「赤丸新味」


香りもよくコクがありとろみのある白濁スープは間違いなく
名店博多一風堂の元祖の味「白丸元味」。
コッテリ感はあるもののしつこくなく、コシの強い細ストレート麺
がしっかりスープに絡み口当たりもよく旨味を出しています。
チャーシューも柔らかくとろとろに煮込んであり、
厚く切られていても口の中でとろけて食べやすい。

新作といわれる「赤丸新味」は特製の辛味噌と加えられ
辛みのコクが増し、スープの上に浮いている自家精製油の
香油がとろみを引き出しコッテリ感を倍増させている。

白丸元味とは似ているもの、明らかに別味のとんこつ
ラーメンとして差別化をはかっている。
チャーシューも白丸の方はもも肉、赤丸の方はバラ肉を使用
しているらしい。

博多の味が食べたくなった是非、訪れたい一店です。

赤丸新味750円 白丸元味650円 替え玉150円
赤丸全部入り1050円 おいしいご飯150円
明太ご飯320円 博多一口餃子420円

住所 京都市中京区阪東屋町
電話 075-213-8800
営業時間 11:00~翌2:00
定休日 無休



やまね祭主催公演「藍いろの家」を鑑賞。

2007-01-07 22:18:19 | 映画・芸能界
ロマンに生きる俳優・山根誠示さんプロデュースの
舞台「藍いろの家」の公演が今日7日、
京都市中京区の「ウイングス京都・イベントホール」
で行なわれ、ワイフと一緒に鑑賞してきました。

脚本・演出構成、挿入歌の作曲作詞まで一人で
こなした多才俳優・山根誠示さんは東映京都所属の
役者さんで、「京都迷宮案内」や「おみやさん」にも
レギュラーで出演している方です。

当日は、朝から吹雪に見舞われる悪天候でしたが、
公演時間前から会場は超満員状態でした。

10分前に会場入りした私達も座るところを探すのに
一苦労するほどの大盛況で、やまね一座の人気が窺えます。

物語はまだ東西ドイツが分かれていた頃のお話。

周囲の重圧に耐えられなくなり人生に絶望し自殺未遂をした
一人の若者と彼を助けた国境付近の小さな村に住む
過去の記憶と言葉をなくした不思議な少女のラブストーリー。
彼女の健気で明るい性格に癒され、だんだん心惹かれていく
そんなある日、一人の男が二人の前に現れ、悪意に満ちた
計画を企てます。

それぞれの人間模様を織り成しながら3人が
背負った過去がだんだん明らかになる・・・

舞台では国、物、エゴに翻弄される人々の人生を
通して、愛を見つめ素朴でささやかに暮らす中にこそ、
人として生きる上での本当に大事なものがあることを
教えてくれるストーリーでした。

悪役で登場した山根さんもテンション最高潮で、
熱演を見せてくれました。
主役の江嵜大兄さんは東京から舞台稽古に通ったそうです。
少女役の潮田由香里さんも新人らしい新鮮な演技で、
東映京都の期待の女優さんです。

やまね祭と称された今回の舞台には特別ゲストとして
アコースティックギターとバイオリンのデュオバンド
「ジュスカ クランペール」のお二人のライブもあり
祭を盛り上げました。
ジュスカは昨年の秋から小雪さんや桃井かおりさんが出演する
「SK2化粧品」のCMのバックミュージックを担当、また
フランス映画「僕をおくる」のイメージソングに抜擢され
フランスの人気女性歌手クレモンティーヌが彼らの曲を
歌うなど、京都から世界を舞台に活躍している
クラシック系バンド。

最後は出演者みんな舞台に勢ぞろいし、会場の鑑賞者と
一緒にジュスカの曲にあわせて大合唱するという
愉快なフィナーレでショーの幕を下ろしました。

とても愉快で盛り上がりのある‘まつり’でしたよ~

あっぱれ!やまねさん、本当にお疲れさまでした。

豊葦原の瑞穂の国の芯・橿原神宮。

2007-01-06 22:39:50 | 心の旅
奈良盆地の南、畝傍山(うねびやま)のふもとに広がる
深い森林の中に皇祖・神武天皇を祀る「橿原神宮」が
あります。

奈良県を巡る際、どうしても訪れてみたかった所の一つでした。

日本書紀によると、九州日向国の高千穂宮から東に上がり、
この日本を初めて統一した神武天皇が即位された場所・
橿原宮址に創建されたのが橿原神宮です。

歴史ある古刹が多い古都・奈良にあって、明治時代に
建てられたという歴史の浅い神宮なのですが、
今、日本の国つくり発祥の地に立っているという事実が
自らのルーツに確かに触れていると感じられる場所です。


鳥居をくぐり、一歩、足を踏み入れた時、不思議な感覚が
自分を覆いかぶさるように感じました。

この神宮の広大な神域にはただただ圧倒されます。
装飾されているわけでもなく、雅やかでもない。
大きいがただ木を使ったありのままの社が建つだけの
風景で、京都のそれより素朴感は否めないが
この空間には確かに巨大なエネルギーが
満ち満ちている感じがしました。

明治天皇のはからいで元京都御所から移された内拝殿から
御本殿を参拝したのですが、この建物に入った瞬間、
背筋を熱いものが貫いた感じがして全身鳥肌が立ったのです。

奈良三山の一つ畝傍山のふもとに建つ御本殿。
日本建国の基礎を築いた神武天皇を祀る社からは
地から沸き上がる強い霊気が噴出し、手を合わす
自分を本殿へ引き込もうとする霊気の圧力を
確かに感じたのです。

これは神気というより、清々しくも力強い霊気といった方がいいでしょう。

自分は今まであまり霊感などというものがない人間だと
思っていたのですが、今年、古都奈良を地を巡り
鋭い感性が芽生えつつあるのでしょうか?

不思議な感覚に見舞われた橿原神宮の旅でした。



聖徳太子の夢にふれる旅・法隆寺。

2007-01-05 23:29:29 | 心の旅
今年のお正月は自らの原点を見つめる為、
日本人の心のふるさと奈良で迎えた私はっちん。

初詣と初参りも奈良の社寺に行って参りました。

先ず訪れたのが正岡子規の俳句「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」で
あまりにも有名な奈良県斑鳩町にある聖徳宗総本山・法隆寺。

病気平癒のため伽藍建立を誓願した用明天皇の死後、その遺志を
継いだ推古天皇と聖徳太子が607年、薬師如来像と安置する寺を
建立したと云われ、現存する世界最古の木造建築物群として
1993年にユネスコから日本初の世界文化遺産として登録されています。

今から1400年も昔、飛鳥時代の姿を今に残す法隆寺は
総面積約18万7千平方メートルという広大な境内に、
五重塔、金堂を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とする東院伽藍と
に分けられ建てられています。


西院伽藍にある金堂と五重塔は飛鳥時代に建立されたもの。
金堂の中には金胴釈迦三尊像と金銅薬師如来像、金銅阿弥陀如来像
が安置され、それらを守護するわが国最古の四天王像が立っています。
また、天井には天人と鳳凰が飛び交い、周囲の壁面には仏教絵画が
描いてあるなど創建当時の優美さを窺い知ることができます。
高さ約31.5mあるわが国最古の五重塔は、最下層内部には東西南北
ごとに扉があり、文殊菩薩の問答、釈迦の入滅、釈迦遺骨の分割、
菩薩の説法という場面が偶像で表現されています。

大講堂は太子の説いた仏教教義の学問研鑚の場並びに法要を
行なう施設として平安時代に建てられたものです。

これら西院伽藍の各施設を結ぶ廻廊(かいろう)は飛鳥時代の建物。
廊下であるとともに聖域を区切る障壁でもあり、深く覆いかぶさる
軒を支える組物と柱の強固さが飛鳥時代の建築技術の
高さを物語っています。


西院伽藍から東院伽藍へ向かう途中に大宝蔵院が建っています。
百済観音と呼ばれる飛鳥時代の観音菩薩立像(国宝)が安置されている。
もとは金堂内陣の裏側に安置されていて、細身で九頭身の特異な像は
その伝来や造像の経緯などはほとんど不明とされています。
この百済観音に安住していただく殿堂を建立することは法隆寺永年の
悲願だったそうで平成10年に完成を見たそうです。
また推古天皇が所持していた仏殿・玉虫厨子やその他約190件
点数2300点の国宝・重要文化財が保蔵されています。

東院伽藍へ向かう参道の土壁。
建立当時はおそらく白塗りの壁であったろう、この土壁も
今では表面がはがれ落ち、土面が剥き出しになっています。
風化したありのままの姿に長い時代の流れがリアルに感じられます。
このあたりが京都の寺院とは違うところですね。


聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立されたもので、
回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建っています。
回廊南面には礼堂、北面には絵殿及び舎利殿があり、北に接して
伝法堂が建っています。

夢殿(国宝)は奈良時代(739)行信僧都が太子の遺徳を偲んで
建立、堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置されています。
現在も春・秋の一定期間しか開扉されない秘仏で、
当初のものと思われる金箔も綺麗な色で保存されています。

訪れた日は冬とは思えない暖かい日和に恵まれ、ゆっくり
心ゆくまで伽藍内を見学参拝することができました。

この法隆寺が建つ斑鳩で、わが国の行く道を模索し指揮した太子。

607年、煬帝時代の隋に小野妹子を代表にした遣隋使を派遣した太子。
その書状の冒頭に
「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや・・」
と書き綴られていたことは有名な話。

それまでの朝鮮外交から、大陸外交への方針転換を試み、朝鮮を
経由せずに直で大陸文化を吸収しようとした政策を立案するも
日本が大陸の文明に吸収されて、固有の文化を失うような
ことはしない!という強い意志を表したもの。
当然、隋の皇帝煬帝は激怒したが、高句麗との抗争中なので日本を
敵には出来ない、そんな隋の内情を知って巧みに揺さぶり、
遣隋使派遣で隋との直接交渉を築き、百済・新羅への威圧も目的と
するしたたかな外交手腕は現代にも必要な感覚だと思います。

「中国から謙虚に文明を学びはするが、決して服属はしない」
この日本の基本姿勢を構築した太子の政策は中国から欧米へと
学ぶ対象国を変えて今の日本文化技術発展の思考基盤を創ったと
言っても過言ではないと思います。

厚い宗教心を基に、和の精神を説き、身分にとらわれず
実力評価する人材の登用をすすめた太子。

この国が真に「日出処の国」になるためには・・・
そして自分が「日出処の国の一員」として成す事は・・・
今の日本を考える時、聖徳太子の夢に多くを感じた旅となりました。


新年明けましておめでとうございます。

2007-01-01 21:06:44 | 船頭
はっちんブログをご覧の皆様へ。

新年明けましておめでとうございます。

旧年中は、私のブログ並びに保津川下りへ、
一方ならぬご厚誼を賜り誠にありがとうございます。

「保津川開削・川下り事業400周年」も終り、
更なる飛躍を目指し、新たな目標を掲げ
勇んで歩んでいきたいと思っております。

また、ブログ内容も保津川、京都の話題を中心に
楽しい話題満載でお届けしつつ、ロマンと熱情を忘れない
自らの生き方を少しづつでも綴っていければ幸いと
思っておりますので、本年もお付き合いの程、宜しくお願い致します。


平成十九年  元旦   船頭 はっちん